ふたつの月 monochrone 2222 

雨野 美哉(あめの みかな)

「見て、●●、2つの月が今夜はとても綺麗よ」



 ◯◯は、舌足らずな甘い声で、ベランダから部屋にいた●●を手まねきした。


 2222年2月22日深夜2時22分のことだった。


 同じ数字がこのように並ぶことを、200年ほど前まではゾロ目と呼び重宝していたらしい。7が並ぶのが最も喜ばれたという。

 たかが数字の羅列だというのに馬鹿馬鹿しいと●●は思う。


 ●●がいた部屋からベランダに通じるガラス戸は閉まっていたが、ふたりともコンタクトレンズ型通信機器を両の瞳にしていたから、通話がかかってくるように、骨伝導を利用してベランダで話す彼女の声は聞こえてきた。


 ◯◯は、一言で言うなら美少女、らしい。

 ●●には、いまだに彼女のどこがかわいいのか、それとも美しいのか、よくわからないのだが、彼女は小学生の頃から男子だけでなく女子からも「姫」と呼ばれていた。

 幼い頃から○○は、●●が気づけばいつも空を見上げ、真昼でも月を探していた。

 彼女は、中学生になると天文部に入り、古文の授業で「竹取物語」を習う頃、ただの「姫」から「かぐや姫」と呼ばれるようになった。

 その呼び名に相応しい髪型(200年前には、どうやらその髪型は「姫カット」と呼ばれていたらしい)に、彼女自身も合わせていっていたのが、●●には少しおかしかった。気に入っているんだなと思った。


 違う高校に進学したため、高校生になってからの○○を、●●はよく知らなかったが、小中学時代とは彼女をとりまく者たちが大きく変化しても、自然と「かぐや姫」と呼ばれるようになったらしい。

 彼女の通う高校は、県内でもトップクラスの成績優秀者ばかりが集まっていたが、いくら成績が良くても思春期の男女が彼女に抱くイメージは変わらないようだった。

 彼女を「聖女」、あるいは「天使」と呼ぶ狂信的なファンもいるらしいと聞いたときは、勉強をしすぎると逆に馬鹿になるんじゃないか? とさすがに思ってしまったが。


 ◯◯は、容姿端麗で成績優秀、おまけに性格も良く、面倒見がよかった。

 そのため、異性からは「後光が差して見える」と評されるほど、眩しく近寄りがたく、神々しい存在のようだった。

 多数の男子から好意を寄せられてはいても、交際を申し込まれたことは一度もなく、連絡先の交換すら申し出る者はいないという。

 皆、彼女に自分はつりあわないと勝手に諦めて、他の女子と交際していたことや、異性が感じるらしいその眩しさは同性から見ても同じだったようで、妬みや嫉みの対象となることはなかった。

 彼女は現在高校2年、春には高校3年になるが、背が低く148センチしかないため、よく小学生に間違われるのだが、それもまた彼女の魅力なのだという。

 彼女は多くの人に愛され、愛でられるために生まれてきた、そんな声を聞いたこともあった。


 ●●には、彼女の魅力はわからなかったが、女の子に恋をしたことはあった。

 200年前から初恋は実らないものだと言われているようだが、●●の初恋も実ることはなかった。

 だが、●●は、ちゃんと自分の気持ちをその女の子に伝えた。

 だから、後悔はなかったし、自分の言葉を真摯に受け止めて返事をしてくれた彼女を好きになってよかったとさえ思えた。


 ●●は思う。

 自分と違って、○○は多くの異性に好意を持たれている。

 しかし、その異性たちに、勝手に自分ではつりあわないと思いこまれ、勝手に失恋されて、○○は一度も異性から好意を伝えられたことはないのだ。

 挙句、多くの人から愛され、愛でられるために生まれてきた? ふざけるな、とすら思った。

 そんなもの、東山絶滅危惧種動物園や名古屋港絶滅危惧種水族館で飼育されている動物たちと何も変わらない。



 そんな◯◯は、●●の前でだけは無防備な格好を見せる、普通の女の子だった。

 下着姿で●●の前をうろつくし、今ベランダにいる彼女も、下着姿の上に赤いダッフルコートを着ているだけだった。

 立っているだけで折れてしまいそうなほど、か細い脚は小刻みに震えていた。

 寒いなら下に何か履けよ、そう思わずにはいられなかった。



 ◯◯に声をかけられた瞬間から、●●の脳に埋め込まれた脳機能を拡張させる"BCI"(ブレイン・コンピューター・インターフェース)、その拡張機能のひとつである自動書記機能"ACF"(オートマチック・クラーク・ファンクション)が、私小説のようなものを紡ぎ出し始めていた。


 二段ベッドの下で寝転がりタブレット端末を弄っていた●●は、それを鬱陶しく感じながらも、仕方なくベランダに出ることにした。


 ●●がタブレット端末で読んでいたのは、近代の"MANGA"と呼ばれる今では失われた文化のひとつだった。


 1頁がいくつもの四角で仕切られ、そのひとつひとつに絵があり、登場人物の台詞がある。

 それが何百頁、何千頁と続くのだが、それは作者ひとりの手によってか、もしくは作者名が記されている者を代表とする複数の手によって描かれた、非常に手間のかかるものだった。


