#23 弱肉強食
体の大きさに合わない素早さで、地面を歩く音が聞こえた。
振り向くと、オオトカゲがわたしの足に噛み付こうとしている瞬間だった。
咄嗟に、足を引っ込める。
噛まれたら、口の中にいる、あの黒いなにかが――、
わたしに纏わりつくことを考えたら、ぞっとする。
噛み付きに失敗したが、オオトカゲはそのままわたしに体当たりをした。
わたしは踏ん張れずに倒れるが、痛みは、あまりない。
体当たりの勢いは強かった気がするのに……。
「あ……」
わたしが倒れた位置は、後ろにいた別のオオトカゲの、足元だった。
首を差し出した死刑囚のように、わたしの首はオオトカゲにとって、噛みつきやすい位置にあった。
鋭い舌が出たり、引っ込んだりを繰り返す。
――逃げなくちゃ……、
そう思い、翼を広げようとしたが、気怠さと共に翼を広げることができなかった。
魔力不足……だ。
わたしはさっき、炎の玉を吐き出した。
高威力の代わりに、一度吐き出せば、それだけでほとんどの魔力を消費してしまう諸刃の剣。
完全にゼロではないから、翼くらいは変身できるだろうと思っていたが、あてがはずれた。
これなら腕を変身させて、オオトカゲの噛み付きを防いだ方が、良かったかもしれない。
「ちょっと待って! わたし、敵じゃないよ、ほら!」
両手を挙げるが、オオトカゲにとっては関係ない。
弱い者は食べられ、強い者が食べて、生きる。
わたしがオオトカゲの命を脅かすような敵ではなかったとしても、だから関係ないのだ。
弱い者だからこそ、オオトカゲにとっては狩るのに体力を使わない、絶好の獲物。
大きく広がった口が、わたしの首に狙いを定めた。
一か八か、迫る口を手で止めようとしたが、
それよりも早く、オオトカゲの体が真上に飛んでいった。
重力に逆らえなくなったところで落下する。
地面に叩きつけられたオオトカゲは、ぴくぴくと小さな動きで、もがいている。
「さっきの――クワガタくん!」
わたしを助けてくれたのは、
さっき、俺に任せて先に行け、と背中で語ってくれた、クワガタだった。
人を判断する時と一緒で、虫にだって個性的な顔がある。
わたしはそれで、このクワガタがさっきのクワガタだと判断できた。
クワガタの黒光りする背中には擦り傷があったが、ダメージにはなっていないようだった。
顎の開閉、足の動きも、俊敏だ。
「さっきのカマキリと、オオグモ、倒してくれたの?」
僅かな動きだが、頷いてくれたのだと分かった。
「かっけー!」
と、思わず驚いた隙に、残りのオオトカゲの二体が、クワガタに噛み付いた。
口の中の黒いなにかが、クワガタに纏わりつこうとするが、
オオトカゲの牙は堅い背中に阻まれ、突き立たない。
黒いなにかも、背中を滑り、断念したのか、再び口の中に戻っていく。
横薙ぎに顎を振るったクワガタにより、オオトカゲたちが飛ばされる。
これまでとは景色ががらりと変わった巨木に、オオトカゲの体が叩きつけられる。
ばたばたと倒れるオオトカゲは、立てないらしい。
起き上がっては、足が崩れ、お腹を地面につけている。
すると、クワガタが顎で指示してくる。
「え、乗れって……?」
背中を示してくれたので、わたしは好意に甘えて飛び乗った。
すると、クワガタの羽が広がり、羽音を響かせながら体を浮かせた。
わたしがどこに行きたいのか、分かっているような気の利き方だった。
サヘラが連れ去られた方向へ進む。
下を覗くと、隠れて姿の見えなかったオオトカゲたちが出てくるのが分かった。
数十体が集まり、上を見上げる……、わたしたちを目で追っていた。
オオトカゲが集まっている周辺には、カマキリが重なって倒れていた。
死んではいないらしいが、毒が回ったように、痙攣していた。
動けるカマキリもいたが、立ち上がって歩こうとしても、前に進めず、
その場でぐるぐると回って、その場から移動できずにいた。
「毒が回ったように、というか、毒が回っているんだ……」
オオトカゲの口の中にいた、蠢く黒いあれは、毒なのだ。
正確に言えば、蠢く黒い生物が、相手に纏わりつき、毒を注入するのだと思う。
