乾坤一擲

「……試合、かな」


 見れば、見慣れたユニフォームとは違う格好をしているチームが、一塁側と三塁側のベンチに分かれている。公式だか練習だかは分からないけれど、ひとまずは試合をしているということだけは理解できた。目を絞ればスコアボードも窺うことができ、試合展開は一点差でポニーテールの女の子が所属するいつものチーム、青色の帽子を被った集団が負けているようだった。少年野球が何回までなのかは流石に把握していないが、スコアボードからおそらく七回で決着をつけるようだ。現時点ですでに六回の表、いつものチームの攻撃だ。七回の攻撃も残っているとはいえ、なんとかして同点にしてから最終回へと向かいたいはずだ。


「がんばれ」


 端から見たら不審者のそれだろうか。そう言われても見守りたいのだからいいじゃないか。特に変なことをするつもりもないのだから。ただ私は勝利の女神となることは難しいようで、相手チームのピッチャーの球にきりきり舞いにされてしまったチーム登戸(仮称)は六回の守備につく。守備陣のなかにポニーテールの子はおらず、出している声からして、あのショートカットの女の子はサードの守備についているようだ。私からも近い位置。声援も届くだろうが、そこまでしたら集中を乱してしまうかもしれない。いつも通り黙っておくこととしようじゃないか。相手チームの攻撃は苛烈で、ファールながらも鋭く大きな打球を連発する。それでもピッチャーライナーの捕球や高く上がったキャッチャーフライを懸命にアウトにしたり、極めつけは右中間を真っ二つにしたスリーベースヒットの直後、ランナーが牽制死という幸運が転がり込んできた。私が疫病神ではなさそうな試合展開に胸をなでおろしつつ、どこかにいるのであろうウィクトーリアを引っ張り合う二チームの戦いは、最終七回に突入していった。


 しかしながら相手投手はかなりの力量の持ち主で、小学生らしからぬ巨体から放り込まれる速球にまたもや凡打が続いてしまうチーム登戸。残りひとつのアウトカウントでゲームは終わり、敗北が決定してしまうというこの場面。監督がピンチヒッターを申告したようだ。見ればチームメイトと同じ青いヘルメットで頭を覆った、あのポニーテールの子がバッターボックスに向かうではないか。


「とにかくバットを振って、自分を信じて……!」


 なんの理由で彼女を応援しているのだか自分でもさっぱり分からないが、日ごろから努力を重ねてきたあの子が輝くところを見たいと思うのが、人情というものじゃなかろうか。ガチガチに緊張しているのが分かる、ドギマギとした一礼からプレイのコールがかかる。ピッチャー第一球投げました。


「あ」


 私と同じように何人かの口が開いた。大人顔負けの速球派投手から放たれたボールは、まっすぐ、容赦ない威力で彼女の顔面へと吸い込まれたのだ。デッドボール、漢字で書くと死球。軟式とはいえ、おそらくは泣くほどに痛いだろう。うずくまった彼女は、その場から動けないで鼻のあたりを抑えている。神様、こんなことってないだろう。


 駆けよった監督らしき男性と、ポニテの女子は何回か言葉を交わしているようだ。その間もずっと顔を押さえている。声は聞こえないが、きっと涙ぐんでいることだろう。これで代走が出ておしまいだ。少なくとも私は、その未来を疑わなかった。


「大丈夫です!」


 なにかの返答に、ポニーテールは大きく揺れた。そのまま立ち上がり、顔を拭い、彼女は駆け足で一塁ベースへと足を進める。力強く堂々と、スパイクでベースを踏みつけた。彼女を見くびっていた自分を恥じ、見ていられない感情と目が離せない思いに押しつぶされながら観戦を続ける。次のバッターよ、どうにかして彼女のがんばりに報いてやってくれ。期待を込めた視線は、ネクストから出てきた子へと注がれる。その子はよく見なくても分かる、私たちのところへボールの行方を追いにきたショートちゃん。サードのポジションで誰よりも声を張っていた彼女が、今度は仲間の分もとばかりにいっそう大きく叫ぶ。


「シャアッス!」


 打ってくれ、頼む。東京ヤクルトスワローズを応援していた彼も、こんな気持ちだったのだろうか。プロと少年野球じゃ異なるところも多そうだけれど、誰かを応援しようという共通点の前じゃ、年齢や実力なんてささいな問題にすぎないのだ。


 放り込まれる速球。女子に当てた直後だからといって、かのピッチャーは気にしてはいない模様。よい投手なのだと思う。ここで心を乱してくれていれば、こちらとしては付け入るスキがあるというものだが。あっという間に追い込まれ、遊び球のあとにショートカットを仕留めるウィニングショットが振りかぶられる。


「負けるな」


 乾坤一擲、電光石火に決まった勝負は金属音を打ち鳴らす。視線を切らず見事に振ったバットで、彼女はライト線へ飛球を放つ。ツーアウトということもあり、塁上のポニーテールは脇目も振らずに駆けだした。追うライト、伸びるボール、線上いっぱい、なんとかフェアゾーンへ落ちていく。


「走れ!」


「帰って来られるぞ!」


 口々に叫んだチーム登戸の面々。永遠に思えるベースランニングはついに三塁まで到達し、コーチャーが腕を回すことにより、ランナーはホームへ突入を敢行する。させるものかとライトから中継を挿み、ほとばしる火花のような返球がキャッチャーのもとへと突き刺さった。


 滑る、タッチ。土埃が舞う河川敷。


「アウト! ゲームセット!」

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