――東京怪異怪談――

28号(八巻にのは)

それ、いる


 東京都西部。

 ベッドタウンの片隅にある小さな町に、私は幼い頃から暮らしている。


 この辺りは丘陵を切り崩して作られた場所で、広範囲に団地が建ち並んでいる。

 ただ私達の町は他の場所より交通の便がわるいせいで開発が後回しにされ、その後経済が悪化。開発の多くが頓挫し、私の住む団地の周りは無駄に緑が多い上に道路の整備も中途半端という有様だった。


 小山もかなり残っており自然は豊かだが、それを売りにするほど魅力的な物件もない。

 故に都内にしては人の少ない場所だったが、いくつかの高校や大学が新社屋を構えたことで、学生の数は増加傾向にある。

 重ねて数年前に都心への主要路線とをつなぐモノレールが出来たお陰で多少は活気も出て来たが、それにつれおかしな人の出入りも増えたと、大人たちはため息をこぼしていた。



 その中でも良く名前が挙がるのは『一番線ホームのおじいさん』だ。

 特に私の高校では、彼はかなりの有名人である。



 何もない町から繁華街に出るために、私達はいつもモノレールを使っている。

 バスもあるが時間もかかるし、少しでも長く遊ぶためには多少運賃が高くてもモノレールを使うのが一般的だった。

 切り開いた小山の間を走るモノレールとその駅は、まだ出来て五年ほどなので新しく綺麗だ。

 だが山間なので夜になると暗く、特に駅はいつもどこか影があった。



 その影の中に、そのおじいさんは立っている。

 いるのは、毎週木曜日の夕方から夜ときまっていた。


 おじいさんは必ず一番線ホームの先頭付近に立っており、側に来た人に向かってこう言う。



「それ、いる?」



 こちらを指さし、相手がその場を去るまで同じ事をずっと繰り返す。

 もしくは「いる」「いない」と返事をすると満足し、笑って去って行くらしい。


 その不気味さに、ほとんどの人がおじいさんを遠巻きにしていた。


 だがある日、私の友人4人がおじいさんをからかってみようと言い出した。

 私の通う高校は、偏差値が低めのいわゆる荒れ気味の学校だった。気味という程度なので、本気でヤバイやつや犯罪に手を染めるほどのものはいないが、粋がって問題を起こす生徒は一定数いる。


