#27 亜人と人間
お姉ちゃんはその暴力に、理由なく、と言っていたけど、一応、理由はあったわけだ……、
ただ、その理由は、理不尽なものだった。
人間の男が、亜人の彼の頭を踏んづけた。
わたしは、頭が、かぁっとなった。
思わず出て行きそうになったわたしを、サヘラが止める。
わたしの敵意は、止めてくれたサヘラに向いてしまっていた。
「私たちは亜人だけど、見た目は人間側に寄っている。
だから、亜人だというぼろを出さなければ、あの亜人の人みたいに、攻撃されることはないと思う――、
でも、ここであの亜人を助けたら、亜人を毛嫌いする人が多いの国では、わたしたちは敵対者になる。
そうでなくとも、私たちは、怒ると瞳が竜のそれに見えるんだから……亜人だって、すぐにばれちゃうよ」
あの亜人の彼を、見捨てる――、サヘラは、そう言いたいの?
「それに、亜人は人間に手を出せない、というルールが、この国にはあるらしいし。
それを破った場合、タルト姉がどうなるか、予想がつかない。
はっきり言うよ。
私はあの亜人よりも、タルト姉を守りたい。
そのためなら、あの亜人を見捨てても、私は構わない」
サヘラにも怒りはあるのだと思う。
瞳が竜のものに変わっていた。
わたしとサヘラの視線がぶつかる。
「あの亜人の人は、とてもがまんをしている。
だって私たちでさえ、こんなにムカついているのに、実際に攻撃されているあの人が、ムカついていないわけがないんだから。
もしもここでタルト姉が助けたら、あの人のがまんは、無駄になるんだよ?
問題なくやり過ごそうとしていたあの人の努力を、なかったことにしていいの?」
「サヘラ、誤解してるよ?」
わたしはサヘラの勘違いを正す。
わたしの目的は、助けるためではない。
「わたしは、ただあいつら、ムカつくから――懲らしめたいだけ」
その過程で、あの亜人が助かるのなら、それはそれでいい。
手段であって、目的ではないのだから。
「……止めても無駄だって、分かっていたけど」
溜息を吐くサヘラは、しかし微笑んで、
「……穏便に、ね」
可能な限り、努力してみる。
――わたしは本棚の陰から身を出し、亜人の彼の後ろに立つ。
頭を踏みつける人間の男が、あ? とわたしを睨み付けてくる。
「おじさん、この人が可哀想だよ」
「おじさ……ッ、おい、俺はまだ二十代だ!
つーか、ガキ、大人の話し合いに、混ざってくるんじゃねえよ。あっち行ってろ、しっしっ」
「話し合い? おじさんが、一方的にこの人をいじめているようにしか、見えないけど」
「うるせえなあ、だから――、っ!?」
人間の男が、怯んだ。
わたしの目を見たからだろう。
竜が威圧する時に見せる、瞳。
そして、わたしは翼を広げる。
人間の視線が、翼に釘付けになる。
息遣いと共に口から漏れ出る炎に、男たち二人は、完全に怯えていた。
しかし、男は恐怖を押し殺し、わたしを指差し、叫ぶ。
「お、お前も亜人だったのかっ! なんだ、仲間がやられて、ご立腹ってわけか!?
だけどなあ、この国では亜人が人間に手を出すのは、重罪なんだよ――、重罪だ、分かってんのか!?
