31話 魔術師の頼みの綱



「うーん……。どうしよう……」



 北棟、黒牙騎士団団長室の扉前。私は今、その扉をノックしようかどうか悩んでいる。かれこれ五分くらい前から。ノックする手を上げたり下げたり繰り返している。


 ここには、ただただ勢いまかせで来た。

 この扉の前に立つまで、私はとにかく焦っていた。ユリウスさんに縋りたくてたまらなかった。切実に助けを求めていた。


 なぜなら、グレンが素材採取に同行できないと言い出したから。

 思わず目が点になった。ウソじゃない。


 スケルトンメイジの骨杖の採取に関して、私は師匠から『行け』と言われた。言われてしまったので、嫌々、嫌々、本当に仕方なく…………行く。

 そうしたら、グレンを連れて行くのは当然のこと。だって、ホーウェン家の封印扉に必要な素材なのだから。

 それなのにアイツは――。





「俺行けねぇわ。悪いな」



 とか、言い出した。一瞬、聞き間違いかと思ったけど……。



「深夜に既婚者と二人きりとか、変な噂でも立てられたら困る。だからパス。……俺はお前に嫌われても、お前の旦那から自分のメンタルを守りたい」



 意味わからんことを言われた。主に後半部分。ユリウスさんが一体何をするというのか。失礼な。


 それだったらと、手の空いている同僚を連れて行ってくると言えば……。



「やめろ。絶対にやめろ。被害者は団長だけで充分だ」



 近年稀に見るすごい真剣な顔で言われた。本当に意味がわからない。

 けれどそうなると、素材採取には必然的に一人で行くことになるわけで。



「…………やだやだやだムリ! 行けない! というか行かないッ!」



 首を左右に振って全力拒否した。

 ついでに師匠から送られてきた未完成魔道具荷物もグレンへと押し付ける。



「一人で行けって言うなら、私はもう何もしないッ!」



 ボイコットである。

 あんなところに一人で行けとか、鬼の所業でしかない。



「待て待て待て。お前に匙を投げられたらどうにもならねぇ」

「知らん! 先に意地悪したのはそっちでしょーが!」

「意地悪なんかしてねぇわ。そもそも、一人で行けとも言ってねぇし」

「でも私が誰か連れて行こうとしたら邪魔したじゃない!」

「そりゃあ、お前。連れて行く相手が違ぇからだよ」

「はぁ?」



 睨み付けながら首を傾げる。

 連れて行く相手が違うって何。魔術師団の中で連れて行くべき相手は、グレン以外にいないのに。



「……まさか、長女ちゃん連れて行けとか言うんじゃないでしょうね」

「違ぇよ。あんなん連れて行ったら土地が変形するわ」

「何それ怖い」

「俺も怖い。……で、お前が頼るべき相手って言うのは、どう考えたってフォーゲル団長だろ」

「ア゛ッ」

「本気で忘れてたな」



 呆れたような表情でこちらを見るグレン。私はスッと視線をそらす。

 忘れていたと言えば、忘れていた……かも。



「あの人なら快く着いてきてくれんだろ」

「うん! …………いや、でも、正式な仕事じゃないし、迷惑かも」

「じゃあ、一人で行くか?」

「絶対にイヤだッ!! 今すぐお願いしてくる!」

「おー、頼んだ」



 こうして、私は急いでユリウスさんの元へと向かった。





 そして今、飛び出した時より少し冷静になったら、「あれ?」ってなった。これ、本当にユリウスさんを頼っていいのかなって。


 最近こそ早めに帰宅するユリウスさんだけど、別に暇なわけじゃない。たぶん、私の倍は仕事をしているはず。

 そんな夫を、深夜に連れ出すなんて私、“鬼嫁”というやつでは? いや、むしろ“悪妻”か?


 深夜に超時短で素材を採取しても、帰ってくる頃にはやや陽が出ている予想。それから仕事に行くとなれば…………徹夜だ。正式な仕事でもないのに、ユリウスさんに徹夜させることになる。悪妻だ。いや、極悪妻だ。


 しかも、これで仕事に差し支えた、なんてことになったら、副団長さんが怖い。遠回しだけど、絶対に責められる……!


 あと今さらだけど、ユリウスさんってアンデット系の魔物、大丈夫なのかな。叫んだり、腰抜かしたり、私を置いて逃げ出したりとかしない? そこが一番大事なんだけど…………あー、やばい。考えだしたら、より一層ノックなんて出来なくなってきた。



「…………帰るか」



 ちょっと混乱してきたので、一旦クールダウンしたい。そもそもここへ来る前に、グレンに報酬の話をするべきだった。

 タダ働きはいけない。まずは依頼書を作成するところからだ。

 うん、と一人納得して、くるりと踵を返そうとしたら。


 ガチャッ――。


 ノックもしていないのに、なぜか開いた扉。

 なんで?

