はじまりの景色

きさらぎみやび

はじまりの景色

 記憶というものは不思議なもので、覚えていたいことをすっかり忘れてしまっていたり、かと思えば全くもってどうでもいいようなことをいつまでも覚えていたりする。


 例えば初めて男の子とお付き合いを始めた時のふわふわした感情はとてもよく覚えているのに、なぜかその男の子の顔はすっかり忘れており、私の頭の中にある霧がかった記憶の海の奥底に深く深く沈んでしまっていて、それはもう最新の設備を備えた探査船でもたどり着けないような場所に落ち込んでしまった。それなのにその男の子と別れてしまった日の風の冷たさや、指先のあかぎれのちくちくとした痛みや、俯いたその男の子のぎゅっと握りしめた拳の形は今でも鮮明に思い浮かべることが出来たりする。


 覚えていたくないようなことを覚えてしまうのは、太古の時代から必死の思いで生き抜いてきた人間という種の本能なのかもしれない。

 危険な事、嫌な事ほど我が身を脅かす。

 だからそれは強烈な記憶として脳のどこかに刻み込まれるけれど、楽しかったことや嬉しかったことは私を構成する感情の養分として溶け込んでしまうのかもしれないと思うこともある。


 人によっては胎児の頃に母親のお腹の中にいたことを覚えているらしい。

 もしそうならば、それはその人にとって苦しいとか辛いといった類いの経験だったのだろうか。人が生まれているときに泣いているのは暖かな羊水に包まれた心地の良い世界から、止め処なく艱難辛苦が訪れる世界に出て来るのが嫌だからなのだとしたら、それは少し悲しい気もする。


 とはいえ、この世界に生まれ出てきた瞬間のことを覚えている人は少ない。

 おおよその人の記憶は、物心ついた頃から始まっている。


 上下に揺れる視界と、こちらを見つめてくる笑顔の両親。

 それが私の最も古い記憶。

 覚えているのはそれだけで、何歳ごろなのか、場所はいったいどこであるのかはまったく分からない。

 不思議なのはなぜか視界が上下に揺れていること。

 思いつくのは公園にあるシーソーなのだけど、それならば反対側には両親のいずれかが座っていてもう一人が横にいるはずだ。だけど記憶の中の両親は二人並んで立ってこちらを見つめている。つまり上下に揺れているのは私だけ。

 次に思い浮かんだのは同じく公園で見かける動物の形をした遊具。

 あれは底面を太いバネに支えられていて、人が乗ると揺れるからそれかもしれないと思ったのだけど、それにしては記憶の中の私はきっかりと一定のリズム、一定の振幅で揺れている。疑問は長年解けなかったけれど、あえて両親に尋ねるまでもないかなという位置づけのその記憶は、だから私の中の海の奥底にひっそりと沈んでいてときどき何かの弾みにぷかりと浮かんでくる、それだけのことだった。



 今年は世界を覆いつくした疫病の影響でほとんど両親の所に帰れていなかった。例年であればお盆の時期には夫と共に娘を連れて実家に帰省していたのだけど、今年はそれも出来なかった。


 スマートフォンの画面越しにしか孫を見つめることしかできていない両親の様子は小さな画面の中でもずいぶんと寂しそうで、私たち夫婦は相談を重ねて入念に準備を整えたうえで、混雑の少ない平日に久方ぶりに娘を連れて実家を尋ねることにした。実家には泊まらずにホテルを取ることにして、できれば外で会う方がいいと相談すると、向こうが集合場所に提案してきたのは地元の小さな遊園地だった。



 待ち合わせの当日は、秋の爽やかな陽気が心を和ませる良く晴れた日になった。訪れてみれば確かに私も行ったことがあるような気がするそこは、本当に小さな遊園地だった。サッカー場2面分くらいの広さしかない園内にメリーゴーラウンドと園内を一周する汽車型の遊具と、子供でも乗れる小さなジェットコースター、それに足漕ぎ式の自動車があるくらいで地元の親子連れがほのぼのと穏やかな時間を楽しんでいた。


「あらあら久しぶりねえ、春香ちゃん。おばあちゃんですよ」


 遊園地の入り口で満面の笑みで迎えてくれた母はさっそく娘に話しかけていた。同年代の他の子よりも人見知りの強い娘は久しぶりだからか私の服の裾をぎゅっと掴んでおばあちゃんを見つめている。

 母はそんな娘の様子に少し眉を曇らせながら、「久しぶりだからおばあちゃんのこと忘れちゃった?」と問いかける。

 黙って首を横に振る娘。


「ごめんね、遠出も久しぶりだからちょっと緊張してるみたい」

「こんな時だからしょうがないわよね。敏感に察しているのかしらね」

「そうかも。ここんところ寝てるときもくっついてくるし」


 話ながら娘の頭をくしゃりと撫でてやる。それで少し緊張がほぐれたのか、娘の方から母に手を繋いできた。


「あ、手をつないでくれるの。おばあちゃん嬉しいな」


 そう言いながら二人はゲートをくぐって園内に足を踏み入れた。私もそれに続き、夫と父は話しつつ私たちから少し遅れてついてくる。

 こじんまりとしているとはいえ、まだ幼稚園児の娘には大きめの遊具は少し早いようだった。同じくらいの年代で乗っている子もいるけれど、どうやら気後れしているようで「乗ってみる?」という母の問いに、躊躇うように首をかしげていた。

 唯一娘が興味を示したのが、かなり古ぼけた木馬の遊具だった。

 造られてからどれくらいたっているのだろう。妙にリアルな馬の頭と胴体が木造の小屋のようなスペースの中に4つ並んで佇んでいる。

 木馬の前に料金箱が設置されているのだけど、値段はなんと10円だった。


「これに乗りたいみたいよ」


 母が私を促したので、私は娘を木馬の背中に誘導して落ちないようにバランスをとって乗せてあげる。娘が馬の首を掴むのを確認してから、財布から10円を取りだして料金箱に投入する。

 ゆっくりと木馬が上下しだすと初めての感覚が楽しかったのか、さっきまでの不安そうな顔はどこへやら、途端に娘は笑顔になった。

 ただ上下に揺れているだけの単純な遊具なのに、ニコニコと楽しそうに揺れにその身を任せている。

 夫がカメラを構えて娘の写真を撮りだした。


「ほら、春香ちゃんこっち向いて」


 夫のリクエストに応えて娘は笑顔をこちらに向ける。私はカメラを構える夫の後ろからその様子を眺めていた。

 唐突に海の底から最初の記憶が顔を出した。


 ……そうか。私が覚えていたのは、この木馬に乗った記憶だったんだ。


 かつての両親と同じように娘に向かって笑顔で手を振る私たち。嬉しそうにこちらを見る娘はかつての私と同じだった。


 ニコニコと楽しげに揺れる娘を見つめながら、私は思う。


 この子の最初の記憶はいったい何になるだろうか。

 私たちに出来ることはとても少ないけれど、出来うることならば彼女のはじまりの景色は幸せなものであって欲しいと、私は心からそう願っている。

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