第4話 イヴリンの場合 ② R15

 1年の研修を受けたイヴリンは、結局、淡いピンクのベビードール姿でカウンターに出た。デビューのタイミングでしか見る事の出来ない、羞恥に怯えて震える姿を眺める為に、個室は直ぐに埋まり、最長滞在時間3時間の交代制が取られる程に盛況であった。しかし、どのブースもイヴリンクラスを及第点とする美人が揃っているのである。会員達はやがてバラけ、その後は、本当にイヴリンの容姿を贔屓とする固定の会員達が集う様になり、大富豪の子息の全てがイケメンである筈もなく、自分に熱をあげる者達を見たイヴリンは、愕然とした。


(こんなの話と違うわ。これなら、工場長の息子の方が、なんぼかマシじゃない)


 イヴリンの贔屓筋は、朴訥ぼくとつなタイプが多かった。個室の窓が全て閉まった後、工場長の息子以下のレッテルを貼られた子息達が、カウンターの上に残していったキャンディーポットを開け、憤りを胸に、キャンディーをガリガリと噛み砕いていると、個室への入室を報せるランプが光った。

 バーテンダーがシャッターを上げ、カウンターの上にブランデーのロックを置く。そして、カウンターの向こう側に立ったのは、イタリア系マフィアのカポ・デイ・カピボスの中のボスの孫息子のマルチェロ=スカラッティであった。

 彼は、グラスの中の氷をカラカラと音をたてながら、キャンディーポットを持って硬直するイヴリンを、上から下まで舐めるように眺めた。

「へぇ。コットンキャンディーが、キャンディーポットを抱えてやがる。ここのDOLLにしちゃあ、珍しいタイプだ…なぁ」

 彼は、自分の足元──カウンターの天板の下に向けて話しかけた。イヴリンの側からは、客の胸のあたりまでしか見えない。だから、その下で、何が行われているかは、解らなかった。だが彼が、それまで会った誰よりもハンサムで、ふるいつきたくなるほどの伊達男である事は、解った。

「なぁ。他には誰もいねえんだから、もっと、こっちに来いよ」

 人差し指で呼びつけられ、イヴリンは招かれるまま、ふらふらと近づき、カウンター迄あと30cmというところで足を止めた。膝が震え、とてもそれ以上、傍に寄る事ができなかったのだ。

 カウンター内部には、DOLLが気に入った会員と会話する為に、それぞれの窓の対面にカウンタースツールが置かれてある。イブリンは、その座面に手を付いて、どうにか立ち続けていた。

「いつから?」

「……あ…半年…前…から」

「へぇ。じゃあ、まだ21か…いいね。見ないタイプって奴は、そそるね」

 マルチェロは、自身の唇に粘りつくブランデーを舐めとると、呑みかけのグラスをイヴリンに向けて傾け

「どうだい?」

 と、誘った。

 恐る恐るスツールに腰かけ、グラスに手を伸ばそうとした時、マルチェロは、カウンターの台にグラスを置いて、その液体の中に二本の指を浸し、その指をイヴリンの口の前に突き出した。

「舐めてみな」

 指を伝って液体が滴る。イヴリンは、命じられるままにマルチェロの指を舐め、喉を焼く陶酔と、唇をなぞる指に誘われるままに咥えこんだ。

「いいぜ。…気に入ったよ。2ヶ月後、また来てやるからさ。俺のフェアリーになりな」

 イヴリンの口の中から指を引き抜いたマルチェロは、そう言って不敵な笑みを浮かべ、イブリンを追い払った。マルチェロは、シャッターを降ろした後も個室から出ては来ず、イヴリンは、シャッターがまた開くのではないかと、そこから動かなかったが、1時間も経た頃に、ついに、イヴリンのカウンターを廻る個室からは、誰もいなくなった。


 シャワーを浴び、高鳴る鼓動を抱きしめながらベッドに潜り込んだイヴリンだったが、とても安らかに眠れる筈もなく、マルチェロに抱かれる想像を膨らませながら、寝不足のままマダムと面会し、『イブニングドレスを仕立てたい』と、申し出た。

「本当にいいの?」

『LADY-DOLL』の支配人という仕事をしながらも、心からDOLL達が幸せになる事を祈るマダムは、渋い顔を浮かべた。イブニングドレスを仕立てるという事は、ホテル『GLOLY』に宿泊する会員の部屋に出向いていくという事だった。会員とDOLLの恋愛にマダムは口出しする事は出来ない。DOLL自身がフェアリーになると決めた以上、それを阻止する事はできないのだ。

 しかし、勤め初めてまだ半年。1年間メッキ仕立ての淑女教育を施したとはいえ、それが実技を通して、肌に馴染み血肉になるには、やはりそれから、最低でも1年はかかる。そして、結婚に至るDOLLの大半は、そうやって身に着けたスキルでもって、通ってくる会員達とカウンター越しのコミュニケーションの時間を取り、プロポーズの言葉を聞いてからフェアリーとなる。それでも、身体の相性など、会話だけでは補いきれない理由で破談となるケースも存在する。

 どの会員とも親密な関係を築いているとは思えないイヴリンが、フェアリーになると申告してきたのである。遊びだと訝しみ、そうと解っている相手の元へ行こうとするのを、引き留めたくなるのは当然であった。

 ちなみに、DOLLの衣装のランジェリーの色だが、それについては規定はない。しかし、パンティーとハイヒールの色には規定が設けられている。ヴァージンは白、アンチは黒である。そして、真剣な交際を考える子息は、白のハイヒールを履く、通称“白DOLL”を選ぶ。こういっては何だが、DOLLの仕事上、やはり、白から黒のハイヒールに履き替えた後は、その後、何人のフェアリーになったか知れたものでは無いからだ。一般社会においてであれば、それぞれの恋愛だと割り切れるが、フェアリーになるという事は、やはりそこに金銭が発生する。それが、ネックになるのだ。


「解ってると思うけど、白と黒のハイヒールでは、その後の客層が、がらりと変わってしまうわよ」


 初めてフェアリーとしてホテルの客室へ向かう場合、水揚げ料は高額である。そのお金を払ってでも“したい”と思うだけの覚悟と情熱。そして、26歳の誕生日の前日まで『LADY-DOLL』の中で拘束する事を契約したDOLLへの投資金額から、落籍までしないと“勿体ない”と思わせる筋道を作る為である。

 だが、アンチとなった“黒DOLL”がフェアリーとなった場合、その料金は、会員の任意である。極端な話1$でもOKというわけだ。客層が変わるというのは、つまり、結婚の意志は無いが、DOLLを誘惑して安価でベッドインするという遊戯を愉しむ会員が客筋になるという事である。


「かまわないわ。こんなチャンスを逃す程、馬鹿じゃないもの」


そして、約束の一ヶ月後、イヴリンはフェアリーとしてマルチェロの宿泊する部屋をノックし、彼の自分勝手な欲望を満たすだけの玩具にされるだけされて、捨てられた。

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