 思わずその場で固まっていると、中から顔を覗かせたのは副団長さんで。



「ここまで来て、なぜお帰りに?」



 可笑しそうにクスクスと笑っていた。



「えっと、その、ちょっと不備を見つけて……?」

「そうですか。どうぞお入りください」

「えっ?」



 てっきり仕事の邪魔だと追い返されるかと思ったのに、まさかの入室オッケー。この人、本当に副団長さん?



「もちろん、団長もいますよ。エルレイン様がなかなか入ってこられないので、さっきからずっとそわそわしています」

「……そわそわ」



 それはちょっと見てみたかったかも。

 そんな風に思いながら、団長室へと足を踏み入れた。





 ◇ ◇ ◇





「グレンはどこに?」



 事の経緯を話した直後、副団長さんがキレた。もちろん私にじゃなくて、グレンに対してだ。


 それでもなんだか落ち着かないので、応接テーブルに置かれたお茶を飲む。えぐみなく、香り良く、後味がほんのり甘くて、とても美味しい。前にも思ったけど、副団長さんはお茶を淹れるのがとても上手い。



「ホーウェン家の問題なのですから、素材はグレンが採りに行くべきでしょう?」



 黒いナニカが見え隠れする笑顔で同意を求められた。ごもっともです! と何度も首を縦に振る。



「では、なぜエルレイン様が行くのですか?」



 怖い……! 目が笑っていない笑顔怖い……!

 正直、それを私に聞かれても困るのだけど。だって、私の場合は――



「師匠に『行け』と言われたから、です……」



 私だって行きたくないよ。暗いところ嫌いだし、アンデット系は怖いし、普通に面倒くさいし。だけど、師匠の言うこと無視する方がもっと怖い。



「仕方なく、本当に仕方なく、行くんです……」



 はぁ……と溜め息をつくと、隣に座っているユリウスさんから頭を撫でられた。

 嬉しいけど、なんだかむず痒い……。



「同行させるのは?」

「既婚者と深夜に出かけたくないそうで。変な噂をたてられても困ると」

「俺も許可しない」

「それはまぁ……そうでしょうね」



 ユリウスさんの顔を見て、呆れたような表情で溜め息をつく副団長さん。



「それと、夜は呪具の力が増幅するので、できれば傍で待機したいとも言ってましたね」

「……なるほど」



 納得したのかな。副団長さんの雰囲気が穏やかになった。笑顔も怖くない。


 グレンとは幼馴染みらしいから、思うところがあったのかもしれない。副団長さんはグレンと違って、損得勘定がキッチリしてそうだし。



「ところで、グレンはどこに?」

「えっ?」



 変だな。副団長さんの笑顔がまた怖い。この話、今さっき終わったと思ったんだけど……。



「素材採取に行けない事情はわかりました。ただ、こちらの団長を頼るのであれば、エルレイン様と共にここへ来るべきでは?」

「……確かに」



 私が一人でお願いしに来るの、おかしいね。グレンも一緒に来るべきだね。

 それじゃあ、今すぐ連行してこようか、とは思うのだけど……。



「たぶん今、家に戻ってます」

「家?」

「はい。ここへ来る途中、グレンのところの執事さんに会ったんです。挨拶ついでにどうしたのか聞いたんですけど、封印扉を壊した妹さんが責任感じて情緒不安定で、力の制御が出来なさすぎて屋敷の中が大惨事だと……」

「それは……まずいですね……」



 目をつぶり、眉間を押さえる副団長さん。

 長女ちゃん……あなたは一体何者ですか?

 今後、予備の封印魔道具が壊されないことを切に願おう。これ以上、別件の仕事が増えるのは嫌です。



「……ユリウスさん」

「ん?」

「そんな訳で、今日の夜……【黄泉の霊園】まで一緒に来てほしくて…………お願いしますっ!」

「……今日の夜か」



 あれ?



「都合悪いですか……?」

「んー」



 珍しく返事が煮え切らない。それに視線も合わない。

 もしかして、すでに仕事が入っているとか? もしくは、明日の朝が早いとか?

 ……あ。まさかアンデット系が苦手? 私と同じレベルで無理?

 それだと無理にお願いするのは――



「団長。大人気ないですよ」



 副団長さんが呆れたように溜め息をつく。

 どういう意味だろう?

 何もわからない私は、二人の顔を交互に見て、首を傾げる。



「えっと……」

「年甲斐もなく拗ねているんですよ、この人は」 

「拗ねてる?」



 ジーッとユリウスさんを見るけど、よくわからない。いつも通りの無表情に見える。拗ねている感じはしない。


 そもそも、何に対して拗ねてるんだろう?

