第5話 イヴリンの場合 ③ R15
“黒DOLL”となったイヴリンのカウンターに集う会員は、無駄に顔が良いが、軽薄で遊び慣れた者達が集うようになった。
「残念だけど、貴女が玉の輿に乗る事は無いでしょう。でも、契約通り26歳になるまでは、貴女にはDOLLで居続けて貰います。でも、心配しないで。“白DOLL”であった時と同じように、フェアリーになる主導権は貴女にあるし、貴女がここで稼いだお金は、ちゃんと貴女のものだから、街に戻ったとしても、生活に困る様な事にはならないわ」
マダムからそう言われても、イヴリンは、玉の輿に乗る夢を諦めなかった。限られた会員という枠組みの中とはいえ、ランジェリー姿を衆人環視の目に晒したのは、かつて夢みた、ただの平凡なお金持ちの奥様ではなく、大富豪の夫人になれるという餌にかぶりついたからである。初めは、給与の高さに目を剥いたが、慣れてしまえば、それはまるで子供の御駄賃程度の価値のものとなり、自分を見つめる会員達は、尋常では考えられない生活を約束してくれる最高級の生餌であった。そして、彼等の甘い言葉につられ、幾人かの会員のフェアリーとなりながら、巡り合ったのがサミュエルであった。
マルチェロによって弄ばれた身体からは、彼女の奔放が首を
サミュエルとのそれは、奔放自身が伸ばす細長い舌が、彼の肉体の緊縛を仕掛けたところ、サミュエルの絨毛は、その舌へとゾワゾワとした刺激を与え、奔放の舌根にある本能を覆う卵膜ごと包み込んで摩擦し、イヴリンの本能と奔放とを混ざり合わせた。
その一夜程の快楽は、二人をもってしても二度と味わう事はできないものであった。
『絶対に迎えに来るから』
DOLLの規約に沿い、私室へと戻らざるを得ないイヴリンに、ベッドで仰向けになり、首だけを去り行くイヴリンに向けたサミュエルは、そう約束したものの姿を消し、長く姿を現さなかった。
サミュエルからも捨てられた事を嘆きつつも、新鮮な弾力を持った生卵の白身が、粘つきながら攪拌された、思い返すだけでも見悶える夜の事を、くだらない夜で上書きされる事を恐れて、フェアリーにはならなかったイヴリンだったが、一度、剥き出しになった本能を押える事ができなくなり、自身の性欲を宥める為のフェアリーになる事を決めて、靡かない為に空室が出始めたカウンターに降りれば、切実な顔を浮かべたサミュエルが、そこにいた。
飢えと本能と性技をぶつけ合う中、
「イヴリン。ここを
と言われれば、イヴリンに後先を考えられるわけがなかった。
逃亡し、捕まったイヴリンは、マダムの豪邸に連行され、数日が経った頃、客室へと通された。
「サミュエルからの伝言があるの。『必ず迎えに行くから、大人しく待っていてほしい』…ですって。貴女の代わりとなる美女の中の美女を連れて来るそうよ。…それ程の娘なんて、そう簡単に見つかる筈も無いと思うけど…やけに自信に溢れていたから、心当たりはあるのかしら」
マダムは、伝言を伝えた後は、パラパラと用意した計算書や契約書に不備が無いかを目視し、小さく頷くと、それを、体面に座るイヴリンの前に置いた。
「…これは?」
「これまでに貴方が稼いだお給料から、今回の規則違反の罰則金を差し引いた場合に、貴女の手許に残るお金を計算したものと、サミュエルの意向から作成した新たな契約書よ。目を通して見て頂戴」
いくら給与が高くとも、勤め始めて1年余り。デビューからの2週間と、マルチェロからの水揚げ金以外に、特に特出する稼ぎは得られておらず、マルチェロに教わった性技により、フェアリーに対して支払われる任意金も、安くは無い金額が支払われてはいたが、時給程度の儲けでしかなかった。それに加え、私室に置く私物を買い揃えたり、ホテルに向かうドレスを幾着も設えていたり、それに似合うアクセサリーも購入していた事で、支出額も多く、罰則金を支払うには足りもほつりもしなかった。
契約書では、サミュエルがイヴリンの代替品を見つけてくるまでの間のDOLLの停止を明記していたが、一日過ごす毎に負債は増え続け、サミュエルに与えられた猶予期間の3年を過ぎれば、直ちにバーテンダーに鞍替えして、負債返済に回らなければならないというものだった。
「…バーテンダー?」
バーテンダーは、『LADY-DOLL』から出る事もできなかった。行動の全てを管理する為に首輪をつけられて、睡眠以外の休憩時間は無い。空き時間は、市井並の給与で清掃やガイドをし、DOLLの個室に会員と入ってようやくDOLL時代の時給が発生し、中にいる間、何を提供しようとも、店から支払われる給与は変わらず、全て借金完済に回され、チップも取り上げられた。
イヴリンは、バーテンダーの仕事が、それほど過酷である事を初めて知った。
「な…何、それ…」
「あら? 解らない? そうまでしないと、完済できない負債なの。言っておくけど、
