#24 雛鳥の王国

 予想通り、オオトカゲが数十体、集まっている場所に、

 見たことのない種類の解毒草が生えていた。


 葉の形を見て、サヘラが、

「あれだ……!」と声を上げる。


 わたしの後ろから、お腹に手を回すサヘラが、不安そうな視線をわたしに向ける。


 クワガタの羽音に気づき、散っていたオオトカゲたちが集まってきた。


 わたしたちを見上げ、次々と吠え出した。

 解毒草に近づけさせないと、自分たちの体をバリケードのように使っている。


 オオトカゲに翼がなくて良かった、と思う。

 もしも翼があれば、空中を旋回することで考えをまとめるための時間稼ぎができないからだ。


 旋回しながら、オオトカゲの様子を見る。

 バリケードには穴も隙間もなさそうだった。


 地に降りれば、引き返せない。

 集まった数十体のオオトカゲに、噛み付かれてしまう。

 牙にかすっただけでも致命的だ――毒が回れば、逃げてもいずれは命を落とす。


 しかし逆に、解毒草さえあれば、毒が回っても大丈夫、とも取れる。


「――あ、そっか……」


 解毒草があるのだから、毒なんて、関係ないのだ。


「クワガタくん、サヘラのこと、よろしくね」

「――タルト姉!? なにをする気なの!?」


 わたしは、オオトカゲのバリケードの中心、

 開いたそのスペースの真上を飛んでいたところで、


 クワガタの背中から体を乗り出した。


 オオトカゲがいない地に足をつける。


 クワガタの上からサヘラの叫び声が聞こえたが、それに答える暇はなかった。


 外側に向いていたオオトカゲの視線が、内側のわたしに向く。

 ナワバリに入ったわたしに、ばしばしと敵意がぶつかってくる。


 それよりも、わたしは自分の体よりも大きい、葉っぱを見つけた。

 解毒草を集めた雛鳥のように、葉っぱ一枚を、まるごと持って行く必要はない。


 手の平サイズに千切った葉っぱの欠片を、数枚と持って帰れば、じゅうぶんに解毒草としての役割を果たせるだろう。


 もしも足りなければ、また取りにくればいいだけだ。


 わたしは迫るオオトカゲには目もくれず、目的の葉に手を伸ばす。

 指先が葉に触れた瞬間、鋭い激痛が足から伝わってきた。


 視線を下げると、オオトカゲの一体が、わたしの足に噛み付いていた。

 噛み付き、さらに力を加える。

 みしみし、と内側から骨が歪む嫌な音が聞こえたが、気のせいなのだと信じたい。


 気が付けば、両足共に噛み付かれている。

 伸ばした腕はまだ健在だが、片方の腕は噛まれ、下に引っ張られている。

 そのせいで、伸ばした手が葉から離れてしまう。


 噛まれた腕に、黒いなにかが、広がっていく。


 それは巨大過ぎるこの場では珍しい、小さな生物だった。


 粉のような小ささだった。

 わたしは構わず手を伸ばす。


 黒い生物が体に広がったら、毒が回るのも時間の問題だ。

 毒が回ればやがて動けなくなる。

 その前に、葉を千切り、サヘラの元へ戻らないといけない。

 いくら解毒草を掴めても、それを使える立場にいなければ、努力に意味はない。


「うっ……」


 いきなり体が重くなったと思ったら、オオトカゲがわたしの背中に飛び乗り、体重を乗せていた。

 飛び乗ったのは、わたしの首に噛み付くためだった。

 耳元で鼻息の荒い息遣いが聞こえる――、

 怯んではダメだと、わたしは自分に言い聞かせる。


 黒いなにかが、わたしの顔にまで侵食してきた時、

 わたしは掴んだ葉から、数枚、千切ることに成功した。


 決して、それを離さず、

 わたしは数体のオオトカゲを体にくっつけながら(噛み付かれながら)、歩き進める。


 オオトカゲのナワバリを出ても、噛み付いたオオトカゲは、離してはくれなかった。

 その牙の喰い込み具合から、決して離さないという、執念を感じる。


 そして、怒りの形相を浮かべる、サヘラが目の前に見える。


 ……毒にやられて、幻覚でも見えているのかな?


