すし屋
私にそんな話をしてどうするのだと聞きたいが、それこそがやつの狙いなのだろうと踏みとどまる。立ち去るならさっさとしてくれとポーズで示す。長時間滞在していたおかげで、横を通る店員の目線もすっかり鋭くなってしまったのだ。しかしまだ注文したお皿が届いていないのも事実。ただで居座っているわけでもないのだ、許して欲しい。
「こうやって注文持ちをしている間に、流れている皿を取りたくなるんだな」
ぼーっと眺めていた緩やかなベルトコンベアに感想を零す。なるほど回転寿司が回る意味とはこういうことかと納得をしただけ。なんにでも意味があるんだなという至極つまらない物言いなのだけれど、マチはそこに返答をひとつ。
「注文もしてないものを欲しくなると?」
「そういうこともありそうじゃない?」
「なるほど、じゃあそちらのお嬢さんは先生が注文したものなの? それとも違うの?」
「は?」
顔を上げてマチが指さしている方向を向く。私たちの席のすぐそばに立っていたのは、襟なしのシャツにカーゴパンツ、ツバが欠けた横浜DeNAベイスターズの帽子といういでたちの少女だった。走ってここまで来ていたらしく、息を上げている。
「えっと……」
これは私と少女、両方ともが発した言葉だ。これまで塾で会ったことのある生徒のうちの誰かだろうかと脳内で検索を重ねている間に起こる、Dドライブの動作音。むこうはいざ目的としていた人物に相対したときになんと切り出すべきかと悩んでいるときに起こる、CPUの一時的な負荷からなるエラー音。面と向かっているのに虚無が流れていく数瞬はおもしろがったコウモリ野郎の一言で次の時間へ進んでいく。
「ほら、先生自己紹介しなきゃ」
これまた人生を楽しんでいる顔しているなぁマチ。
「いや、いきなりなにを話すべきとかないでしょう。まずは用件を聞きたいというか……」
「そーれがどうしーた、ぼくドラえもん~」
「あんたもうどっか行きなさい」
「え~せっかく助け舟出してあげたのに~」
頼んでなんかない。と私が声を荒らげたところで少女は笑った。なるべく私たちの邪魔をしないようにと小さな音で、だったが。しかしながら大人気ないところを見せてしまったと頭を冷やすにはちょうどいい笑いで、マチに向いていた目をすぐに彼女の元へと滑らせる。会話の糸口というものは単なる内容によるものではなく、その場のタイミングを逃さないということによっても見つけられるものなのだ。
「私はイズミ、いちおう言っておくと塾の講師をしています。こいつはマチ」
私の名前を聞いてか、顔が曇りから晴れへと梅雨明けしていく。見たところ中学生くらいだろう、背丈は私とそう違わないが、雰囲気が高校生という色をしていない。幾度となく中高生と接してきただけあって、この手の勘は外れないだろう。
「こいつはとはなにさ、ちょっと酷くない?」
またこいつはちょっかい出してきて。今はこの子が話し始めるべきタイミングだろうに、分かってないなその場の空気というやつを。
「酷くなくない」マチを見ないで言う。
「酷くなくなくない」
「酷くなくなくなくない」
「なくなくなくないっていうほうがなくなくないんだ~うぇ~い」
あ~! さっさと件のおやじに抱かれてこい! 中学生の手前声には出さなかったが、憤懣を叩きつけんとばかりパーカーの上に据えられた顔を睨む。『カッコーの巣の上で』よろしく、ロボトミー手術でもついでに受けてこい!
「お~こわっ。じゃあぼくはそろそろ退散するとしますよ、あとはおふたりでごゆっくり~」
マチが立ち上がっては少女の手を引き座らせる。私の顔になにやらアイコンタクトを飛ばしてきたがそこは無視。ただ、ここまでの少女の反応や目線からして、マチにではなく私に用があるのだと見抜いているあたりは評価に値した。そこに気がつくということはもっと私への配慮もできるだろうに、どうしてかあんなに人をイラつかせるのだろう。確実に反応を楽しんでいるだけなのだが。
「あの……いきなりお訊ねして申し訳ないんですが、お話だけでも聞いてくれませんか?」
ベイスターズの帽子を机に置き、バビロンのジッグラトと化したお皿で顔を半分隠した少女。肩にもかからないショートカットは、私の頭と比べるとツヤもあってなにより整っていた。目の邪魔にしかならない前髪をやや触ってから、咳ばらいをひとつ。
「ええ、もちろん。とりあえず言うだけはタダですし……」
すし屋だけに、とは絶対に言わないぞ。
「すし屋だけに、ですね」
「へ?」
「え?」
そこでピコンと電子音、高速で流れてきたのは中トロの群れ。マチが頼んでいった一貫二〇〇円の比較的高いネタだ。とりあえずほかの客の邪魔になるだろうからと、そそくさ机へと並べていく。どうすんだこれ、ちょっと油っこくて食べきれる自信がないぞ……。
「あの……中トロ、食べます?」
食べるだけタダですし。
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