32話 魔術師と心臓に悪い黄泉の霊園



 油断したら、きっとここが自分の墓場になる――。


 そんな気持ちで嫌々やって来た【黄泉の霊園】。

 隣を見れば、そこには頼もしすぎるユリウスさんがいる。少しだけ気持ちが落ち着いた。

 でも、恐怖心は拭えない。


 だって、怖いものは怖いんだ……!

 ここはすでにヤツらのテリトリー。地の利は向こうにあるのだから。

 それに、傍にユリウスさんがいても、私の目は見えるし、音は聴こえるし、気配も感じる。『寝てたら終わりましたよ〜』とか、そんなわけがない。

 つまり、常時、緊張状態。

 だって、もし少しでも気を抜いた瞬間に突撃でもされたら……死ぬ。攻撃が当たらなくても心臓が止まって……死ぬ。

 だから気を張っていないと、ここが本当に自分の墓場になってしまうのだ。


 絶対に生きて帰る……!

 両手を握りしめ、グッと歯を食いしばる。気合は充分。

 …………でももし腰が抜けたら、ユリウスさんに運んでもらおう。

 このぐらいの弱気は見逃して欲しい。お願いします――。


 こうして、私は確かな決意を元に、一歩踏み出した…………はずなのだけど。





「や〜だ〜、こわ〜い」

「大丈夫。ほら、手つなご?」

「え〜、まだこわ〜い」

「なら、抱き締めてあげるよ」

「きゃあ〜!」



 “きゃあ〜”だって。男女が抱き締め合いながら、“きゃあ〜”だって。恐怖心が一ミリも表情に出てないけど、“きゃあ〜”だって。


 …………なんだこれ。

 四方八方、こんな風にイチャつくカップルだらけなんですけど。意味がわからない。

 実はここ、【黄泉の霊園】じゃないとか言います?



