第7話 サミュエルの場合 ② R15
自分とイヴリンの犯した罪の全て借財をノーマにおっ被せる事に成功したサミュエルは、決して自分が騙したわけではなく、全てノーマの意志で行動したのだとでも言うように、
「ごめんね。でも、嘘をついて君を騙した事は一度も無いよ。君が泣きじゃくっていたあの日。『君を一人にする事は無い』って言ったよね。あれだって、嘘じゃない。これからは、僕以外の誰かが、ずっと君の傍にいてくれるよ」
と、言い訳じみた捨て台詞を吐いた。
事実、ノーマには『愛してる』などとは、言った事は無かった。問いかけられた時には、言葉の代わりに「解るだろう?」と言わんばかりに、抱き寄せて押し倒し、キスを刻み、ノーマの声が掠れるまで喘がせて、感じる事に疲れ果てるまで愛撫し、失神するまで抱いてやった。
彼の不在に泣きじゃくるノーマへの対応が、一番、きわどい言葉であった。
「ふん。馬鹿息子が……何故、私の息子は、お前しかいないんだ。だが、連れてきてしまったものは仕方ない。約束通り、娘が28歳になれば結婚を許してやる」
サミュエルが、彼の名義の権利書に手をつけなかったので、取り合えず勘当話は取り消された。しかし、当然の事ながら、彼の目が黒い内は、ホテル『GLOLY』に宿泊する事は禁じられた。サミュエルの犯した暴挙を考えれば、当然の事である。
サミュエルにしても、DOLLを身請けした時点で、『LADY-DOLL』へは立ち入り禁止になっている。と、思っていたので、そこに行けない『GLOLY』への宿泊は、特に意味の無いものだった。
サミュエルとイヴリンは、濃密すぎる夜を超えた。
それは、
しかし、特別が日常の一部になるにつれ、情熱は衰えた。
サミュエルは、イヴリンの手練を甘受しながら、ふと、ノーマを最初に抱いた時を思い出していた。
震えていた。
唇も、肩も、指先も、
サミュエルが振れる場所ごとに、口づける場所ごとに、
それは、オジギ草の感度に似ていた。
眉根を寄せて、迫りくる何かに耐えながら、
嘆くように、吐息を零し、
サイレント映画のヒロインの如く喘いだ。
「…………クッ」
イキかけたサミュエルに、イヴリンは不満気であった。
イクのはいい。だが、今夜もまた満たされずに終わると思うと、彼を愛していると思った事も錯覚であったように感じた。
サミュエルに元気が無い理由も解っていた。
悶々と眠れないイヴリンの横で、飛び起きたサミュエルは、そのまま膝を立てて、頭を抱えていた。
(“DOLL狩り”なんて言って、思いのほか、善人なんだわ……つまらない男)
二人が婚約破棄するまでに、それでも一年かかった。
■
「ミスター・ベインブリッジ。明日、パーティーがあるのですが、ご一緒しませんか?」
愛想のいい男だった。
イヴリンと婚約破棄した後のサミュエルは、人が変わったように仕事に邁進した。とはいっても、祖父の開発した特許技術を武器に、父が世界的企業に押し上げたものを、ただ維持しただけにすぎないが、三代目の
まとまった休みがとれた時は、イタリアに向かい、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂を訪れた。
ただ、ミケランジェロのピエタ象を見る為に。
最後に見たノーマの無表情な顔が夢に現れるようになったのは、イヴリンとの夜がマンネリ化しだした頃からだった。その顔は、サミュエルを責める事も、詰る事もせず、ただ見つめているだけだった。
気分の乗らない中、イヴリンが挑みかかって来る夜には、ノーマが泣きじゃくりながら、初めて乱れた日の事が思い出された。
段々と、ノーマを思い出す時間が増していき、丹念に思い出に浸るようになると、彼女がいかに無垢で、淑やかな女性であったのか。と、今更ながらに感じられるようになっていた。
奔放なイヴリンとは違い、ノーマはどこまでも慎み深かった。
いくら回数を重ねても、足を割る時には、いつも顔を隠した。
声を出す事にも戸惑い、彼女のいやらしい肉体の事を話すと、いやいやをしながら朱色に染まっていった。
