第二話 ヒグラシがとまる木の下で
人は見かけに“寄らない”
マチという人間がいる。女か男かも、風貌からじゃよく分からないやつだ。人は見かけに〝寄らない〟というが、それこそやつはどこにも寄っていない姿をしている。それが悪いと言っているわけではない。ただひとつ疑問が浮かぶのだ。マチ本人は自分のことをなんだと思っているのだろうか、という。
「注文したのまだ来ないねぇ」
一〇分はタッチパネルを引っ掻き回し、ようやくネタを選んだかと思えば、二分と経たずに待ち時間に関する不平を口にするパーカー。黒い袖からは嘘のように真白な手がはみ出ていて、お米なんて目じゃないくらいに眩く光を反射させている。ファミリー層向けのお店なだけあって、光源も軒並み白。いつもならこんなところには立ち寄りはしない。今日は特別、目の前のヤツがどうしてもと駄々をこねたからだ。
「待ってりゃ来るわよ」
今年の三月くらいからほかのチェーン店は軒並み寿司ネタを回転させない回転寿司となっているのだが、私たちのアパートからほど近くのくら寿司では、たまたま時世に対応してしまったプラスチックのカバーを見せびらかすように、魚の肉がダンスマカブルと洒落込んでいる。九月ともなるとこの街はバラ園の開催が間もなくとなっているのに、全国どこにでもあるこの店には死の舞踏ができうる全力のめかし込みなのだ。
「握って皿に乗っけるだけなのに、なにをもたつくことがあるんだか」
「そういうことは働くようになってから言いなさいな」
不平を垂れている暇があるのなら英単語のひとつでも覚えたらどうなんだ。十八歳のマチは、自分のやるべきことを棚に上げては口をへの字に曲げている。なにが悲しくてこいつとふたり、休日の回転寿司を堪能しなくてはならないのだろう。別に嫌いというわけでもないが、家から数分で着いてしまうこの店に特段思い入れもない私は、さっさと腹を満たして帰りたいとしか思えなかった。おまけにこの店は流石JR南武線と小田急線の交差する土地なだけあり、客層はザ・郊外という様相。喚き散らす子供を抱えた家族、寂し気な背中を湛えた背広人間、ツナギに身を包んだ男衆、頭の上で紅葉シーズンを迎えたらしい男と制服姿の若い女がふたりずつ。話をしているのだかスマホを弄っているのかも分からないが、ともかくとして回転寿司だけを食べに来たわけでもないのだろうなということは分かった。
「ああいう男も好みなの?」
いまだに注文用のタブレット端末をべたべたと触りメニューの隅々まで目を光らせる、ネコが描かれたパーカー野郎が言う。ベースの色はいつもと同じ黒で、その先から伸びた白い指が目立っている。
「さあね」
肯定しても否定しても面倒くさいから、こいつが投じるその手の質問には適当に返事をするようにしている。ただ、今回に関してはむしろ質問の方向に疑義を唱えたくもなり、エンターテインメント世界の弁護士のように待ったをかけた。
「てかあんたこそ、ああいうしょうもなさそうな男と寝ているわけでしょ?」
「人を見かけで判断するのはよくないね~。まあ、ぼくはこのへんにいるような男だったらもっと汚い感じが好きだったりするけど、弱っているところに優しくしてあげると、コロっといっちゃうからね」
「はいはい、ただ見た目は一番外側の中身よ。人間を理解するうえではもっともとは言わないまでも、重要なピースになるのは間違いないわ」
「正論だけど、人間の見た目なんてほとんど隠れているわけだし、洋服剥いでみないことにはその重要なピース自体も判断つかないとは思うけど?」
「人は社会的存在よ。服を着ていないのは動物と同じ」
「人類史で初めて社会権を認めたワイマール憲法は欠陥憲法だったりするけどね」
ワイマールじゃなくてヴァイマールだ、などと揚げ足を取ろうかと考えた瞬間、白いベルトコンベアが勢いよく回りはじめ、私たちが注文した握りずしを運んできてくれた。人でごった返した休日昼間、さっさと皿を取ってやらねば業務の邪魔になるだろう。
「お、ありがとうです」
他方このハクセキレイみたいな白黒色のバカは皿へ手を伸ばすこともせず、小鳥のように巣穴でピヨピヨ鳴いているだけでメシにありつくのだ。私は母鳥でもなんでもないのだが、そんなことで説教垂れても馬の耳になんとやらだ。
「やっと仕事してくれたね」
なに喰ったらそんな偉そうな物言いができるのかと呆れていると、いただきますもないままマチはハマチをペロリ。醤油もなにも付けないで食べるのが流儀なのだと、通ぶって語っていた。
「ずっと仕事ならしているわよ。どれだけの客をさばいているか考えなさいな」
目に見えるすべてのボックス席は埋まっており、四人連れの客たちは自らの気になる食べ物を傍若無人に注文しまくり、たまにコンベアで流れている皿を取ったりするような楽しみかたをしている。カバーがかかっているから感染対策できています、とか言うより先に、寿司が回転する必要があるのかという根本的な見直しをしたほうがいいんじゃないかと心配になる施設だ。新しい生活様式は横に置かれ、古きよき外食風景で、人々は口々に飛沫をかっ飛ばしている。ほかの回転寿司が自転を停止させているなか、ここだけで拝める回転寿司業界のアンシャン=レジームだ。私とマチの会話が成立しているのだって、天然のノイズキャンセリングことカクテルパーティー効果があるからこそ可能なのだ。
「先生はせいぜい二、三人の面倒しかみられないもんね」
黙れクソガキと口走りそうになる喉元にお茶を流し込む。この緑茶だって、二杯とも私が淹れてやったのだ。ありがとうの一言くらいあってしかるべきと叱るべきだろうか。またこんなくだらない洒落を思いついてしまった、死んだ人間に殺意が芽生える。あの男は世界一くだらない閃きを、さも嬉しそうに話していた。才能だよ、才能。
「そうそう。とにかく他人の世話をするなんて同時にできることじゃないし、値段相応以上のものを要求するべきじゃないの。時給一〇〇〇円前後の働き手にいちいち文句言っていると幸せが遠ざかるわよ」
「ま、ぼくは三時間休憩しているだけで五万くらい貰えるんだけどね」
「税金を納めてない時点で、それは働くっていわないの」
「払う意思はあるよ、ただ誰も徴収にこないだけ」
「はいはい」
「それかゴム代とか毎月のピル代とかが税金ってことにならないかな」
無視だ無視。流れてきたいくらの軍艦巻きに手を伸ばし、ちょっとコツがいるテクニックでカバーを外す。
「しかし見る人の角度で、物の見えかたって全然違うものだよね」
「なに? あんたからすればエンコウも労働のうちだと言いたいの?」
しつこい。そこに関しては流石に承認できないぞ。
「いや別に、本気で思っちゃいないよ」
対照的にあっちはへらへら笑ってる。
「こっちとそっち側じゃ、流れていくお寿司の見えかたも違うんだなってこと」
「ん?」
サケの卵はずいぶんと活きがいいらしく、母艦としてのシャリから大幅に零れている。私からじゃ見えなかった、おそらくは誰にも手をとられなかったであろう理由。
「いくらなんでも崩れすぎ、先生ならそう思ってそう」
「あ~そうね」
気を取り直して好物を味わうとしよう。くら寿司はワサビの質がほかの大手チェーンよりは優れているから、しっかりと味わう。いただきます。
「ノリ悪いな~、そんなんじゃマグロって言われちゃうよ?」
マチもすかさず赤身をパクリ。煽るように目元ばかりがにっこり笑う。
「黙れクソガキ」
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