「ここ、【黄泉の霊園】で合ってますか?」

「合ってるぞ」

「そうなんですか……」



 合っているらしい。ユリウスさんが言うのだから間違いない。

 とはいえ、どうしてこんなところに意味もなくカップルが集まっているのか。魔物も出るし、危ないのに。



「前回来た時より酷いな」



 ユリウスさんに視線を向けると、少しだけ怖い顔。どうやらこの惨状をユリウスさんは知っていたらしい。



「結構前からこんな感じなんですか?」

「あぁ。一年前に、冒険者ギルドに見回りの定期依頼を出したあとからこの有り様だ」

「へぇ……。ちなみに冒険者ギルドに依頼する前は誰が見回りを?」

「王宮の騎士団が交代でしていたんだ。その頃には誰も寄り付かなかったんだが……。前回、冒険者ギルドにした注意勧告は意味がなかったな」

「そうみたいですね……。じゃあ、あの人たちは皆、冒険者ってことですか?」

「おそらくな」

「うっわぁ」



 昨今の冒険者ってこんな感じなのか。それとも、この辺の冒険者がだらしないのかな。

 でも久しぶりに見たな、こういうの。

 魔術師団の人たちはクセこそ強いけど、仕事は疎かにしないから。

 まぁ、私はちょくちょくサボるけど。そしてグレンに怒られる。

 ……うん。私は人のこと言えない。



「イチャついてると襲われにくいとか、あるんですかね?」



 見える範囲だけでもイチャついてる冒険者の多いこと多いこと。しかも、ほとんどが霊園の入口付近だ。

 私が思うに、この人たちはたぶん、誰一人見回りをしていないんじゃなかろうか。



「関係ないと思うぞ。ここはそれほど強い魔物は出ないから、適当にしているだけで報酬が貰えるとか、そんな噂が流れているんだろう」



 すごくあり得る。というか、もうそれが正解なのでは。



「明日にでも上へ報告しておこう。……また騎士団の仕事に戻らなければいいが」

「忙しくなるのは嫌ですもんね」

「それもあるが、黒牙騎士団うちの約一名が泣き崩れる」

「え……えっ?」

「エルレインと同じで、アンデット系の魔物嫌いな奴がいるんだ。最近ようやく、ここの見回りストレスで増加した体重が戻ってきていたんだが」

「地獄に逆戻りなんて、可哀想ですね……」



 まだ騎士団の仕事に戻ったわけじゃないけれど、たぶん逃げられないと思う。

 だって、この有り様だもの。私だったら、もう彼らを頼りにはしない。二度あることは三度あるって言うし。



「とりあえず、奥行きましょうか」

「大丈夫か?」

「はい。アレを見てたら、怖いの吹き飛びました。私の頭は“呆れ”でいっぱいです」

「……そうだな」



 こちらを見て、クスリと笑う。



「ぅぐ…ッ」



 とんだ不意打ち。ドンッ、と心臓を殴られた気分。いや、確実に殴られた。だって、一瞬、息が止まったもの。



「どうした、エルレイン?」

「な、んでも、ない、です」



 コテン、と首を傾げてくる。

 無自覚の破壊力……すごい。また心臓殴られた。もう全力で逃げ出したい。


 けれど、それは悪手なのだ。さすがの私ももう学習した。バカじゃない。

 こんなところで脇目も振らず走り出したら、すぐに捕まる。

 そして始まる説教という名の、新手の拷問。終始穏やかな声で、にこやかな顔で、私を膝の上に乗せながら、丁寧な丁寧な言い聞かせ。

 でも、距離は近いし、色気を含んだいい声で話すし、手は握ってくるしで、私はだいたい瀕死。もし気絶できたらラッキー。


 だからそんな事態にならないよう、私はグッと堪える。

 頑張る……!



「本当に大丈夫か?」

「お、気遣い、なく……! 本当に、大丈夫で――」

「あの〜」

「「 ………… 」」



 二人一緒に声のした方に視線を向ける。

 するとそこには、杖を持ったローブ姿の可愛らしい女性が一人。この場所にいることと恰好から、おそらく冒険者だろう。

 他に気になる点があるとすれば、ユリウスさんを上目遣いで見つめていることくらいか。私とは一切目が合わない。



「…………」

「あの〜」

「…………何か」



 ユリウスさんの表情がびっくりするくらい無だ。目すら合わせようとしない。

 でも、相手も負けじと視界に入ろうと距離を詰めている。



「霊園の奥に行かれるんですか? お話が聞こえてしまって、その、すみません……」

「だとしたら、何か」

「えっと、迷惑でなければ、ご一緒させていただけませんか……? 一人で行くのは怖くて……」



 潤んだ瞳で見つめて、ユリウスさんの腕に手を伸ばす。けれど、それに気付いたユリウスさんがその手を躱した。



「え……」



 まさか躱されるとは思っていなかったのか。女はきょとん顔。

 けれど、すぐに次の作戦を思い付いたらしい。さり気なくローブの前を開けた。するとそこには、思わず「うわ、でかっ」と声に出しかけるほど、立派な谷間が。

 とても柔らかそうだ。なんかふよふよしてる。


 でも残念なことに、ユリウスさんは全然見てない。

 早く先に行きたそうに、霊園の入口に視線を向けている。

 そして私は完全に蚊帳の外。



「お願いします」

「急いでいる。他をあたってくれ」

「わたしも急ぎなんですっ。足は引っ張りませんからお願いします……!」



 大きな胸の前で、祈るように両手を合わせている。胸がさらに強調された。ユリウスさんは見てないけど。

 というか、怖いから一緒に来てくれと言っていたのに、どうして足を引っ張らないなんて言えるんだろう。すごい不思議。



「怖いから一緒に来てくれと言っていたな。それなのに、なぜ足を引っ張らないと言いきれる」



 ユリウスさんも私と同じところが気になったらしい。

 女は目に見えて焦りだす。



「それはその、頑張る、という意味で、言いきったわけじゃなくて……」

「遠慮してくれ」

「だ、大丈夫ですっ! 絶対に足は引っ張りませんからっ! それにわたし、みえないかもしれませんが、中級冒険者なんです!」

「「 ………… 」」



 そこは別に関係ないよね、という気持ちでユリウスさんを見ると、目が合った。表情からはわからないけど、たぶん同じことを思っている気がする。

 ユリウスさんは、足手まといだから拒否しているんじゃなくて、ただ単に“一緒に来てほしくない”それだけ。ちなみに私もそう。

 早く諦めてくれないかなぁ。

 つい溜め息がこぼれる。



「そちらの方よりは、わたしの方が絶対に役に立ちますッ!!」

「は?」



 なぜか敵意剥き出しで、キッ! と睨まれる。さっきまで視線ひとつ寄こさなかったくせに。

 ……というか、私ってそんなに弱く見える?