毒に侵された生物は、カマキリのように身動きが取れなくなり、
逃げようとしても体が言うことを聞かず、オオトカゲの近くから離れられない。
そうして弱ったところを、生きたまま捕食するのが、あのオオトカゲのスタイルなのだ。
幸い、その毒は堅い背中を持つクワガタには通用しなかった。
わたしを庇ってこの子が倒れなくて本当に良かったと、心の底から安堵する。
しばらく飛んでいると、視線の先に黄色い雛鳥が見えた。
虫にとって鳥は天敵のはずだが、わたしを乗せたクワガタは驚く様子がなかった。
怯まずに近づいて行くのは、わたしと同じように、サヘラの存在に気づいたからなのかもしれない。
「サヘラー!」
「あ、タルト姉!」
わたしを見て笑顔を見せるが、わたしを乗せたクワガタを見て、うっ、と顔をしかめるサヘラ。
苦手なのは、じゅうぶんに分かっている……、
しかも手の平サイズではなく、自分と同じくらい、大きいのだから。
気持ちは分かるが、だとしても失礼だと思う。
着地をした後、背中から降りる。
ありがとう、と背中を撫でた。
「タルト姉、それ以上、近づけさせないで……っ。私、虫は苦手なんだから」
「お姉ちゃんの命の恩人にその態度はないと思うよー。
見た目じゃなくて、中身を見て欲しいもんだね、まったく!」
傷つき、可哀想なクワガタに身を寄せる。
クワガタは不思議そうにわたしを窺った。
サヘラに拒否されても、傷ついたわけではないらしい。
「苦手もあるけど……、それに、たとえ虫でもタルト姉に近づく者を迂闊には信用できないよ。
いくら優しくされても、もしかしたらタルト姉を利用するための、信頼を得ようとしているのかもしれないし……」
「サヘラ、そんなに疑り深いから、友達ができないんだと思うよ」
「え……」
愕然とするサヘラは、目の前が真っ暗になったように、ショックを受けた表情を浮かべる。
「じゃあ、私、一生、友達ができないってことに……」
「なーんてね、そんわけないよサヘラ。……って、疑り深い自分の癖を直す気はないんだね……」
落ち込むサヘラを反射的に慰めてしまったが、サヘラの自業自得だった。
「そりゃそうだよ! 疑うことをやめて、タルト姉に変な虫でもついたら嫌だもん!
私が見極めないと、タルト姉は誰でも彼でも信じるんだから!
そのクワガタだって、私はまだ信用していない! 隙を見て、タルト姉を食べるかもしれないんだよ!?」
「サヘラッ! この子はわたしを助けてくれたの……、
助けてくれなかったら、わたしは間違いなく死んでいた――だから、この子を悪く言わないで!」
うっ、と一歩引いたサヘラから、溜まった熱が引いていくのが分かった。
目を伏せ、ちらっとわたしとクワガタを交互に見る。
「なんでそんなに、タルト姉に信頼されて……」
とぶつぶつ言っていたが、サヘラはすぐに、ごめんなさい、と謝った。
「タルト姉を、助けてくれてありがとう。
……でも、私は虫が、苦手で……あんまり近づけないけど、許してくれる?」
「気にしないよ、って言ってる。サヘラも早く、苦手な部分を克服しないとね」
「そ、そうだね……」
クワガタを見て、重心が後ろに傾いているサヘラ。
苦手なことを知っていて、無理やり近づけさせるのは、わたしのやり方ではない。
こればっかりは、サヘラが自分で克服するしかないのだ。
すると、わたしたちがきた道とは反対方向の道から、
スキップをするような軽快さでこの場に現れた、巨大な雛鳥がいた。
いや、さっきから目の前には、同じ種類の、黄色い雛鳥がいるのだが……。
誰も警戒していないのは、その雛鳥が死にかけているからだろう。
横になって、呼吸が早い。
眠っている息遣いではなかった。
内側からの攻撃に、苦しんでいる……、必死に、耐えている様子だった。
現れた方の雛鳥は、わたしたちに視線を向けるも、すぐにサヘラの方へ向く。
くちばしに加えた、大量の草を、サヘラの目の前に置いた。
「あ、さっきサヘラをくわえて行った、あの雛鳥だ……」
倒れている雛鳥が、知らない顔だったから違和感があったが、腑に落ちた。
サヘラを攫ったのは、もしかして、この雛鳥を助けてほしいと、お願いをするため?