道は二つあった。一つは、契約を結ばない事。但し、逃亡という規則違反をしたペナルティとして、フェアリーになる事は禁止される。つまり、遊び目的の会員も個室には入らないという事だ。一周間、会員が個室を訪れなくとも、怠慢によるペナルティーは課せられないが、減給はされていく。まだ22歳のイヴリンが26歳になるまで減給され続け、その後、バーテンダーになった場合、その最後の週の時給が、DOLL時代の時給となる。もう一つは、新たな契約を結ぶ事だ。これは、『LADY-DOLL』と結ぶのではなく、サミュエルと結ぶものだ。それは、3年間のDOLLの休止を求めるものであった。しかしこれは、『LADY-DOLL』と結んだ契約の不履行にあたるので、実行する度に、イヴリンの負債は膨らんでいく。但し、サミュエルと『LADY-DOLL』が結んだ契約が締結されると、イヴリンの負った負債は全て、サミュエルが用意したイヴリンの代替品に移行し、彼女が『LADY-DOLL』と結んだ契約も破棄される。というものだった。
イヴリンは、ゴクリと音を立てて生唾を飲み込み、サミュエルとの契約書に
かくして、イヴリンは賭けに勝った。サミュエルは、ノーマをマダムの豪邸に連れて来て、彼女は、『LADY-DOLL』の用意した契約書に署名した。
サミュエルとイヴリンの二人は、マダムの豪邸を、堂々と連れ立って出て行った。ただ、全てが上手くいったわけでは無い。サミュエルとイヴリンの結婚を、彼女が28歳になるまで許さなかった。そして、サミュエルもまた、ノーマへの罪悪感からか、
その頃には、イヴリンの金銭感覚は元に戻り、自分の持つ口座の残高のゼロの数は、無理して玉の輿に乗らずとも、充分に豪遊して暮らすに余りあるものである。と、認識していた。
(ふふっ。そうよね。そりゃあ、サミュエルはハンサムだけど、それは、大金持ちに限った世界の話。本当の世界には、彼よりも、もっとハンサムで、いかした男が大勢いるわ。そうよ。私は、まだ若いもの。あの、サミュエルとの初めての夜のように、私を完璧に満足させてくれる男が、絶対どこかにいる筈だわ)
そんな事を考えながら飛行場にいたイヴリンを、見つめる男がいた。
「なぁ。
呼びかけられたコンシリエーレは、彼のボスの息子に顔を向けた。
サングラスをかけ、軽く変装をしたマルチェロであった。
「どうか、なさいましたか」
「ん…ちょっと聞きたいんだが、この辺りに、
唐突な質問に、コンシリエーレは首を傾げ
「? そりゃあ、おりますよ。ここには、貴方様がいらっしゃるんですから」
何故、こんな愚問を問いかけるのか。と、言わんばかりの彼に、マルチェロは、口を抑え、
「すまん。…そうじゃない。あ~っと、その…DOLL付の…をつけ忘れた」
「DOLL付…ですか?」
「ああ…」
コンシリエーレは、タブレットを取り出し、彼等が警護対象とするDOLLに付くソルジャーの現在地を調べた。
「いえ、おりません…ね。現在、その任につく
「へぇ……じゃあ、あれは、何だ?」
マルチェロは、ゆっくりと膝の上に置いた手を上げ、彼の直線状にいるイヴリンを指さした。コンシリエーレは、自分のかけた眼鏡のブリッジを押し上げ、マルチェロの指さす彼方を見た。
「あのコットンキャンディーには覚えがある。手ごたえが無さすぎて捨てちまったが、後から、水揚げ料を奮発したのが、バカバカしかったと、後悔したんだ」
「…お名前は、憶えておられますか?」
「ん…何だったかな。イヴ…エヴァ…確か、そんな感じだ」
コンシリエーレは、タブレットに何某かを入力し、その結果をスクロールしていった。
「おや?」
「どうした?」
コンシリエーレは、眼鏡を外して、瞼をマッサージした。
「すみません。少々、お待ちくださいませ」
彼は、再び、操作したが、やはり見当たらなかった。その間に、イヴリンは、マルチェロの視界から外れ、喫茶ブースへと移動した。
コンシリエーレは、少し考えた後、様々なページに目を通し、ようやく、全く別の画面から、イヴリンを検索した。
「マルチェロ様。結論から申し上げますと、あの、イヴリンという娘は、DOLLではございません」
「はっ?」
マルチェロは、思わず、タブレットを眺めるコンシリエーレの方を向いた。
「その…DOLLであった過去毎、破棄されてますね。ですが、まぁ、残りかすの様なデータというのは、どこにでも存在する物で、失礼ですが、マルチェロ様の水揚げ履歴からアクセスを試みました所、ようやくヒット致しました」
「ばっ」
思わず大声を上げそうになり、慌てて口を塞いだ。
「それで、マルチェロ様は、どうなさりたいのでしょうか?」
「……彼女は、人妻か?」
「いえ、結婚記録はございません。婚約はなされていたようですが、解消したようです。子供もいないようですね」
「差し障りは?」
「一切、ございません。マルチェロ様が懸念されておられます障害は、消去されております」
マルチェロの懸念とは、彼の祖父の請け負う、
「へぇ…じゃあ…いいな」
マルチェロは、唇を舐めた。
もし彼女が、全くの素人であったなら、マルチェロもその暴挙には出なかった。しかし、言うなれば昔の女である。
しかも、彼は彼女を買った。
「今夜、泊まるホテルに入れて置いてくれ」
The End.
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