第3話 心を閉ざして
どうしようもなくうなだれて、地面を見つめていると、ボールのような何かが三つ飛んできた。
それと一緒に、血に塗れた沙癒が……帰ってきてくれた!
「菫お姉ちゃんは、私に頭をなでなでして欲しいんだ。なでなでしてあげる」
沙癒がこんなどうしようもない、私の頭をなでてくれる。
暗くてよく見えなかったけど、飛んできた物は、人の頭部だった。
二つはさっきの警察官。残りの一つは……沙癒の母親だった。
胃がひっくり返ったような、吐き気が止まらない。
自分への嫌悪感が抑えられない。
祈りが通じたら、人が死ぬって分かっていたのに……沙癒を手にするために、どこかでそうなることさえも望んでしまった。
そんな自分が、何よりもいやで、嫌いでたまらない。
この短時間に人を四人も殺して、殺させておきながら、私は沙癒がどこかに行ってしまうのではないか。それだけが心配でたまらない。
私を守ってくれる家族はもう残っていない。
良心と呼べる物が残っていたとしても、私にはそれがあると主張する権利もない。
生まれた瞬間から、大切な機能が奪われていて、微かに手にしていた何もかもを失ってしまって……私に残った最後の拠り所は、沙癒だけだ。
目の前にいる、頭を撫でてくれる無表情の沙癒が、私に残った全部。
その沙癒さえいつまで側にいてくれるかわからない。
私がこれほど依存しているのに、コツさえ掴んでしまえば、誰でも沙癒を奪えてしまう。
心の拠り所がない今の私に、その恐怖はとても抱えきれるものではない。
一度考え始めてしまうと、際限なくその不安が押し寄せて、頭を埋め尽くす。
今はこうして目の前にいてくれるけど、他の人が近づいてきたらどうなるか……
沙癒がもう私から離れて行かないような安心が欲しい。
誰かの強い意志につられて、私を捨てたりしないような安心が欲しい。
沙癒が私以外の意思で、どこかにもいけないようになって欲しい。
「菫お姉ちゃんは、私についてる脚が邪魔なんだ。捨ててあげる」
慣れ親しんだ、沙癒の機械的な宣言。
自分の犯した過ちに気付くが、既に手遅れだった。
思い返せば、私が沙癒にしてあげたことが一つでもあっただろうか。
沙癒の感情を代弁してあげてるつもりだったけど、あれは単に私の沙癒が、誰かの感情を代行するのが許せなくて……いやだっただけで、沙癒の本心じゃない。
そもそも沙癒の本心ってなに?
教えて! 教えてよっ! 沙癒の本心ってなに!?
沙癒は答えてくれない。心に何度描いても、強く強く願っても。いつもなら機械的に答えてくれるのに。
今は壊れた機械のように、固まって動かない。
わかってる。沙癒に本心なんてはじめからないんだ。答えなんてはじめから存在していないから、何も言ってくれないんだ。ただ私の強い感情に引っ張られて、私にとって都合がいい沙癒を演じてくれただけ。
空っぽの沙癒を私が埋め立てて、それを沙癒の本心だと自分に言い聞かせて、依存してた私が……はなから間違ってたんだ。
でもだったら……そもそも本心なんてないなら、なにしても沙癒はいやがらないんだったら、なにしても……いいよね?
私に都合がいいように造り変えても問題ないよね?
愛を囁いて貰っても全然構わないよね?
だって沙癒は、ただの機械なんだもん。他人の感情を模倣して実行する機械。
私が使い潰しても、私だけが独占しても大丈夫だよね?
だって私には沙癒が必要だから。沙癒なしじゃ日常さえ覚束ないんだから。
その点、沙癒は誰でもいいもんね。私じゃなくても。自分をコントロールしてくれる人さえいれば。もしかしたら、それさえも本当は必要ないのかも。
だったら私でいいよね?