「うん、そうなの。
この子が倒れたのは、魔獣に噛まれて、体に毒が回ってしまったから。
その毒を抜くために、解毒草が必要になるんだけど……」
そう言って、サヘラは運ばれてきた大量の草を掻き分けて、一枚一枚、調べていく。
一般的な緑色から、明るい緑、濃い緑、黄緑……色だけではなく、形も確認しながらじっと観察をする。
運ばれてきた草や葉っぱは、かなり大きい。
布団代わりになるような葉っぱがあるくらいだから、大きいことがおかしなわけではないが……、
逆に、小さい草がないことが不思議だった。
「……やっぱり、ない」
「解毒草? ……だったら、わたしも探しに行くよ。どういう形をしているの?」
「ううん、いいよ。元々、あるかも分からないものだったから」
サヘラは本で得た知識を引っ張り出し、協力をしていたらしい。
ここにある草は、どれも一応は、解毒草であるのだが、
倒れている雛鳥の体の中にある、毒に効くものではないらしい。
探しに行った雛鳥は、この森の、ほぼ全ての解毒草を探し、見つけてくれたらしいのだ。
この場になければ、もう、欲しい解毒草はこの森には存在しないことになる。
もっと遠くに行けば、可能性はあるかもしれない……、
しかし、探している間に、倒れている雛鳥は、力尽きてしまう。
「私たちが手を加えるべきではなかったんだよ。
だって、ここは弱肉強食の世界で、この子は、敵に噛まれてしまった。
食べられずにここまで逃げられただけでもじゅうぶんだよ。
毒が回って、意識と感覚があるままに食べられるよりは、毒が回り切ることで死ぬ方が、良いのかもしれない……」
決して、サヘラだって、良い結末だとは思っていない。
サヘラらしい、考えた末の、答えだった。
わたしは倒れている雛鳥に近づく。
呼吸が荒く、つぶらな瞳はほとんど閉じている。
体が震え、体温が低下しているのかもしれない。
雛鳥がわたしに気づく。
口を開けた時、よく見知った、黒い『なにか』が、口の中で蠢ているのが見えた。
「……この子を噛んだのは、あの、オオトカゲ……」
あのオオトカゲは群れで動いていた。
外からこの森へ入ってきたのではないだろう。
もしも外来種なのだとしても、群れができる程にこの森に棲んでいれば、生態系による調整が、環境に影響を与えるはず。
つまり、解毒草は必ずどこかにあるはずだ。
「ほぼ、全ての解毒草を探して……?」
全てを網羅できるとは、雛鳥も思ってはいないだろう。
だからこそ、サヘラもそういう言い回しをしただけかもしれない。
でも、ほぼ、ということは、僅かでも探していない箇所が、あるのかもしれない。
思い当たる場所があった。
たとえこの雛鳥が、クワガタやカマキリ、オオグモ、オオトカゲよりも大きいのだとしても、
噛まれたら毒により倒れてしまうと分かっていて、オオトカゲに近づくか――。
近づかないだろう。
そこに解毒草があったとしても、採る前に死んでは意味がない。
わたしは倒れて、苦しんでいる雛鳥の頭を撫でる。
「もう少しだけ、待っててね。大丈夫、わたしがあなたを、助けてあげる」
「タルト姉……どうして?」
サヘラはわたしの言葉に、否定的な表情を向ける。
「この子はオオトカゲに負けた。
陰謀だとか、誰かに利用されたとか、胸糞悪くなるような、特別な理由じゃない。
自然の成り行きとして、戦って、負けた。こう言うのもあれだけど、多分、きれいな死に方だと思う」
言い方はきれいではないと、サヘラも自覚しているらしい。
だからこそ、ばつの悪い表情だった。
「わたしたちがわざわざ危険を冒してまで、解毒草を探して、この子を助ける必要はないんだよ。
森の中には魔獣がいる、巨大な昆虫がいる。この子みたいに、わたしたちも毒で倒れてしまうかもしれない。
そうなったらと思うと……、
だから、わたしたちには魔獣を助けるメリットなんてないの。わたしたちが無理をする必要なんか、どこにもないの」
「じゃあ、見捨てろって言うの?」
「看取ってあげようって、思うの。この子の最後を、一緒に」
サヘラの冗談ではない真剣な目に、そういう選択肢もあるのだと、わたしは感心する。
だけどやっぱり、わたしは諦め切れない。
この子にはもう約束をしてしまったから――、
そうでなくとも、わたしがこの子を、助けたいと思ってしまったら、動かないわけにはいかない。
「危険なのは知っているよ。
ここにくるまで、何度も襲われて、何度も死にかけて、
このクワガタくんが助けてくれなければ、わたしはここにはこれなかった。
サヘラにも、もう二度と会えなかった――、
わたしだって、死にたくないよ……でも! わたしはこの子を助けたいと思ったの。
……わたしたちが助ける必要は、ないかもしれない。
弱肉強食の世界に踏み込む必要は、ないかもしれない。
だけど、助けたいっていう気持ちを抑えることなんて、わたしにはできない!」
「お姉ちゃん、かっけー……」
「サヘラ……?」
「ううん、タルト姉ならそう言うだろうなー、って、そう思っていたから、予想通りかな。
私が憧れた、ヒーローみたいなタルト姉は、こうでなくちゃっ、て。
うん、タルト姉のわがままは今に始まったことじゃないし、しょうがないなあ。
行こう、タルト姉。この子を助けるために、解毒草を見つけに!」
こうして、
わたしとサヘラは共に、解毒草を見つけに飛び立った。
……嫌がるサヘラをクワガタの上に乗せるのが、一番大変だったと思う。
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