 ― ― ― ― ― ―


「――離せ」


 その一言で、タルトに噛み付いていたオオトカゲが距離を取った。


 サヘラの目を見て、まるで自分よりも大きな竜に大口を開けられ、

 今、まさに食べられそうになっている幻覚を、オオトカゲたちは体感していた。


 大量の汗が流れ落ち、体の表面が乾いていく。

 頬がこけたような、不健康な顔に変え、オオトカゲはナワバリの中へ戻って行った。


 虚ろな目をしたタルトは、決して握った解毒草を離さず、体を前に倒す。


 サヘラはタルトを胸で受け止め、目を覚ましたら怒鳴り散らしてやろうと決意をした。



 クワガタに乗り、倒れる雛鳥の場所へ戻る。

 虫、というだけで嫌っていたが、献身的な態度から、サヘラはこのクワガタのことを、仲間として認めていた。

 近づくことで感じる嫌悪感を、今はまったく抱いていない。


 クワガタもサヘラと同じように、タルトを心配しながらも、タルトの無謀な行動と自己犠牲に、怒りを覚えていた。

 気が合う仲間に、サヘラも他人とは思えなくなっていたのだ。


「なんで、タルト姉にそんなに協力的なのか、疑問だったんだけど、そっか……」


 背中を撫でながら、サヘラは納得する。


「タルト姉が、助けたクワガタなんだね……、

 最後は痺れさせちゃったけど、タルト姉のせいでもあるんだけど、それでも、一生懸命、薬草を探していたんだもんね」


 サヘラは知らないが、その前にも、タルトは他のカブトムシに虐められていたこのクワガタを助けている。

 だからこそ、このクワガタはタルトに恩義を感じ、助けているのだ。


「タルト姉は無茶ばっかりするけど、それによって、助けて得た輪は、こうして巡り巡って、戻ってくるんだね」


 そういう計算を、タルトはしていないだろうと、サヘラは思う。


 それを素でやってのけてしまうのが、タルトが誰からも好かれる理由なのだろう。


「遠いなぁ」


 憧れは、遠く、掴めないところにある。



 ― ― ― ― ― ―



 目を覚ました時、体が軽い感じがした。


 意識を落とす前、オオトカゲに噛み付かれていたから、という意味ではなく。


「タルト姉、気分はどう?」


 サヘラが、わたしが採った解毒草を食べやすいようにすり潰しているところだった。

 作っている最中ではあるが、もう既に、わたしも、倒れていた雛鳥にも、薬は飲み込ませたらしい。

 今はわたしと雛鳥、目を覚ますのを待っていた、とサヘラが説明する。


「なんだか、スッとした気分……もしかして、その解毒草のおかげ?」


「ううん。

 疲れを取る薬草が、さっき大量に持ってきてくれた中にあったから、それも一緒にタルト姉に飲ませてあげたんだよ。

 毒は当然ないし、気怠さもないでしょ?」


「うん、今ならなんでもできそうなくらい、元気があり余っているよ!」


「そう、じゃあ良かった」


 サヘラは笑った。

 でも、なんだろう、ちょっと感情が、黒い気がするが……。


「正座――早く」


「はい……」


 思わず、はい、と敬語になってしまった。

 サヘラの威圧感が成長している。


 ますますロワお姉ちゃんのようになってきたなあ、と、

 成長に喜んでいいのか、二代目ロワお姉ちゃんの誕生に、嘆いた方がいいのか、胸中はごちゃごちゃだった。


 サヘラは仁王立ちだった。

 そして、

 くどくどくどくど、わたしの無茶な行動の非難が始まった。


 口答えは許されず、なにかを言えば、

「なに?」と、苛立ったサヘラに強めに睨まれるという、どっちが姉なのか分からない構図になっていた。


 心配をかけたのは、わたしの方だし、仕方ないとは思うが……。


「でも、二人とも助かったよ」


 わたしも、雛鳥も。

 もちろん、サヘラがいたから、助けられた命でもある。


 だから、


「ありがとう、サヘラ」


「……お説教の最中に、お礼を言わないでよ。

 ……もう、萎えちゃった。

 どうせここで、無茶しないでよ、って言っても、

 どうせタルト姉は、その時になれば自分の思うように、勝手に動くんだろうし――さっ!」


 つんっ、とそっぽを向くサヘラの気持ちも、分からないわけではない。

 わたしだって、無茶をしていると自覚はある。


 まあ、目の前のことに夢中になると、無茶をしているという自覚も、すっかり忘れてしまうのだが。

 ……困ったものだ、自分のことなのに。


「ごめんねー、サヘラー」


 そう言って、サヘラに抱き着き、ご機嫌を取るので精いっぱいだった。


 数分で、サヘラが機嫌を直した。

