Priority

「てかまだ中トロきてないの? 困っちゃうなこれ食べたら次に行くつもりなのに」


 ストンとソファに身体を預けたマチは、これまた不満を口から吐き出した。頼むから次の予定は家でしっかり勉強をする、というものであって欲しい。学生は年がら年中勉学にいそしむべきだと思っているわけではないが、こいつに限っては大学受験までの日程を考えると、そんな余裕は完全に捨ててもらいたいくらいなのだ。


「どこ行くんだか知らないけど、そんなに急ぐようなこともないでしょうに。ちゃんと待って食べてから行きなさいな」


「藤子・F・不二雄ミュージアムは時間指定制だから待っていられないよ」


「あんたまたあそこ行くの?」


「何度行ってもおもしろいよ、先生は分かってないんだよ、あそこの魅力を」


 小学生のころにドラえもんはよく読んでいたけれど、この年になってまで足しげくその作者のミュージアムに通うかと言われれば、そんな欲望は抱かない。大人になってからの味というものもあるのだろうけれど、個人的には古い映画をネットやレンタルで観ているほうが楽しめるような気もする。


「魅力がないっていうわけでもないんだろうけど、あんたみたいに毎週行くほどのものなのかなってね」


「ドラえもんは毎週やっているでしょ? まさか先生知らないの?」


「バカにすんな」


 努めて平坦な声で返す。


「まあ真面目にさ、人生なんて短いんだから自分の好きなものはどんどん摂取したほうがいいと思うんだよね。特に時間制限があるものはさ」


 一丁前に人生哲学を語るマチ。その言葉自体はまったく否定するつもりもないし、人々がみんなそのようにあれたらいいとも思う。しかしながら普遍的な哲学というものはえてして個別的ケースを度外視する傾向にある。そういう思考のうえでの正しさと人間としての性質との乖離に気を配れなかった結果、多くの思想が運動のうえでは失敗を積み重ねてきたのだ。すんごく分かりやすい例は、もちろん共産主義革命なのだが。


「知っている? 受験にも時間制限があるってことを」


「もちろん」


 お互いに目を見合う。外したほうが負けだと言わんばかりに視線がまっすぐにぶつかった。ロケット弾を迎撃するイスラエルのアイアンドームを彷彿とさせる正確さ。


「でも藤子・F・不二雄ミュージアムのほうが期限迫っているからさ、優先すべきはそっちだよね」


「優先順位は英語で?」


「Priority」


 やれやれと肩を落とす。鞄もなにも持たないマチは、パーカーのポッケからしわくちゃの紙幣を取りだした。ひび割れた野口英雄が四人、どうした黄熱病にでも罹ったのか。いくらマチが大飯喰らいだとしても、この金額は出しすぎだ。


「別にお金なんていいわよ、行くんならさっさと行ってきなさいな」


 しっしと野良犬にでも相対するような態度で煙たがる。いざ生徒にお金なんて出させるなんて気が引けるというのも、私なりの意地だろうか。たかが数千円の世界だ、ここは格好つけてしかるべきタイミングだろう。


「ぼくが誘ったんだしいいよ」


「そうはいかないでしょう」


「えーだって下手するとぼくのほうが稼ぎいいよ? 今度月見バーガー奢ってくれればいいし。あれ毎年食べたくなるんだよね」


「分かる」


 マクドナルドはともかく、お金に関しては悔しい気持ちもしなかった。時給一万円越えの人間に勝つ気もないし。


「それに今日このあとだってお金貰う予定もあるよ。わりとリピートしてくるおじさんだし金額もそのへんの人よりいいんだ。金の切れ目は縁の切れ目というけれど、その逆もまたしかりってね」


 そうですか……。まあこいつもリピートに応じているということは、危険を感じるような相手でもないということなのだろう。マチにはマチの性に対する楽しみというものがある、それは私がとやかく言うべきことではないだろう。避妊や性病対策はバッチリやっていると、少なくとも本人は言っているのだし。


「あと普通に上手。女の人に弄られるのと同じくらいに」


「聞いてねーよ」

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