「そちらの方は冒険者じゃありませんよね。そんな人を連れて行く方が無駄に時間がかかると思いますけど?」

「…………」

「急いでいるんですよね? なら、わたしと行った方が絶対に早く済むはずです」

「…………」

「ですから、あなたはここでお待ち下さい。こちらの方とはわたしが一緒に行きますから」

「いや、私は――」

「足手まといですからっ!」



 さっきよりもきつく睨まれた。

 話くらい聞けよ。面倒くさいな。

 思わずそう口からこぼれそうになった瞬間。


 ビリッ――。


 背筋が凍る、痛いほどの、殺気。

 恐る恐る隣に視線を向ければ、それは案の定、ユリウスさんから駄々漏れていて。

 その矛先である女も、これには顔を真っ青にしてガタガタと震えていた。


 …………さて、どうしようかな。

 重たーい沈黙の中、腕を組んで考える。


 正直、女に関しては自業自得なので、助けてやりたいとは思わない。ユリウスさんに色目使ってたし、しつこかったし、私のことバカにしたし、ユリウスさんに色目使ってたし。


 けれど、このままだと、殺気に耐えられなかった女が気絶する可能性がある。そうなると、周りの冒険者が何事かと集まってきて、面倒くさいことになるかも……。うん、絶対になるね。

 であれば、私がすることは一つだ。



「ユリウスさん。どうどう」



 彼を引き摺ってでも、霊園の中に連れて行く。

 それしかない。



「このままだとその人、気絶します」

「俺は別に構わないが」



 予想以上に怒っていらっしゃる。



「……うん。私も別に気絶するだけなら、静かになるし構わないんですけど。この状況でこの人が倒れたあと、周りの冒険者たちがどう出てくるかわからないので……。騒がれると面倒くさいです」

「叩き伏せればいいだろう。受けた依頼を反故にするような奴らだ」



 うん、まさしくその通り。

 だけど、物理的に大人しくさせたらそれで終わりってわけじゃない。



「それをしてしまったあとの“後始末”はどうするんですか? ユリウスさんだけじゃなくて、副団長さんの仕事も増える気がするんですけど」

「…………」

「遠方の長期任務――」

「わかった。大人しくする」



 両手を顔の高さに上げて、降参ポーズ。

 イケメンがやると、ちょっと可愛い……。


 さて、とりあえずこれでユリウスさんから殺気は消えた。

 あとは――



「ちょっといいですか?」



 この冒険者を撤退させるだけだ。



「素材採取に同行したいとのことでしたが、拒否します。ついて来ないでください」

「な…ッ」

「怖いから一緒に来てほしいと頼む時点で、足手まとい確実ですから。頑張るとか、そういう問題じゃない」

「そ、それは」

「それに、他にも冒険者はいるんだから、私たちにこだわる必要はないでしょう。あぁ、それとも――“彼”とお近付きなりたかったとか? 本当は怖くないけど、怖いって嘘ついてた?」

「違うわよッ!! わたしなら、あんたより役に立つと――」

「はい」

「え……?」

「私、“上級”冒険者なの。あなたよりランクは上なんだけど」

「え……、あ……」



 よーく見えるよう、女の目線の位置に、上級冒険者の証である“金色ゴールド”の冒険者カードをかざす。


 ――冒険者のランクには、四つの区分けがされている。

 駆け出しは、白。

 下級は、銅色ブロンズ

 中級は、銀色シルバー

 上級は、金色ゴールド

 特級は、黒。

 ちなみに、中級冒険者は最も人数が多く、上級と中級の間に大きな差があるのは、とても有名な話。冒険者なら、知らないはずのない話――。


 女の顔色がみるみる悪くなっていく。

 さっきまで敵視するような目で私を見ていたのに、今はあからさまに視線をそらしている。



「あなたよりはね、役に立つと思う」



 アンデット系が苦手だってことは、あえて言わないけど。



「あ……、その……」



 視線を泳がせながら、女は私から距離を取り始める。

 この分なら、もう諦めてくれるだろう。

 そう思って肩の力を抜こうとしたら――女の視線がユリウスさんに向いた。助けを求めるような、潤んだ瞳で。ついさっきまで、殺気を向けられていたのに。

 バカなの?

 これにはさすがの私も腹が立つ。



「私の夫に色目使うの、やめてくれる? 不愉快なんだけど」



 思いの外、ひっくい声が出た。



「エッ…………あ……。す、す、すみませんでしたーーー!!!」



 私とユリウスさんの顔を交互に見て、女は脱兎の如く逃げ出していった。



「はぁー……。疲れた……」



 大きな溜め息をついて項垂れる。

 モテる人を夫に持つって大変だな。今日改めて実感した。



「早く終わらせて帰りましょう」



 スッ、とユリウスさんの手を握って歩き出す。

 あー、早く帰りたい。





 …………待て。何してる私ッ!!


