主役の出番
「さてさて、やっと主役の出番だね」
A4用紙をめくりながら、興奮した様子でハンバーガーを頬張ったのは、私の部屋までずけずけと乗り込んできた黒いパーカーと白い肌。後半に差し掛かったタイムトラベル劇では、夏の夕暮れのなか障壁となった不良集団に立ち向かう主人公が毅然とした言葉を投げかけている頃だろう。私は洗濯物を取り込んでから、お目当ての濃厚ふわとろ月見にありつくところだ。ひょんなことから合流し、招いてもいないのにこの部屋に居座るお隣さんは勝手に机の上にあった台本を読んでいる。やつの手に握られたベーコンレタスバーガーは、読書のついでとばかり乱雑かつ無関心にその身を削られていく。他方私はありがたやと、感謝を胸に今年もよろしくとプルルン卵を拝んでから咀嚼した。
「あんたそれ、勝手に読んでいるんだから本人に感想とか言いにいかないでよ?」
「別にわざわざそんなことしないよ。でもこの脚本、荒削りだけどエネルギーに溢れていておもしろいね」
偉そうなプロデューサーにでもなったつもりなのか、パソコンデスクのそばに並んだデスクチェアでふんぞり返り、また一枚とページをめくるマチ。本当に本当の決定稿です。鹿島が騒いだりしなければ。という言葉とともに私に渡ってきた紙束。本質的にはこの物のやりとりだって、コンプラに反しているのだが、まあ黙認されるレベルの交流でもある。酷い場合には生徒を飲みに誘ったりする講師もいたりする業界で、部活の台本にエールを送ることくらいはさしたる問題ではないということだ。
「あー、感想をまとめておかないとだな」
こんな形で物語を読ませてもらっているのだから、誠意を持って対応するのが礼儀というものだろう。毎回のように指摘二割賞賛八割という配合で感想を練っていく。批評家のそれが焙煎温度にもこだわった高級チョコレートのようだとすれば、私の感想なんてねるねるねるねにも劣る味だ。分かっていてもなにかを言わなければならないと思うのが、人情というものだろう。
「やっぱり律儀じゃん」
「はいはい」
さっきまで多摩川の河川敷にて凶器を振り回していた一八歳の戯れ言を躱し、寝室へ足を向け、スキニージーンズからハーフパンツへと衣を代える。部屋着、寝間着において短パンは絶対的な正義だ。『ダークナイト』シリーズでも言及されるべきほどの、開放感と無拘束には全人類が敵わない。あの映画は嫌いだが。
「もう一〇月も間近だよ? 部屋着とはいえ短パンでいいの? お腹冷えちゃうんじゃない?」
ポテトをウサギかモルモットがチモシーを食べるかのように吸い込んでいるバカは、自分の格好を顧みることすらできないらしい。口をすぼめしたり顔め、むかつく。
「あんたこそでっかいパーカーの下の短パンに言ってみなさいな。いつまでお前は夏みたいな丈でいるんだ。カレンダーくらい買えってね」
「おあいにくさま。ぼくのパーカーの中身は四次元ポケットに繋がっているから、暑さも寒さも感じないんだ。藤子・F・不二雄ミュージアムに通いつめている成果だね」
「毎週出てくるビックリドッキリメカみたいな人間だものね、あんた」
「いまどきタイムボカンシリーズを比喩で使う人間もいないと思うよ。西暦何年か知っている? カレンダー買ってこようか?」
「結構よ」
ハーフパンツな身のこなしで華麗にキッチンへとステップを踏む。ティーバッグとお湯をカップに放りこめば、あっというまにストレートティーの完成だ。マチの分は淹れてやらない。
「え~ぼくも欲しい」
「自分で淹れろ」
ちぇーっと不服を着込んで立ち上がり、台所へトコトコ歩くパンダカラー。多摩川の河川敷で振り回された、一〇万を軽く超えるハサミも四次元ポケットに入っていることだろう。この部屋にまたああいうハサミが足を踏み入れたという事実に、どこか嫌気がささないこともなかった。忘れていたいことは忘れたままにしておくほうがいい。決してそれがいい思い出であったとしても、思いだすことが幸せになるとは限らない。
「さて、頂くとしますか……!」
思い出のなかのそれよりもボリューミーだと感じるのは、おそらくは真にバンズの膨らみが増しているから。真白いバター風味のクッションに挟まれた目玉焼きには、パティとベーコンという畜生仲間が重なっている。囓ればコショウとこれまた卵色の強いソースがハーモニーを奏で始める。『踊る大捜査線』のテーマソングが流れても不思議じゃない衝撃が舌の上でダンスして、次の一口を封鎖することもできず再び口は開いていく。口が塞がっているから叫べないけれど、この美味しさは事件に違いない。事件は私のなかで起きているんだ!
「あ、そうだ。先生明日って空いてる?」
まだ半分残っているというのに、我が物顔でカップを持ったマチは、チェアにダイブしくるりと回転で遊んでいる。ひまわりの種を囓っている途中に落っことしてしまったハムスター。現実に引き戻された私は、仏頂面を即興で作っては吐き捨てた。もちろん、現在食べているものは吐かないように。
「空いてない」
明日は昼寝で忙しいから無理だ。もちろんマチ以外の人間から連絡でも来れば、対応させていただくが。
「オッケー、じゃあ明日も多摩川に集合ね」
「今日も集合した覚えはないぞ」
「よろしくね。だって先生、TMG大好きじゃん」
「は?」
ゲットワイルドの話か?
「卵も多摩川も、縮めて言うとTMGじゃん? こんなの説明させないでよ~」
やれやれとマチの呆れ。
意味分からんと私の諦め。
これが最後に言葉は途切れ。
静かに過ごした秋の初め。
濃厚であってもふわとろではない、文化祭の準備が始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます