◯◯と●●は、双子の姉弟だった。

 双子といっても、●●は◯◯のクローンだった。


 だから●●は、◯◯に対して、自分は彼女の劣化コピーに過ぎないのだと、常に劣等感を抱いて生きてきた。


 200年前、深刻化していた少子高齢化社会問題への対策として、この国は世界で唯一、クローン技術でその問題を解決しようとした。

 その行いは、世界各国から非難された。

 しかし、その非難は、


「人を産み出して良いのは神だけであ

る」


 という、旧約聖書やそこに記された、みだりにその名を口にしてはいけない唯一無二の傲慢な絶対神の存在、つまりは宗教に基づいた倫理観であったため、この国はあらゆる神や宗教を捨てた。


 遺伝子のコーディネートが可能となると、男女の数をある程度均等とするために、新生児とは別の性別のクローンが産み出されるようになっていった。

 しかし、コーディネートは性別だけにとどめられた。


 ヒトゲノムの解析はすべて終了し、コーディネートも一見問題ないかのように思われたが、知能指数や身体能力、その他のあらゆる「性別以外のコーディネート」は、クローンを短命にしてしまったからだ。


 そして、オリジナルとなった新生児をオリジン、クローン体をモノクローンと呼ぶようになった。

 一卵性であれ二卵性であれ、実際に双子や三つ子として生まれた新生児はジェリービーンズと呼ばれるようになった。


 モノクローンであるからといって差別されることはなく、●●の脳に埋め込まれているBCIは、オリジンである◯◯にも、ジェリービーンズにも等しく埋め込まれる。


 それは、進化の袋小路でずっと足踏みをしていた人類を、遺伝子のコーディネート以外の方法で、人工的に次のステージへと導いた。

 それが正しい進化であったのかどうかは、まだわからない。

 たが人の進化は、文明をも変化させた。第2の文明開化ともいうべき社会全体の変化へと繋がっていった。



「右にあるのが本物の月よ」


 ◯◯は言った。


「じゃあ、左にあるのがソーセキか。

 実際の大きさやこの星からの距離は違うんだろうけど……今はまったく同じに見える。

 本当にそっくりだな」


 ●●には、それが綺麗だという感覚はまだなかった。

 だが、200年も前に打ち上げられたものとは思えないほど素晴らしい技術だということはわかった。


「どっちの月も、模様みたいなものあるでしょ?」


「あの、うさぎが餅をついてるようなやつ?」


 餅をついたことなど●●にはなかったが、写真か何かの資料を前に見たことがあった。


「あれは、クレーターって言って、隕石やいろいろなものが衝突した痕なの。

 ひとつひとつにちゃんと名前があるのよ。

 それを全部、こうして並んだときにまったくいっしょに見えるように、似せて作ったみたい」



 さすがは天文部のかぐや姫さまだ、と●●は思った。


 自分たちと同い年くらいの高校生の大半は、おそらく月というものに興味すら抱いたことがないだろう。

 ◯◯ほど詳しい者は、大学で天文学を学ぼうとする者くらいだろう。


 月について学ぶ機会すら学校にはないのだ。月だけでなく、太陽や、太陽系の他の惑星についても同じだ。


「昔は、宇宙のさまざまなことが研究されてたみたいなんだけどね……

 太陽系の一番端の惑星が、ある日突然惑星から、準惑星に降格になったりとか」



 現代人の月や宇宙に対する認識は、


「はじめからそこにあるが、それについて学んだところで、生きていくうえでは何の役にも立たない。だから学ぶ必要はない」


 というものだ。


 現に、25年に一度しかないこの夜のことは、ごくごく限られた分野の世界だけでニュースとして取り上げられただけで、まったく世間では騒がれていなかった。



「でも、どうして、人工衛星を月に似せたんだ?」


 わざわざそんな手間暇をかけてまで、月の模様――隕石などの落下跡のクレーターまで――月に似せる必要があったのだろうか?


 ●●は不思議だった。


 200年前の人類らしいといえば、実にらしい行動だと納得できてしまう一方で、納得がいかない自分もまたいた。

 ●●は、やはり自分は無駄や手間をすべて削ぎ落とした2200年代を生きる人間なのだなと思った。


 そう思うと、たった200年で人類は変わりすぎたのではないかと思ってしまう。

 断捨離とでも言うのだろうか。

 必要か、不必要か、その二択で物事を仕分けすぎてしまったのではないだろうか。

 もっと無駄や手間なことがあっても良いのではないだろうか。そこに、大切なものがあったのではないだろうか、と。



 200年前、人類は少子高齢化社会以外にも、いくつもの問題を抱えていたらしい。


 地球の王として君臨し、たったわずか数十万年で、人類はこの惑星を食い潰した。

 世界人口は100億を超え、食糧問題とエネルギー資源の枯渇は深刻化を極め、残り少ない食糧と資源を奪い合う、核兵器を使用した戦争が繰り返されていた。


 人工衛星「ソーセキ」は、それらの問題を解決すべく打ち上げられた。

 軌道エレベーターの建造と、宇宙空間における人工の居住地スペースコロニーの建造、さらには月や火星のテラフォーミングを目的とした、いわば宇宙開拓の拠点として打ち上げられたものだった。


 しかし、その後まもなく、人類は軌道エレベーターもスペースコロニーもテラフォーミングも必要としなくなる。


 感染致死率100%の新型ウィルス「カーズ」による世界規模のパンデミックによって、世界人口は十分の一まで間引かれたからだ。


 カーズウィルスが、偶発的に自然発生したものなのか、あるいは最初から人類を間引くことを目的として故意に産み出されたものだったのか、その真相は200年が過ぎた今でもわかっていない。