 私はアニメや漫画が好きないわゆるオタクだったが、その手の学校で快適に生き抜くために髪は染めていたしピアスも開けていた。

 制服のスカートも短めにし、自分の趣味については決して口にしなかった


 友人を含むクラスの大半はノリの良さを重視し常に声が大きく、刺激に飢え、集団になると態度が大きくなる。

 特に友人たちはそれが顕著で、そこがあまり好きではなかったが、高二のクラス替えでうっかり今のグループに「仲間」認定されてしまったのだ。


 席が近いと言うだけで色々誘われるようになり、彼らと馬が合わないと気づいたころには抜け出せなくなっていた。

 もう夏休みも間近だし、出て行きたいとも今更言えない。

 基本的に、私は自己主張が出来ないのだ。


 だからおじいさんをからかおうと言い出したときも、私は何も言わなかった。

 何も言わなかったが周りは私がついてくると当たり前に思っていて、私もそうするだろうと諦めていた。

 それに所詮は粋がった高校生が老人を軽く茶化す程度だろうと、高をくくっていたのである。素行は悪いが、自分も含めこのグループは度胸のない男女の集まりだったから。


 そして友人たちに連れられ、私は放課後下駄箱へとやってきた。


蓮見はすみ、少し良いか」


 そんな時、声をかけてきたのは担任だった。

 いつ見ても野暮ったい男で、他の教師と比べるとだいぶ若くまだ二十八をすぎたばかりなのに覇気がない。

 そして寝癖のついた髪と眼鏡を生徒たちからは馬鹿にされているが、その奥の顔がそれなりに整っていると私は知っている。


 担任に呼びかけられたとたん、周りの友人たちは渋い顔をした。


「はすみん、無視しろよ」

「そうだよ、さっさといこ」


 先生を前にしてなんて言い草だと呆れるが、その原因は当人に威厳がないせいもあるのでフォローは辞めた。


「先行ってて、すぐ追いつく」


 代わりに笑えば、友人たちは渋々という顔で下駄箱を出て行った。


「で?」

「教師に向かってその態度は何だ」

伊織いおりこそ、私にだけ上から目線になんのやめてくんない?」

「名前呼ぶな」

「名前呼んでた期間の方が長かったし、つい出ちゃうんだって」


 担任――伊織は私の幼なじみである。兄の友人で、私が幼い頃からの付き合いだ。


 そのせいか、周りの生徒には強く出れないくせに私にだけは態度がデカい。


「それで、何?」

「駅、いくのやめろ」

「盗み聞きしてたの?」

「教室で、あれだけ大声で喋ったら聞こえるだろ」

「私だって行きたくないよ」


 でも行かないと、周りとの関係が悪くなる。

 ため息を重ねると、眼鏡の下の瞳が僅かに冷たくなった気がした。


「その心配はなくなるから、行くな」

「どういう意味?」

「明日から、周りを気にしなくて良くなる」


 断言する声はあまりに淡々としていて、何故か少し背筋が震えた。


 昔から、伊織は時々こうなる。

 冷たくて、怖くて、少し変なことを言う。

 気味が悪いとさえ思うけれど、そういうときの彼の言葉は絶対無視するなと兄がいつも言っていた。


「いったら、どうなる?」

「どちらにしろ、周りを気にしなくて良くなることに変わりはないな」


 さきほどよりずっと、冷たい声で伊織は言った。

 妙な胸騒ぎがして、私は立ち尽くす。

 やっぱりいきたくない。でも行かなかった場合、明日みんなに責められるのも怖くて、私は困り果ててしまった。


 そうしていると伊織の眼差しがほんの少し和らぎ、彼は手にしていた英語のプリントをぐっと差し出した。


「行かない理由がほしいなら、補習してやる」

「英語嫌い」

「知ってる。お前の単語の綴りはひどい」


 だから補習してやるという言葉は、私にとって救いのように思えた。

 先生に捕まっていたと言えば、きっと友人たちもそこまで怒らないだろう。


「明日、無理矢理補習したってみんなに言ってね」

「多分、その必要はない」


 淡々と告げる声から再び不安を感じたけれど、私は伊織に続いて教室へと戻った。


 結局補習は夕方まで続き、その日は伊織と二人で駅へと向かった。

 彼の家は隣だし、彼に会議がない日は帰りが一緒になることも多い。

 とはいえ喋りながら帰ったりはしない。つかず離れずの距離で歩き、最後に家の前で軽く視線を合わせる以外のコミュニケーションは取らない。

 その日も私はダラダラ歩く伊織の背中を追うように、私はモノレールの改札を抜けた。


 本当はバスの方が家までは近いんだけど、不思議なことに夕方から夜になるとうちの近所までいくバスの本数は激減してしまう。

 ほとんど人の居ない団地だからかもしれないが、せめて帰宅時間くらいは増便して欲しい。

