快刀乱麻を断つ
マチは私という存在とどう交わりたいというのだろう。身体を重ねて、はい、おしまい? 気楽でいいや、でもそんなはずはないのだ。マチは気楽を求めていると言うのだろうが、やつが言っていることと思っていることはおそらくは違う。マチの側から見れば自身がそう見えていても、私の側から見れば絶対にそんなことはないのだ。
「……時間は限られている……か……」
藤子・F・不二雄ミュージアムと同じように、私がマチと関わっていられる時間は永遠ではない。サナちゃんとの出会いもそうであったように。そのなかで彼女から受け取ったメッセージは、言うべきだと思うことをしっかりと伝えること。
「あんたね……」
後ろ手に髪を掻きながら一歩、また一歩と進む。こいつに言っておくべきこと、届くようなもの。同時に、マチが私に言ってもらいたい、これ以上になく焦がれる言葉。
快刀乱麻を断つセリフは出てこないけれど、やつも私の髪を切ることはできないのだ。フェアでいいじゃないか。ともかくは、まだあんたと考えを交わし合う意思があるんだと示せたのなら、他人としては悪くない。
刃のリーチに入る。恐れない。
「なに、改めて前髪切ってもらいたいの? だったら働くよ」
口はいつもの調子だけれど、目は若干の動揺を漏らしている。私の目を見ては、すぐに逸らしてまた元に戻した。
「あんたみたいな素人に切ってもらう気はない」
ただねと、これが拒絶にならないための言葉と、同時に態度を示さなければならないのだ。コミュニケーションとはそういうものだ。
「私があんたにある用はこれだけ」
一〇〇〇円札の束、サナちゃんから預かっていた数名の科学者を、通り魔じみたパーカーに突きつける。こいつにとってはたいしたことない金額でも、私からすれば授業一回では済まない額だ。物の価値だって見る方向によっては変わるもの。
「ほれ、返す」
「……この間の? なんだ、別に返さなくてもいいのに……」
それが分かっていてもなお、自分の価値観で動かなくてはいけないときもある。
「金の切れ目は縁の切れ目なんでしょ?」
土手を降りる。今度は街のほうへ。
こんな夕方になってしまったけれど、ともかくは残された休日を謳歌するとしよう。せっかく本を買ったんだし、さっさと読んで唸るとしようじゃないか。それに別の約束もあることだ、読み物には困ることもなさそうだ。悠々自適、知りたいことは知ることができたのだ、今度は予想外の物語を知るべきだ。いくつかある、休日夜の冴えた過ごしかた。堤防とは違い、しっかりと舗装されたアスファルトを踏みしめて、呆気にとられたままのバカに振り返る。
「なにしてんの、帰るわよ」
私からの超音波を受け取ったコウモリは、帰るべき洞窟を思い出したように駆けだした。並びながらもどこか歩調の合わない私たちは、抜きつ抜かれつトップを争っていく。どっちが優れているかなんて競う気もないのに、違いばかりに気が散って。
「ほんと律義だね、先生」
「税金も納めないで美容師まがいのことをしようとするあんたよりはね」
「ごめんて、じゃあくら寿司奢るからさ、今度こそ」
「休日になんて嫌よ。混んでそうだし。だったら月見バーガー買ってってよ。テイクアウトね」
「へいへい、そんなんでよければいくらでも」
「濃厚ふわとろのほうね」
「……意外と食い意地張っているよね」
多摩川を背に私たちは家へ、おそらくはマクドナルドを経由してから向かう。帰るべき場所なのかは知らないが、少なくとも帰ることのできる場所ではある。樹洞で眠るよりはいくらかマシだろう。恋人の匂いがするシャツや枕をどうすべきかいまだに悩んでいるくらい、忘れられない記憶とともに眠るとしても。人が生きるにはそのくらいがせいぜいだ。贅沢なんて言っちゃいられない。
川崎市多摩区、どうしようもない街、東京に一番近い郊外、なんでもない一日はこうしてほとんどが終わるのだ。明日がどう始まるのかは分からないが、マチという人間なんて、女か男かも風貌からじゃよく分からないやつなのだ。人は見かけに〝寄らない〟と言うじゃないか。私たちは、これからファストフード店に寄るのだということだけ分かっておけば、それで構わないのだ。おしむらくはもっとお高い店に行きたい気もする。しかしながら考えてみれば、こっちもこっちで贅沢なんて言っちゃいられない。
財布は軽く心は重く、ため息ばかりが人生だ。
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