第6話 サミュエルの場合 ① R15

 DOLL狩り。

 腐る程の金と美貌を兼ね備えた男達というのは一定数いる。マルチェロやサミュエルといった者達である。誰もがそうという理由では無いが、少なくとも母親似の二人の母はDOLLであった。ロマンティックな彼等の父親は、自分達が運命の乙女と出会えた『LADY-DOLL』に、息子の運命も委ねた。しかし、親の心子知らずというべきか、生まれてこのかた狙った女は全て攻略してきた彼らにとって、ここは極上の獲物が潜む狩場以外のなにものでもなかった。


 マルチェロとサミュエルの違いは、彼等の親の権力と考え方の差である。カポ・デイ・カピボスの中のボスであるマルチェロの祖父は、“十大老”と呼ばれるホテル『GLOLY』の管理者の一人であり、ペナルティーを課された会員やDOLL達を監視し、時にはペナルティーそのものを施行する役割を持つ程の大立者であったが、サミュエルは、英国貴族の血は引くものの、一業界の世界的企業の御曹司にすぎなかった。


 サミュエルとマルチェロはとくに面識がある訳ではなく、ヴァージンをアンチに堕とす事に金銭的重圧も含めて戸惑いの無いマルチェロと違い、サミュエルは黒DOLL専門であった。そして、寛容な──逆に、袖にされた事が知れれば雷を落とすようなマルチェロの父と違い、サミュエルの父は、常識的でもあった。

 黒DOLL専門とはいえ、彼女達を口説くには、ホテルに泊まり、個室に入らねばならない。サミュエルの父は、『GLOLY』から送付される請求書に目玉を飛び出させ、息子の放蕩を嘆いた。そして、サミュエルがイヴリンを妻として受け出したい。と、言った時、その怒りは爆発した。


「馬鹿か、お前は。黒DOLLとの結婚など、誰が許すものか。ああ、そうだ。その娘は、街に戻れば、それなりの相手と幸せにはなれるだろう。だが、な。我々のようなヒエラルキーの頂点に属する者達の妻には、相応しくない。考えてもみろ。その娘が純潔を失った相手は、誰だ。会員以外におるまい。仮に、DOLLとなる前に失っていたとしても、お前と逢う迄に、何人の男のフェアリーになってきたか、知れたものではない。…良くも悪くも限られた世界だ。お前に、自分の妻の身体の隅々まで知る男と談笑が出来るか? 黒DOLLを妻にするというのは、そういう事だ」


 サミュエルが、それでも彼女が欲しいと言うと、父親は呆れ、それでも、ほんの少し譲歩した。


「どうしても、その娘を妻にしたいというならば、娘が28歳になるまで待て。契約期間を終えた後、容貌が崩れ、執着していた者達から忘れられるまでの、街に戻ったDOLLの身辺警護アフターフォロー期間さえすめば、市井の女を嫁にするのとなんら変わらん。お前にそれだけの覚悟があるなら、結婚も許してやる。だが、黒DOLLを身請けする金は、一切、出さん!」


 サミュエルは、本腰を入れて父の事業を手伝い始めた。が、父親は、それまで甘やかしすぎたと言わんばかりに、彼に支払う給与を社員並みに落とし、彼の名義としていた様々な権利書も、勝手に換金する事の無いようスイス銀行に凍結した。自由になる金も無いので、取り合えずデスクワークのようなものをしていたが、そんなもので、奔放に挑みかかって来るイヴリンの誘惑を払いのけられる筈も無く、気晴らしに出席したパーティーでさえ空空しく、手を出せば最後、結婚を強要される良家の子女の代わりに、互いの欲望の捌け口として関係を持った未亡人を相手にしても、満たされる事は無かった。

 白日夢にうなされるようになったサミュエルは、身分を隠し、とあるボランティアの一員となった。実際に肉体を動かす事で、イヴリンの残像から逃れようとしたのだ。そして、ノーマと出会った。


 当時のノーマは、そばかすだらけに見える化粧をし、眼鏡をかけ、常に俯き加減で、にこりともせず、黙々と作業をしていた。陰気な彼女は、休憩時間でも輪の中に入る事を拒み、一人で弁当を食べていた。誰も、彼女が美しい事に気づかなかった。

 元から社交的な上、話術に長け、人を使う事に慣れたサミュエルは、気が付けば、グループリーダーのような役割をかって出て、作業を当たらせる采配も完璧であった。

 ある日、ノーマの顔に汚水混じりの泥水が撥ね上がった。眼鏡でガードされていた為、直接、目に被る事は無かったが、彼女の前髪から瞼の上へと伝っていた。サミュエルは、他の者達には作業を続行させたまま、目を瞑ったノーマを誘導して洗面台へと連れて行った。