 歩き始めて数分。

 私は自分の言動と行動に、頭を抱えて転げ回りたいくらい後悔していた。

 穴があったら埋まりたい。それはまさに、今この時の私のために作られた言葉そのもの。本気で埋まってしまいたい。

 しかも、ユリウスさんはさっきからずっと無言。何を思っているのかまるでわからない。怖い。怖すぎる。


 それに手を……自分から手を……繋いでしまった……。有無を言わさず、流れるように手を……。許可を取る前に手を……。

 どうしよう。意識しだしたら、だんだんと恥ずかしくなってきた。なんか、手汗も出てきた気がする。


 ……離してもいいかな。

 いや、むしろ離したい。手汗でびちょびちょになる前に。



「あの……、ユリウスさん、手をですね、その……」

「ん? こうする方がいいか?」

「へっ?」



 あれ。恋人繋ぎに、されてしまった。

 私は、『離したいんですけど』と言おうとしたのに。なぜ。

 しかも、さっきよりも密着度が上がったんですが。おかしい。



「いや、あの、そうじゃなくて、そろそろ離した方がいいかな~って」

「…………」

「ユリウスさん?」



 珍しく無言を返されたので、恋人繋ぎになった手に向けていた視線を上げる。



「エッ」



 するとそこには、不満そうな雰囲気を漂わせるユリウスさんが。私でもわかるくらいに露骨だ。



「ユリウスさん……?」

「……嫌か?」

「え?」

「こうして手を繋ぐのはもう嫌か?」



 ジッとこちらを見つめる灰色の瞳。それがあまりにも真っ直ぐで、目をそらすことができずにたじろぐ。



「べ、別に嫌なわけじゃなくて、その、手汗がッ…………じゃなくて! そろそろ魔物が出てきそうなので離したほうがいいかなって」

「左手は自由だ。問題ない」

「でも、ユリウスさんの利き手は右……」

「左でちょうどいいくらいだ。右でやるとたぶん素材も壊す」

「…………なるほど?」



 利き手だと手加減できないってことかな?

 普通ならありえない話だけど、ユリウスさんならそれもありえそう。なんせ、ドラゴンを素手でぶん殴る人だし。


 あ、でも、手離すのを拒否するってことは、嫌じゃなかったってことだよね? そうだよね? よかった〜。終始無言だったから心配してたけど、不快に思ってたわけじゃなかったんだ。あ〜、ホッとした!

 本当は手を離したかったけど、これ以上の拒否はユリウスさんが傷つくかも。だからもうこのままでいいや。手汗のことは忘れよう。きっと忘れたら、出てこないはず。たぶん。


 ……うん、でも、黄泉の霊園で恋人繋ぎって、これ……イチャイチャでは? 霊園の入口でイチャついてた冒険者たちと大して変わらないのでは?

 うわ……。現実逃避したい……。切実に……。



「少し浮かれ過ぎたか」

「え?」

「エルレインの口から“夫”と言われたのが嬉しくて、なんだか離し難くてな」

「ふへ…っ」



 しっかり聞いてらした。

 カアアアとすごい勢いで顔が熱くなる。



「す、すす、すみませんっ! 勝手にあんなこと言っ――」

「俺は嬉しかったと言ったぞ?」

「そう……です、ね……」

「あぁ」



 ふわり、とユリウスさんが優しく微笑む。

 ドキドキ、といつものように心臓が高鳴り始める。だんだんと落ち着かなくなる。

 けれど、不思議と“逃げたい”なんて気持ちにはならなくて。むしろ、ずっと、その優しさを含んだ灰色の瞳を見ていたい。そんな想いが溢れてきて――



「エルレイン?」

「え…………ハッ! な、なんでもないですっ!」



 我に返り、思わずババッと勢いよく視線をそらす。

 私、さっき、何考えてた……?

 思い出そうとすると、心臓がバックンバックン暴れ出す。

 ダメだ。これ以上は命の危険が……。

 胸に手を当てて、スーハースーハー深呼吸を繰り返す。


 けれど、ふと。

 しっかりと繫がった左手に視線がいって――



「ふぐぅぅぅッ」

「どうした、エルレイン!」



 恋人繋ぎも心臓に悪いやつ…ッ!

 時間差でやって来た羞恥心に我慢できず、奇声が口からこぼれ出たのだった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔術師と騎士団長の新婚びより 鈴花 里 @suzuca-sato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説