 ……お姉ちゃんは、そのちょろさに心配だ。


「わっ――」


 わたしの服になにかが引っ掛かり、体が持ち上がった。

 犯人は、わたしが目覚めるのをずっと待ってくれていた、クワガタだった。


 顎の先でわたしを持ち上げていた。

 しかし、すぐにわたしを下ろす。

 どうやら、わたしを呼んだだけのことらしい。


「あなたも、背中に乗せてくれてありがとう。男の子なら、今度は負けちゃダメだからね!」

「タルト姉、この子の正体に、気づいていたの?」


 昨日、わたしが助けてあげた、いじめられていたクワガタだ。


「そりゃあ、気づいていたよー。

 でも、あれ……? じゃあ、なんでこんなに大きくなっているの?」


「あ、それは気づいていなかったんだ……」


 サヘラは気づいていたらしい、と言うが、ついさっきのことだとも白状した。


 大きくなった今が異常なのか、

 それとも小さかったあの時が異常だったのかは、わたしたちには分かりようもないことだった。


「今まで普通に受け入れていたけど、

 巨大な昆虫や、巨大な雛鳥も、本当に大きかったのか、怪しくなってきたよね……、

 まるで、全部が突然、大きくなったみたいな……」


「え、でも、実際に大きいし、そういう魔獣なのだと思っていたよ。

 じゃあ、なんでわたしたちは大きくなっていないの?」


「私に言われても、分からないけど……」


 現状、考えても答えの出ない疑問に、時間を割くこともないと思い、素直に諦めた。


 すると、顎の先でわたしの頭をぽんっ、と撫で、背中を向けるクワガタ。


 羽を広げ、その体を浮かせる。

 語ることはもうないと、そのまま森の中へと、消えて行った。

 最後に頭を撫でてくれた、それだけで、なにもかもが、伝わったのだから。


「また、どこかで会おうね……っ」


 羽音が聞こえなくなるまで、わたしは手を振り続けた。



 元気になった雛鳥も、疲れが取れる薬草を一緒に飲んでいたらしい。

 今にも羽ばたき、飛びそうなほど、元気があり余っている中、

 わたしとサヘラをくちばしでくわえて、スキップをするように道を進む。


 さすがに、わたしたち二人を持ちながら飛ぶのは、危険が多いらしい。


 気遣って歩いてくれるのは、嬉しいけど、この移動も揺れが多くて、居心地が良いとは言えなかった。


 そして、森の出口が見えてきた。

 正確には、森はまだ続くのだが、茂みが多い場所は無事に抜けられた。

 最後は雑に、雛鳥はわたしとサヘラを茂みの中から放り投げた。


 尻もちをつくわたしが、ちょっと! と後ろを振り向くと、

 近くにいるはずの雛鳥は、既にそこにいなかった。


 なにが起きたのか分からず放心している中、

 視界の奥で、ちょこまかと動く生物を見つける。


 それも、黄色だった。


「あの、雛鳥……って、もしかして」

「うん。私たちが助けた……あの子だよね?」


 小さく、なった――? 

 ううん、なんだ、非常にややこしい……。


「わたしたちが小さくなって、

 昆虫たちがわたしたちくらいに大きくなって、

 オオトカゲは、わたしたちくらいに、小さくなって……、雛鳥は、じゃあ――」


「大きくなっていなかった、のかな」


 あの雛鳥だけが大きく見えるように……、

 しかし、もう一匹の雛鳥も、同じく大きかったし……。


 雛鳥という、種族自体が、大きさそのままに、それ以外の生物のサイズが、統一された……? 

 サヘラと相談しながら出した答えが、それだった。


「あ、じゃあ、小さかったから、わたしの攻撃は、あんまり相手にダメージにならなかったのかも。

 逆に、向こうの攻撃も、わたしには大したダメージになっていなかった」


 サイズが統一されたから、攻撃力も統一された、と考えるのか。


 頭がパンクしそうで、考える気力が削られる……。


 それにしても、どうしてそんな不思議な現象が――。


 ああ、そうか、とわたしは気づく。


「――これが、外の世界」


 自然と、笑みがこぼれる。

 わくわくが、心の中で増幅した。


 不思議なことは、まだまだ、これから、たくさん見ることになるのだろう。


 後ろの道を見つめ続けるわたしを心配して、サヘラが声をかける。


「タルト姉ー、行こうよー! もう少し歩けば、古書の国に辿り着けるよー」


「――いま行くー!」


 そして、


 わたしたちは、古書の国に辿り着く。

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