てめえは、一生、牢獄の中で過ごすんだよ、間抜けぇ!」
「――知らないよ」
もしもここで攻撃をし、捕まり、一生を牢獄で過ごしても、後悔はない。
「やりたいことを好きな時にできない方が、わたしにとっては、後悔だから」
穏便に、というサヘラのお願いは、聞けそうにもなかった。
今にも逃げ出しそうな男たちは、
しかし、大きな顔をするわたしに向けて怒りが戻ったのか、近くにあった分厚い本を投げた。
そんなもの、当たったところで、変身をすれば痛くも痒くもないのだが……、
しかし結局、その本は、わたしには当たらなかった。
仲裁に入った、一人の女性の頭に、強く当たったおかげで。
額から血が流れる。
庇った彼女は、ロワお姉ちゃんにも負けない、短く美しい、銀髪をしていた。
「やめなさい」
透き通るような声。
しかし怒りに支配されていた男たちは、邪魔をするなァ! と、力強く叫ぶ。
だが、男は言葉を発してから、はっ、として、気づいた。
「あなた方に、私はなにも致しません。ですから、下がりなさい」
「申し、わけ、ありません……」
二人の男は、弱々しくそう言って、逃げるように去って行った。
「大丈夫ですか?」
宝石のようにきれいな女性は、倒れていた亜人の彼に、手を差し伸べ、身を起こさせる。
そして、振り向き、わたしに微笑んでくれた。
「あなたも――大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫」
それは良かった、と、
ドキッとするような、笑顔を向けられた。
「余計なことをしやがって……ッ」
猫の亜人が、目を伏せながら吐き捨てる。
額から流れる少量の血を、腕で拭った。
「申し訳ありません……」
「いや、あんたには言っていないが……」
となると、残ったのはわたしだけなので、わたしに言っているのか。
同じように額から血を流す女性は、自分の頬を伝うそれを、拭いもしなかった。
取り出した真っ白なハンカチを、亜人の額に当てようとする。
「やめろ、あんたの方が大怪我だ。そのハンカチは、あんたの額に当てるべきだ」
「しかし……」
どちらも退く気がなさそうだったので、
わたしは手を伸ばし、女の人が握っていたハンカチを、ひょいっと奪う。
そして、優しく額に当ててあげた。
女の人は、驚いた様子でわたしを見つめてくる。
「ありがとうございます」
「どういたしまして!」
「――お前」
と、亜人がわたしを見下ろしてくる。
咄嗟に女の人が、わたしの前に手を出し、庇ってくれているが、きっと必要ないと思う。
この人は、怒っているわけではないのだ。
「余計なことをするな。あのままやり過ごしていれば、反応のない俺に飽きて、あいつらはどこかへ行くはずだったんだ。
少しの辛抱なんだよ。それが、お前が介入してきたことで、あいつらの興味は尽きていないままだ。
これから俺とお前は、この国であいつらの視界に入れば、理不尽に暴力を振るわれるんだぞ――分かっているのかッ!?」
あの人間たちが、噂を流せば、国が敵になる可能性もある――そうも言っていた。
「でも、助けたかった」
「……」
目の前の亜人は黙ってしまった。
やがて、ゆっくりと口が開く。
「俺を、巻き込むな。
俺はがまんして、あいつらに興味を失くされる方が良かった。
だが、お前のせいで、俺のあのがまんが無駄になり、理不尽な暴力はこれからも続く――お前のせいでな。
どうしてくれるんだ、お前は責任なんて、取れないだろうッ」
「そんな言い方は――っ」
思わず言い返してしまったのだろう女の人の声を遮り、わたしは言う。
「そのあとのことなんて、わたしは知らない。
わたしは今、助けたかったから助けた。
自分がやりたいことを、勝手にしただけ。
だからお礼も見返りもいらないよ。わたしがこれからなにをしようと、気にしなくていいからね」
そうかよ、と亜人は乱暴に言い、背中を向けた。
彼がこの後、このままこの国に滞在するのかは分からない。
今回のことで、すぐに出て行ってしまうかもしれない。
わたしのせいで、と言われた……、でも、わたしは今回の行動に、後悔はなかった。
だから、後ろめたさなんて、まったくない。
「……頼んでいないが、まあ、助かった。お前も、気をつけろよ」
「お兄さんも気を付けて!」
手を振るわたしを無視して、亜人は去って行く。
隣に立つ女の人が、ぼそりと呟いた。
「早く、なんとかしないといけませんね……」
「そうだね、まだ血が止まらないし……、若干、お姉さんの肌、赤くなっているよね?」
いけないっ、と女の人が上品に口に手を当て、近くに転がっていた傘を取りに行く。
わたしを庇う時に、邪魔だから、と放り投げたものだと言う。
見た目に合った白い傘を広げる。
すると、肌の赤みも、やがて元の白さに戻っていった。
「私、肌が弱いのです。ですから室内でも電球やランプの明かりで火傷してしまうのですよ」
「不思議な体質だねー。……って、血! だから垂れてるって!」
「あら、まだ止まっていなかったのですね」
一旦、離れてしまったのん気なお姉さんに、再びハンカチを当て、急いでサヘラを呼ぶ。
このどこか抜けたお姉さんは、放っておくと血を流したまま、国を歩き回りそうだ。
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