「すみません」

 それほど離れていない洗面台に行き着くまで、彼女は何度も言い続けた。

 ノーマに代わって、蛇口を捻ったサミュエルは、彼女の眼鏡を洗った。そして、椅子に座らせた彼女の顔を、水で濡らしたタオルで顔を拭うと、すっぴんだと思っていた彼女のファンデーションが溶け、本当の素顔が露わになった。

「えっ?」

 サミュエルは、目をしばたたかせた。せめて猫背を直せば、スタイルは悪くない。とは思っていた。しかし、彼女の素顔を見た瞬間、脳裏を過ったのはミケランジェロのピエタだった。

 手を止めたサミュエルに、はっとノーマは我に帰り、目を開けて椅子からすっと立ち上がると、怯えるようにサミュエルに背を向け、

「あ、あの。だ、大丈、夫です。わ、私は、い、い、いいですから、どうか、サミュエル、さん…は、お、お戻りくだ、さい」

 俯いて肩を震わせ、声を上擦らせて、そう言った。

「えっと…ノーマ? だっけ。…何故? すごく綺麗なのに、勿体ない」

 サミュエルの素朴な疑問に、ノーマは俯いたまま首を振った。

 その後、二人は別々に現場に戻り、ノーマは普段以上に俯いたまま作業を続け、それが済むと、そそくさと帰っていった。


 それからしばらくして、サミュエルは、ホテル『GLOLY』に泊まった。

 それは、仕事の一貫であったが、父親は、仕事ばかりかボランティアまで始めたサミュエルが、すっかり改心したか、少なくとも、自分の言い付けを守り、イヴリンに会う事は無いだろう。と判断し、ステータスの象徴であるホテルに泊まる事を許したのだ。


 しかし、この場所に来て、サミュエルがイヴリンに会わずに帰れる筈が無かった。再会した二人は、さながらネコ科の肉食獣の闘争のようでもあり、絡み合う蛇のようでもあった。


「イヴリン。ここを脱出よう」

 

 ホテルの部屋を抜け出し、夜陰に隠れて逃げ出したと思った二人だったが、裏庭から続く緩やかな傾斜分を下った瞬間、サーチライトに照らされ、そのまま、マダムの豪邸へと、あっけなく連行された。


「貴方の御父様は、スイス銀行にある貴方名義の資産を買い取られるそうよ。ただ、その売買が終わり次第、貴方との縁を完全に断つ。と、仰られたわ。『LADY-DOLL』うちとしては、宿泊費と遊興費、それから違約金を支払って頂けるのなら、内幕はどうでも良いのだけど、貴方の御父様が、貴方に請求するようにと仰るなら、こちらとしては、貴方に聞くしかないわよね」


 マダムは、二人の男に引っ立てられ、両膝を絨毯に跪かされたサミュエルを、蛇のような目で見下ろし、微笑んでいた。彼が、DOLL狩りをしている事は知っていたが、それが、規約に沿ったものであれば、マダムには阻止のしようが無い。しかし、マダムの考えるDOLLの敵が、ついに重大な規約違反を犯してくれたのである。かってに墓穴を掘っただけではあるが、それまで涙を零したDOLLに代わり、留飲を下げていたのだ。


 サミュエルは、この絶体絶命の中、神に祈りノーマを思い出した。

「…マダム…この世のものとは思えない、絶世の美女…この『LADY-DOLL』の目玉となる、最高級のDOLLが、欲しくはありませんか?」

 サミュエルの言葉に、マダムは、ついに彼が気がふれたのだと思った。DOLLには、ただの美女ではなく、十人中九人は振り返る、絶世の美女ばかりを集めていた。そんな彼女達が、霞む程の美女を差し出す。と、サミュエルは言ってきたのだ。


「…犯罪は、犯さず?」

「もちろん」

「その娘の、意志で?」

「……ええ、まぁ、そうですね。私の言う事に従って…なら、良いですか?」

「………断れば?」

「父に勘当されたところで、どのみち生きていかねばなりません。私のような男が暮らすには、女を食い物にするのが、一番てっとりばやい方法です。マダムのように、淑女に育てる事などはできませんが、バーテンダーに仕込むぐらいなら、私にも、できそうだと思いませんか?」


 サミュエルは実際、DOLL狩りを通じて、バーテンダーを育ててきたようなものであった。確かに、彼がその気になれば、三流の娼館程度なら、元手さえかけずに開く事ができそうであった。そして、それは、マダムの理念に反し、不幸な女性を溢れさせる事であった。


「………いいでしょう。では、契約を詰めますから、おかけなさい」

 サミュエルは、自分を抑え込む腕から解放され、交渉の末、細かな取り決めをして契約した。

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