 だが要望を出しても「乗客も減ってるし、あの辺りは暗くなると妙な事故が起きる」という理由で拒まれ、モノレールを使う羽目になっている。


 駅からは距離もあるため、補習のせいで疲れた時のモノレールは億劫だ。

 しかしあと1時間バスを待つのはもっと億劫である。

 仕方ないと言い聞かせつつも気持ちと視線を落としながら、私はホームに続くエスカレーターに乗った。






「それ、いる?」





 その声が聞こえてきたのは、背後からだった。

 あのおじいさんの声だとはっきりわかったが、何故か振り返ることが出来ない。




「それ、いる?」




 声にあわせ、とん、とん、とんと、何かが私の背中に当たる。

 おじいさんの指先だとわかった瞬間、背筋が凍った。

 指だけとは言え、触れられるのが気持ちが悪くて仕方がない。しかし脚は動かず逃げることも出来なかった。



「それ、いる?」



 急に怖くなって、私は適当な言葉で誤魔化そうと決めた。

 何か言えば、居なくなってくれそうな気がしたのだ。


「それ、いる?」

「い、いらな――」



 返事をしかけたとき、不意に腕をぐっと引かれた。

 顔を上げると、伊織がそこに立っていた。

 彼の目が、その言葉は口にしてはいけないと言っているきがして、私は慌てて返事を変える。



「い、いる! あげない!」



 咄嗟に反対の言葉を叫べば、背中を叩いていた指がすぅっと遠ざかった。





「今日は、いっぱいもらえると思ったのに」




 小さな声が耳元で響く。

 彼の息が頬にかかり、汚水のような嫌な臭い匂いが鼻腔を擽った。

 思わず悲鳴を上げかけたが、伊織が腕を引いてくれたお陰で、情けない声はこぼさずにすんだ。



「もう、いったぞ」


 伊織の声と同時にエスカレーターが終わり、私は手を引かれたままホームに立つ。


 振り返ると、背後はもぬけの殻だった。



「えっ……」


 でも少し離れたホームの端――いつもの場所におじいさんは立っている。すぐ後ろに居たはずなのに、八メートルは離れている。


「な、なんで……」

「移動したんだろう」


 私の手を握ったまま、伊織がなんてことのない声で言った。

 得体の知れない恐怖と戸惑いで混乱していたが、タイミング良くホームに滑り込んできたモノレールの明かりが、私の気持ちを落ち着かせてくれる。


 伊織と私はモノレールに乗り込むが、おじいさんはやっぱりホームに居た。

 彼と顔を合わせたくなくて、モノレールがおじいさんとすれ違うのにあわせ、私は顔を下げようとした。



「……嘘」


 しかし、出来なかった。

 よく見ると、あのおじいさんの横に友人たちが立っていたのだ。


 思わず名前を呼びかけたが、伊織に手で口を覆われ何も言えない。


「安心しろ。明日には、何事もなくなる」

「何事もなくなるって、どういう意味……?」

「誰も気にしないし、お前も気にならなくなる。あいつらは踏み込みすぎたし、自業自得だ」


 淡々とした、どこか冷たい声で言われると、私はそれ以上の追及が出来ない。

 そして五分ほどモノレールに揺られ、私は家に帰った。

 その間伊織との会話はなく、家に入る時だけいつものように視線を交わした。



 翌日、伊織が言うように何事もなく私は学校に向かった。

 ただ教室に入ると、何かが少し違っている気がした。


「蓮見ちゃん、おはよう」


 声をかけてきた友人に、私は挨拶をかえす。

 それから二人でアニメと漫画の話をしているうちに、伊織が入ってきた。


「またあとでね」


 そう行って席に戻っていく友人の背中を見送ったとき、私は「あれ?」と妙な違和感を覚えた。


 私はアニメと漫画が好きだ。

 でもそれを、学校で打ち明けたことがあっただろうか?

 今話した友人は前から知っていたけど、こうして会話をする仲だっただろうか?


「出席取るぞ」


 伊織の声に顔を上げ、そして私はもう一つ違和感に気づく。


 教室の席が、不自然に四つ空いている。ぽつりぽつりとそこだけ、空席なのだ。

 明らかにおかしいが、そこに目をとめたのは私と伊織だけだった。

 

 その後出欠を取ると、欠席は誰も居なかった。

 やっぱり変だなと思ったけれど、HRが終わり先ほどの友人が近付いてくると、詮索しようという気持ちは消えてしまった。


 その後妙な空席は一学期の終わりまであったが、夏期講習の始まりと共に机は片付けられた。


 そこに誰が座っていたのか、私はもう思い出せない。


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