 わかっているのは、未知のウィルスが90億の命を奪い、その代わりに生きながらえた10億の命は、食糧やエネルギー資源といったありとあらゆる問題から免れた、という結果だけだった。


 人類は、90億の命とともに、さまざまなものを捨てた。



 しかし、◯◯は、


「元々は、もっと普通の人工衛星だったそうよ」


 と、意外なことを口にした。



「24年前なの。スペースデブリでしかなかったあの人工衛星が、あんな風に月にそっくりな形になったのは」


 ●●はそれを、そのときはじめて知った。


 200年前から、25年おきにメビウスの日は繰り返し繰り返しやってきているのではなかったのか。


 そう教えてくれたのは◯◯だったはずだ。



「メビウスの日は、ちゃんと25年おきに来ていたよ。

 でも、25年前はまだ、ソーセキはただの使われてもいない人工衛星の残骸だったの。

 本当は25年前に間に合わせるつもりだったみたいなんだけど、宇宙空間での作業は思っていた以上に大変で間に合わなかったんだって」


 それを、200年前ならまだしも、現代人が手間や暇だけじゃなく、大金すぎるほどの大金をかけて、月と同じ形にした? 何のために?


「25年に一度しか並んで見えないものが、月とデブリじゃロマンチックじゃない、どうせなら、月がふたつ並んだ方が綺麗だって、そんな風に考えて行動を起こす人がまだこの世界にはいるんだよ」



 ●●には、理解が追い付かなかった。

 そんなことをして、何になるというのだろう。

 今、このふたつの月を見ている人間が、自分たち以外に世界中に何人いる?



「無駄だとか手間だとか、お金がかかるとか、いろんな批判があったみたい。でも、その人はやり遂げた。

 やり遂げた後、その人は今日まで生きることができなかった。

 その人が一番、今日という日を楽しみにしていたはずなのにね……」


「そんなものは、ただの自己満足じゃないか」


「そうかもしれないね。でも、わたしは今日という日を物心ついたときから、ずっと楽しみにしてた」



 ずっと不思議だった。

 なぜ幼い頃から◯◯は、●●が気づけば空を眺めていて、昼間でも月を探していたのだろうと。


 2222年の2月22日の真夜中にしか見られないとわかっていながら、ずっと二つ目の月を探していたのだ。


 今日という日をずっとずっと待ち焦がれていたのだ。


「わたしは、このふたつの月が、こうして並ぶのをずっと待っていた。

 だからね、あの月を作った人は、無駄なことをしたわけじゃないんだよ。

 誰かひとりでも、ふたつの月が並ぶのを楽しみにしていて、そのひとりが、って、わたしのことなんだけどね、今それを見て感動してる。

 わたし以外にも世界のどこかにいるかもしれない。

 わたしが●●にも見せてあげたいと思って、こうしていっしょに見てるように、わたし以外の誰かも、家族や友達や恋人と見ているかもしれない。

 ●●は、これを綺麗だとは思わないかもしれないけれど、わたしはこんなに綺麗なものを見られてすごくしあわせ」



 そう言い終えた◯◯は、大きな瞳に大粒の涙をためていた。

 涙は長いまつげを滑り落ち、彼女の頬を濡らした。


 そのとき●●は、生まれてはじめて、自分の姉を美しいと思った。



「どうしても、●●と今夜、このふたつの月を見たかったの」


 ◯◯は言った。


「次は25年後でしょう?

 わたしたちは、42歳。

 きっとふたりとも生きていると思うわ。

 お互いに結婚をしたり、こどもが生まれたり……お互いにしあわせだといいね。

 でも、たぶん、ふたりで一緒に見られるのは、これが最初で最後だと思うの」



 そうかもしれない、と●●も思った。


 ◯◯と見られる、最初で最後かもしれないこのふたつの月を、綺麗だと感じられない自分が急に情けなく、みじめに思えた。



「●●は、25年後か50年後の今日に、綺麗だと思えたらいいんだよ」



 たぶん◯◯は、このふたつの月を自分に見せて、いっしょに綺麗だねと言いたかったわけではないのだ。


 そう●●は思った。


 もちろん、ふたりで見る最初で最後かもしれないふたつの月だったから、綺麗だねって、ふたりで言い合えたらよかったのだろうけれど。



 自分が自ら人生をかけてでも成し遂げたいと思ったことが、結果として誰かひとりでもこんな風に感動してくれるなら、そして誰かの人生を変えるようなことがあるのだとしたら、どれだけ時間や労力を費やしたとしても、それは無駄なことでもなければ、自己満足でもない。


 彼女が自分に見せたかったものは、そういうことなのだ。



 だから、●●は、その日決めた。


 どれだけ時間がかかったとしても、誰かに無駄だとか自己満足だとか言われたとしても、自分のやりたいことをやろう。


 失われてしまった"MANGA"という文化を自分の手で甦らせよう。


 そう決めた。




「なぁ、姉さん、25年後の今日、もし俺がこのふたつの月を見て、綺麗だと思えたら、そのときはなんて言えばいいのかな?」



 彼女を、姉さんと呼ぶのは、一体いつ以来だったろうか。


 ●●の問いに、◯◯は優しく微笑んで、そして言った。




「月が綺麗ですね」


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ふたつの月 monochrone 2222  雨野 美哉(あめの みかな) @amenomikana

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