 無言でジーッと見つめていると、ようやく視線が合う。すると、こちらに向かって手が伸びてきて。骨張った長い指――人差し指が顎の下に添えられた。そして、疑問を口にする前に、そのまま優しく上へと持ち上げられる。



「エルレイン」



 さっきよりも深く重なった視線に、体が動かない。声も出ない。

 触れられているのは人差し指だけなのに、まるで逃げられる気がしない。


 でも、不思議と怖くはなくて。むしろ、ドキドキするような……。

 視線をそらせずにいると、ユリウスさんの目がスッと細くなり――



「拗ねたくもなるだろう? 自分より先に他の男を頼られたら」

「……へ?」



 聞こえた予想外の言葉に、声が漏れた。

 拗ねてる理由って、それ?



「頼ったわけではないでしょう。ホーウェン家の問題ですから、アレを連れて行こうとするのは当然です」



 呆れたような副団長さんのフォローに、「その通りです!」と目で訴える。あれは頼った内に入りません!



「だがそのあと、手の空いている他の団員に声はかけなかったか?」

「…………」

「エルレイン?」

「か……かけました……」

「それは良くありませんね」

「だろう?」

「…………」



 味方が消えた。あっさりいなくなった。

 そして――



「一番に頼ってほしかったんだがな……」



 ズキィッ!! と良心に激痛が走る。

 私の見間違いかもしれない。なんとなくそう見えるだけかもしれない。けれど、目の前のユリウスさんはしょんぼりしている……! どうしよう!?

 元気づけたいけど、掛ける言葉が見当たらない。


 副団長さんは我関せずといった様子で、テーブルを挟んだ向かい側で平然とお茶を飲んでいる。一瞬も目が合わない。



「ち、違うんですっ! 忙しいかと思って……!」

「最近は早く帰れていただろう?」

「うぐっ…………あ、アンデット系は苦手かなって……」

「特に苦手はないが」

「で、ですよね…………あ、行くのが深夜なので仕事に差し支えるかもと……!」

「一日くらいの徹夜なら何ともないな」

「むぐぐ…ッ」

「エルレイン?」

「えーとえーと…………ふ、副団長さんに! ネチネチ言われると思ったから、ですっ!」

「あぁ、なるほど」

「なぜそれで納得します?」



 ヤケクソで言ったらユリウスさんは納得してくれたけど、副団長さんの笑顔が怖くなった。でも、ユリウスさんのしょんぼりが消えたのでよかった。

 あとはこの、顎に添えられている指を外せれば――



「た、頼りにしてますっ! どうぞよろしくお願いしますっ!」



 ガシッ! とユリウスさんの手を両手で包むように掴んで下げて、ぎゅっと握る。

 顎から手が離れて、ほっと息をつく。


 そして今度はふと、両手で握り締めているユリウスさんの手に意識が向いて。

 自分より大きな手は骨張っていて硬い。ドラゴンを素手で殴れるくらい頑丈なことも知っている。


 けれど、私に触れる時はいつだって優しくて温かくて。嫌だと思ったことは一度もなくて。

 自分からこうやって触れたのは初めて――



「あ……」



 バッと視線を上げる。こちらを見ていたのか、一瞬で目が合った。

 顔が熱い。たぶん赤くなっていると思う。



「あ、あの……」



 言い訳を。必要以上に手を握っていたことへの言い訳を。

 あ、その前に手を離した方が――



「エルレイン」



 淡い微笑みが浮かんでいる。



「任された」



 落ち着いた声音が聞こえた。

 そしてゆっくりと、握っている手が持ち上がって、ユリウスさんの口元へ。手には、柔らかな感触。



「…………みゃッ!?」



 口付けられた。

 間をあけた奇声と共に、ぼふんっと音が鳴りそうな勢いでさらに顔が熱くなる。

 言葉が出ず、口をぱくぱくさせながらユリウスさんを見つめていると、なぜかニッコリ微笑まれる。



「黄泉の霊園は王都から少し距離があるな。近くの町で一泊していくか?」

「え……えっ?」



 パチパチと目を瞬かせる。

 確かにユリウスさんが言う通り、黄泉の霊園までは少し距離がある。行って帰れない距離ではないけれど。

 でも泊まれるなら、少し楽かも――



「団長。素材が取れたらすぐに帰ってきてくださいね。貴方なら泊まらずとも余裕でしょう?」

「お前……」

「何か?」



 キラキラと輝く笑みを浮かべた副団長さん。誰もが見惚れそうな極上の笑顔なのに……圧がすごい。許してくれそうな気配が隙間もない。



「繁忙期でなくとも仕事はありますから。それに、一日くらいの徹夜なら何ともないと言ったのは団長ですし」



 ユリウスさん、言質取られてます。反論のしようがありません。



「あと、絶対にないとは思いますが。無断欠勤なんてやめてくださいね、団長? もしそんな暴挙に出たら、遠方の長期任務ぶち込みますから」

「…………わかった」



 完全敗北したユリウスさんが隣で深い深い溜め息をついた。

 きっと、キラッキラの笑顔を浮かべる副団長さんのアレは“脅し”じゃなくて、“本気”なんだろう。だって、ユリウスさんが隣で意気消沈してるから……。

 副団長さん、やっぱり怖い人だ。




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