 ●●は、無駄や手間をすべて削ぎ落とした生活を生まれながらに与えられた現代ではとても考えられない、その"MANGA"という古くさい文化が好きだった。


 "MANGA"に限ったことではないが、読書をしているときは、たとえそれが200年前の作品であっても、著作権を侵害しないため、ACFは一時的に機能を停止する。

 ACFの機能を一時的に停止させるためだけなら、小説や映画等さまざまなエンターテインメントがあったが、●●は"MANGA"が純粋に好きだった。


 この時代、著作権だけでなく肖像権や様々な権利は、BCIによって保護されていた。無論プライバシーもだ。

 悪意を持った人間に名前を知られるだけですべてを覗かれかねないため、プライバシーの侵害への配慮から、ACFは自動的に●●と◯◯の名前さえも伏せてしまう。


 そんな黒く塗りつぶされた箇所ばかりの私小説もどきに何の意味があるのだ、といまだに●●は思う。

 だが、プライバシーが完全に守られているが故に、ACFが書き記す体験はリアルタイムで世界中に配信され、その体験を買う者がいるのだ。

 それらの体験を元に、現代のエンターテインメントは産み出され、印税もわずかながらではあるが支払われる。

 人は、その不労所得だけで生活ができるだけの収入があり、労働はアンドロイドやロボットがすべて行う。

 エンターテイメントでさえ、コンピューターが産み出していた。


 そんな風に作られたエンターテインメントは、どこに自分の体験が採用されているかわからなかったし、自分の体験であると気づかないだけで、BCIが精神衛生上よろしくないと判断し消去した、自分の負の体験の記録である可能性もあった。

 だから、●●は無意識にそれらを避けていた。



 ◯◯は、いかにも嫌々やってきたと言わんばかりの顔をしていたらしい●●に言う。


「もう! また、そんな嫌そうな顔をして。

 今夜は25年に一度しかない夜なんだよ?」


「だって寒いし。

 ◯◯には悪いんだけど、月が綺麗とかさ、俺、よくわかんないんだよ。

 花とか、あと夜景とかも……」


 ◯◯は、部屋着のままの●●が風邪を引かぬよう、手に持っていた上着を羽織らせようとしたが、●●はそれを拒んだ。

 すると、彼女が悲しそうな顔をしたため、


「脚、寒そうだから。俺はいいから、◯◯が脚に巻きなよ」


 ●●はため息をつくと、不愛想にそう言って夜空を見上げた。


「あぁ、ほんとだ。月がふたつあるなぁ」


 ●●が感じたのは、ただその事象だけだった。


 普段から月を、夜空を見上げることがない●●には、どちらがこの惑星に人類の誕生する遥か以前から、軌道上を周回する衛星として存在していた本物の月なのかすらわからなかった。


 月が日によって姿を変えることや、月が真円を描く満月を見たことは勿論あった。


 しかし、それくらいに、ふたつの真円の満月は、同じように見えた。

 それだけではなく、まるで無限大を意味する記号のように、ふたつの月は重なることもなければ、離れすぎることもなく、並んで浮かんでいた。


 25年に一度だけ、ふたつの月がそんな風に並ぶ。



 その日は、「メビウスの日」と呼ばれていた。



 その日は25年に一度ずつ、繰り返し繰り返しやってくる。

 そして、人はまたあやまちを繰り返す、そういう意味もまた込められた名前だった。あやまちを繰り返さないように、という反面教師的な意味合いだったかもしれない。


 偽物の月は、200年前に打ち上げられ、今ではもうその役目をとうに終え、軌道上を漂うデブリと化した人工衛星だということは、●●にも知識としてはあった。

 名前は確か、「ソーセキ」。



「ほんと、昔から感受性の乏しい子……」


「あぁ、でも、ゲームの背景とかが綺麗なのとかはちゃんとわかるぞ」


 それから"MANGA"の絵の良し悪しもわかる、と言おうと思ったが、やめた。

 "MANGA"の話を始めると、●●は止まらなくなってしまうのだ。いつも○○をおいてきぼりにしてしまう。


「わたしにはそっちの方が逆にわからないけど」


 ◯◯は呆れたようにそう言うと、自分の首に巻いていた長いマフラーを、●●の首にも巻き付けようとした。


「やめろって。気持ち悪い」


「気持ち悪いって……、ひどいなぁ。別に姉弟なんだから、これくらい普通でしょ?」


 そう、◯◯と●●は姉弟だった。

 だから、●●には◯◯のかわいらしさだとか魅力だとかいうのが、よくわからないのだ。

 異性として見たことがなかったし、学校で評価されている面倒見の良さは、●●には余計なお世話でしかなかった。


「さっきまで読んでた"MANGA"で、同じことを恋人同士がやってたんだよ。あと、何度も言ってるけど、姉貴面すんな。同い年なんだからな」



 ◯◯と●●は、双子の姉弟だった。

 双子といっても、●●は◯◯のクローンだった。





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