第135話 カウントダウン4 ナイトの駆け引き


 静まり返った研究室。

 筆を走らせるリズミカルな音だけが聞こえてくる。

 一心不乱に書き物をしている龍人が、手元にできた影に気づいて目線だけを上げた。友人の訪れを知り椅子の背もたれに寄りかかって一息つくと、愛想よく彼を迎え入れる。


「おや、イーヴォ君。随分具合が悪そうだね。診察してあげようか?」

「これ、シエラちゃんから」


 シエラの送迎、イオラへ薬の納品を終えたイーヴォが、龍人の目の前にドンとお皿を置いた。

 無視されたことは気にも留めず、お皿の中身を見た龍人が手を叩いて喜ぶ。


「わお、これは懐かしい。僕の大好きな塩スパゲティじゃない。今朝は来るのが遅かったから、僕はもうもらえないのかと思っていたよ」


 昨日、簡単にシルビアの居場所を吐いた龍人は悪びれる様子もなく、それどころか図々しささえ感じさせる。


 ……こいつは人の気持ちが分からないのか?


 シエラの優しさを当たり前のように受け入れる龍人に、苛立つイーヴォが頭をガシガシかいて思い切り机をたたいた。音に驚いた龍人が目を丸くする。


「お前が前にリクエストしたからって作ってくれたんだよ! これを見ても胸が痛まないのかよ。あの子は自分の母親を売ったヤツにもこうやって思いやりを持ってくれてるんだぞ!」

「そして幼馴染のために、シエラちゃん自身をジュダムーア様に売ろうとしたヤツにもね」

「……っ!」


 過去の自分の行いを考えれば龍人のことは言えない。

 ニヤリと笑う龍人を前に、イーヴォがグッと唇を噛んだ。


「はははっ、冗談だよ。僕だって人間だから心は痛んでるよ。君も心が痛んだから良心が芽生えたんでしょ? 良かったじゃない、記念にケーキでお祝いしてあげるよ。用意するロウソクは25本でいいかな?」


 痛い所をつく龍人が美味しそうにスパゲティを頬張る。


 確かにイーヴォはシエラと出会ってから心が大きく変化した。以前なら、人のために魔石を差し出すなんてことは絶対にしなかっただろう。


 しかし、シエラの優しさはイーヴォにだけ向けられてきたわけではない。


 イーヴォは龍人と行動を共にしてきたことで、シエラの龍人に対する思いやりも感じていたし、それが龍人に伝わっているとも感じていた。それなのに、なぜ龍人はシエラにこんな酷い仕打ちができるのか。


 イーヴォの中で、過去の自分に対する後悔と自責の念、龍人への怒りと悲しみ、失望が渦巻いた。


「お前には……良心がないのか」


 モグモグ食べ続けている龍人が両手を広げて大げさに驚く。


「僕⁉ 僕なんて、どこをどう見ても良心の塊でしかないでしょ。だから君に言われた通り、シエラちゃんには近づいていないじゃない。寂しくて今にも死にそうだっていうのに」

「じゃあついでにもう一つ、僕の言うことを聞いてくれよ」

「ははっ、困ったな。一気に形勢逆転だね。なに?」


 言葉とは裏腹に、龍人は少しも困っていなさそうに笑う。

 どこまで信用していいのか、全く信用できないのか。はっきり判断が付かないが、イーヴォはある仮説にかけるしかなかった。


 龍人が最優先するのは、この最悪のゲームが一番面白く転がること。つまり、期が熟した時に最後の決戦が起こるような選択肢を選ぶ。

 ゲームを楽しむためなら、この龍人は協力を惜しまないだろう。


「サミュエルの軟禁部屋の隣に、昨日捉えたシルビアがいることになっている。でも、あのシルビアは僕なんだ。だから中には誰もいない。軟禁部屋に訪問するようなもの好きはお前だけだろうから先に言っておく。もう知っていたかもしれないけど」

「へぇ……それは大変だったね。てっきりご本人が登場したのかと思ってたよ。だから今日の君は具合が悪そうなのか。まさか自己中心的な君がそこまでするとは、シエラブルーの威力は本当にすさまじいなぁ」


 龍人は特に驚く様子もなく「生前贈与してもピンピンしてたガイオンは本物の野獣だね」と言いつつ、次々とスパゲティを口に運ぶ。


「だから、このことを他の人に知られないようにして欲しいんだ。バレれば、革命を早めるしかなくなる。もしお前が不審な行動をしたら、その時は僕が……」

「殺す? 君がかい? ……良いよ。秘密を守ってあげよう。僕らの天使を命懸けで守ってくれたイーヴォ君の頼みだ。でもちょっと惜しいんだよなぁ」


 へらへらしていた龍人が腕時計に目を落とし、ため息をついた。

 そして残念そうに頬杖をついてイーヴォを見上げる。


「ここで僕らが談笑している間に、天使がどこに行こうとしているか知ってる?」

「……どういうことだよ」


 シエラの予定は把握している。今の時間は特になにも予定がなかった。それを確認して研究室にやって来たのだ。

 言わんとしている意味が分からないイーヴォが顔をしかめる。


「あー、先に言ってあげれば良かったね。朝の診察の時に突然王様からご希望があったんだ。多分今頃、ジュダムーア様のお声がかかってるはずだよ」


 龍人の言葉を聞いたイーヴォが青ざめる。


「龍人……お前、またなにか仕掛けたな!」

「でも安心して。シエラちゃんからの生前贈与は結婚した後にする予定だから、それまで命の心配はない。ただ、昨日のこともあるし、不安は不安かもね……。そんなときに味方の君がいないなんて。やっぱりシエラちゃんのナイトは僕が適任なんじゃない?」

「くそっ……!」


 また龍人にはめられたのか、自分では龍人の策略に敵わないのか。

 もしかしたら昨日の生前贈与も、自分を排除しようとする龍人にうまく誘導されたのかもしれない。


 クスクス笑う龍人にくやしさを噛み締めながら、イーヴォが研究室を飛び出して行く。

 龍人がその背中を見送り、開け放たれたままの扉に向かってポツリと呟いた。


「頼むよ、イーヴォ」







 一階の研究室を出たイーヴォは、らせん階段を全速力で駆け抜け、最上階のジュダムーアの部屋に向かった。

 豪華な絨毯が床を蹴りつける衝撃を吸収し、いまいましくも速度を落とす。


 ……間に合ってくれ!


 シエラの部屋は四階。

 もしかしたら間に合わないかもしれない。

 不安に襲われながら走り続け、ギリギリのところでシエラの小さな背中とイオラの姿を捉えた。


「シエラちゃん!」


 声をかけられたシエラと、隣にいるイオラが足を止めて振り返る。


「イーヴォ? どうしたの、そんなに慌てて」


 ……良かった、間に合った!


 息を切らせて走り寄るイーヴォを、心配そうなシエラがのぞきこむ。


「シエラちゃんに見せたいものがあるんだ」


 きょとんとするシエラに、イーヴォがにっこり微笑んだ。






作者:田中龍人

https://kakuyomu.jp/works/16816452219517599517/episodes/16816452220123383728

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