怯えながらも、快感に身を委ねる彼女を虐めるのは、“白DOLL”の水揚げとは、こういうものなのか。と、思ったりもしたのだった。
当時は物足りなさしか感じなかったが、羞恥と背徳を纏いながら揺らめく彼女は、どれだけ穢そうと、清らかで綺麗だった。
ホテルに戻ろうとした時に、たまたま目が合った男がいた。
マルチェロ=スカラッティである。
「ピエタがお好きなんですか?」
どうやら年齢も近いようで、何となく一緒に、彼のいきつけだという
話しているうちに、お互い独身である事や、DOLLの息子である事等の接点があり、話が弾んだせいか、仕事に絡むパーティーにはかろうじて出席していたが、婚約破棄以降、ただ楽しむだけのパーティーからは、なんとなく足を遠ざけていたのも手伝って、その日あったばかりのマルチェロの誘いに乗った。
パーティーは、イタリア国内で行われると思っていたサミュエルだったが、翌日、マルチェロの所有する自家用飛行機が降り立ったのは、観光都市だった。
嫌な予感は的中するもので、会場はホテル『GLOLY』であった。
6年前から、支配人が代替わりしており、今の支配人のマダムは、ノーマ=ワイルダーという元DOLLなのだ。と、マルチェロは言った。
「実は、私がファミリーの一員としての体面を潰してしまったのは、彼女のせいなんですよ。今はもう改心した。とは、言えませんが、若かりし頃の私は、“DOLL”を堕とす遊びに耽っていたんです。自分で言うのも何ですが、多くのDOLL達を弄んだものです。純潔を奪ったり、規則違反を起こさせたり…と。…DOLLなどといって崇められる彼女達と場末の娼婦との、一体、何が違うのか…とね。…えっと…ミスターは、DOLLには、白と黒の呼び名があるのは、知っていますか?」
「ええ。知っています」
「ああ、そうですか。それは話が早い。私は、マダムのデビューの頃に、他の仕事が忙しく、それを片付けた後に『LADY-DOLL』を訪れたのです。そうすれば、黒DOLLに、とんでもなく貞節な美女がいるという話題で持ち切りでした。黒のくせに生意気だとでも思ったんでしょうね。私は、自分なら堕とせると息巻き、個室に入りました。……息が止まりましたよ。そこには、まさにピエタのマリアがいたのです。私は、自分がネロであると思いこんでしまったのですよ」
マルチェロは、彼がノーマに出会った時の事を熱く語った。そして彼は、“十大老”の孫だという立場ゆえに知れた事を、サミュエルの耳に入れた。
「マダムは、ここに来るべき女性では無かった。それを、ここの規則を破った男に誑かされ、騙されて連れてこられたそうなんです」
サミュエルの心臓は縮み上がった。
それは、まさに自分だからだ。
マルチェロは、サミュエルがそうであるとは、露ほども気づいていないようだった。
「いや。私個人としては、私にマダムを拝する機会を与えて下さったその男に、感謝する気持ちもあるのですが…あのマダムを知っていると思うと、苦しくもあるのです。そして、このような場所に連れてこられたマダムの心情を思うと、やはり、その男には、相応の罰が必要だと思ってしまうのです」
「その男が、誰なのかは知っているのですか?」
知っていて、自分をここに連れて来たのだろうか?
ここに連れて来る為に、近づいてきたのだろうか?
疑心暗鬼が、サミュエルの脳を暴れまわった。
背筋に冷たいものが流れていく。
声が上ずらなかったのが不思議なくらいだった。
マルチェロは、ため息を吐き、首を横に振った。
「残念ながら…。DOLLについてのセキュリティは完璧なんです。そればかりは、
The End.
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後書
ここにきてようやく、ノーマの顔のイメージが沸いた。
珈琲は月の下で No.1 番外編 久浩香 @id1621238
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