沙癒は返事をしてくれない。どうでもいいから。私でもいいなんていい加減な理由じゃない。
沙癒の心は虚ろで、無その物だから。何にも詰まってないのだから、沙癒の意思を聞いたって、答えられるはずがない。
その点、私には意思も感情もある。
私にないものを外付けで補ってくれる沙癒を求めて何が悪いの。
「菫お姉ちゃんは、自分が悪くないって言って欲しいんだ。言ってあげる。菫お姉ちゃんは何も悪くないよ。好きに生きていいんだよ」
私のせいで、両足を失くした沙癒がこう言ってくれている。
どうしようもなくなった私に、沙癒が勇気をくれる。
二人でどこまでも、どこまでも堕ちていける覚悟を。
私と沙癒は閉鎖病棟にいる。
私が望んで、この暗くて、何もない地の底を、二人で過ごす終の住処に選んだ。
未成年であることにかこつけて、牢獄なんて他人に介入される場所は選ばなかった。
誰もが見放してくれる、ここに身を堕とした。
誰も近寄らないから、私の沙癒が誰かの感情に釣られてどこかに行ってしまう危険はない。
ここでなら安心して最後まで、沙癒を独り占めにして、人間の私でいられる。
もう、うんざりだ。ここに二人揃って閉じ込めてもらうまで、沙癒はあらゆる感情に振り回されて、私に全然構ってくれなかった。
どれだけ強く強く願っても、沙癒を私だけのものにすることはできない。
沙癒が私以外の方へ、這ってでも向かう姿を目にしたときには、心臓が潰されたのかと錯覚した。
二人っきりで世界を閉ざさない限り、沙癒はどんな体になろうが、どれだけ私に望まれようが、私から離れて行ってしまう。
身動きの取れない私が、法も倫理も無視して、辿り着いたハッピーエンドの終着点がここだ。
同じ部屋に閉じ込めてもらうのは、困難を極めたけど、なんとかそうなれた。
もし引き離されたいたらと思うと……自死すら選べない私が、こんなところで一人きり……
生き地獄なんて生易しい言葉では言い表せない。
生まれた瞬間から、大切な機能が欠けていた私が、満場一致の幸せな結末を迎えられるはずがない。
欠けていた機能を取り戻すこともできないのだから、有り物で満たされる道を模索するしかなかった。
愛する人がそばにいて、その人が私を人間たらしめてくれる。
その為に数えきれなほどの人間性を捧げた。
お母さん、沙癒の母親、無関係の人々……何よりも大切な存在であるはずの沙癒の人生。
後悔で涙が溢れることはない。そんな人間らしい機能、私には不釣り合いだから。
ここまでして沙癒を手にしたかったわけじゃなかった。
自分一人でなら充分抑えられる感情と衝動だったのに。
それが暴走して、どうしようもない状況に追い込まれて、その過程で大切なものを失い続けた。
沙癒が外付けで私の機能を補ってくれても、こんな場所ではその意味があるのかも怪しくて。
真面目に今の状況に目を向けると、気が変になる。
全部全部、何もかもを忘れて、隣に寄り添ってくれている、沙癒の温もりに没頭するしかない。
それで辛いことも、いやなことも忘れるまで愛してもらう……
優しい言葉をかけてほしい。私が望んだ、がらんどうの言葉を、溺れてしまうほどに浴びせて欲しい。
「菫お姉ちゃんは、今を肯定して欲しいんだ。私は誰か一人の物になりたかったから、これでいいんだよ」
歯が浮くようなロマンチックな言葉ではないのだとしても、私を救ってくれる言葉。
これが沙癒の意思によるものでないのは分かっている。それでも嬉しい。
沙癒の心を探して、それに触れてみたい。だけど、それが存在しないのはわかっている。だから、そうと割り切って今を享受するんだ。
「菫お姉ちゃんは、私に心がないって答えてほしいんだね、そう答えてあげる。私には心がないから、自由にしていいんだよ」
「菫お姉ちゃんは、私に心があるって答えてほしいんだ。そう答えてあげる。私には心があるから、この愛は本物だよ」
沙癒は私の望んだ答えをくれる。言葉をくれる。
心がないのだとしたら、自由にしていいと言ってくれた。
心があるのだとしたら、愛は本物だと言ってくれた。
深く考えるのはもうやめて、この暗闇の中で、瞳を閉じて沙癒に溺れていよう。
明日も、その次の明日も。この閉じた世界を、私が認識出来なくなるその日まで……
心を貴女に委ねたら 神薙 羅滅 @kannagirametsu
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