番外編 涙のない鬼と血のない魂売師 に
場所を移して行われていた牟鬼と円堂の戦闘は、意外な展開を見せていた。
円堂の中にあった疑念は焦りとなって、ついには絶望に変わった。
――拘束術が……効かない。
幾度、術を仕掛けても、牟鬼は何の苦もなく自由に動き回る。
必死に立ち回る円堂だが、切り札が通用しないとあっては敗北、そしてその後訪れる死は時間の問題だった。
なぜ拘束術が効かないのか?
円堂は逃げながらも牟鬼を観察するが、答えは見つからない。
すると、そんな円堂を見て牟鬼は馬鹿にするように鼻で笑った。
「その顔を見ると分かっとらんようじゃな。なぜ俺様に神力が効かんのか」
「その顔を見ると随分と自信があるようですね。あなたが私を殺すために考え出した策に」
「策? はっ!」
牟鬼の声が一音低くなる。
「俺様は何もしとらん。神力が効かん原因は貴様にあるんじゃからな」
「私に?」
円堂に思い当たることはない。
いつもと同じように、神力を使っているつもりだった。
「そうじゃ。下らんことに迷っとるせいで、貴様の強さがぶれとる。それだけの話」
分かりきったことをわざわざ口にすることへの面倒臭さを含みつつ、牟鬼は言う。
――迷っている……?
決して下らないことではなかったが、円堂があることで迷っているのは確かだった。
それがこんな場面においても思考の多くを占めている。
精神を乱すことで神力が弱まっているということでもない。
ただ単純に、今の円堂は戦闘に身が入っていないのだ。
「ぐっ!」
ついに
牟鬼の金棒が右足に強打し、円堂は地面を転げ回る。
巨大な影が円堂を覆う。顔を起こせば、牟鬼が見下げ果てたように目を
「じゃあな。貴様は思ったより、つまらん男じゃった」
ゆっくりと掲げた金棒が最高点に達した瞬間。
牟鬼の顔が緊迫感の満ちたそれとなる。
あの寺院の方角から鬼の気配を感じたのだろう。
当然、その気配に円堂も気付いていた。
「くそっ。ここまできてあのガキ共の魂を横取りされてたまるか。貴様は後回しじゃ」
牟鬼は金棒を下ろすと、くるりと背中を向けて寺院に戻ろうとする。
「待ちなさい、牟鬼」
その後ろ姿に円堂は冷え切った声で語りかける。
ぴたりと、牟鬼の体は静止する。
佐耶たちに危険が迫ったと知るや、円堂の中にあった迷いは霧散した。
胸中にある思いはただ一つだけ。佐耶たちを助けることだけだった。
「私を背負って連れて行きなさい。さもなければ」
「ふん。やっと貴様から解放されると思ったんじゃがな」
悪態を吐きながらも、牟鬼の声はどこか嬉しそうだった。
牟鬼に背負われた円堂は寺院に着くと、すぐさま本堂内を見渡した。
すると、本堂の中心にぽつんと佐耶が一人
「無事でしたか」
思わず顔を
佐耶の他には誰の姿もないということは、子供たちは鬼に連れて行かれたか、あるいは……。
「一体何があったんですか?」
牟鬼の背から降りながら円堂は問う。
しかし、佐耶は何の反応も示さない。
「大丈夫ですか? 話してください。一体何が……」
円堂が心配して、右足を引きずりながら佐耶へ近付いた――そのとき。
佐耶の両手が円堂の首をがっしりと掴み、そのまま宙へ持ち上げる。
「かっ……は」
いくら円堂の方が年下といっても、女性の力で自分より大きい者を持ち上げるなどできるはずがない。
明らかに今の佐耶は異常だった。
浮かせた足をばたつかせて円堂はもがくが、佐耶はまるで意に介さない。
円堂の心に再び迷いの影が差し込む。
これでは拘束術の効果は期待できない。
案の定、佐耶の動きが止まることはなかった。
「どう……か正気に……戻っ……」
「魂ヲ集メテ“巣”ヘ帰還。邪魔者ハ消セ」
円堂は必死で言葉を搾り出して語りかけるが、佐耶は何度も何度も意味の分からない言葉を繰り返した。
牟鬼が苛立たしげに叫ぶ。
「何をまた迷っておるんじゃ! そいつはもう助からん。殺すぞ!!」
「黙り……なさ……い。あなたは……そこ……で……っ」
もうわずかばかりの声も出ない。
牟鬼はさらに声を張り上げて、円堂に
「今のそいつの残忍さは貧魂街の奴らに引けを取らん。放っておけば、いくらでも殺すぞ」
「………………」
「貴様の正義を貫くというなら、こいつを殺すのが筋じゃ! 違うか!?」
牟鬼の言う通りだった。
私情で
円堂はゆっくりと頷き、牟鬼に許可の意を示そうとする。
そのとき、とうとう円堂の意識が遠のき始めた。
頭の中が真っ白になり、これまでの様々な体験が駆け巡る。
はっと気を失いかけた円堂が寸前で持ち直すと、真っ先に視界に飛び込んできたのは佐耶の左手首にある数珠だった。
たった今、脳裏を過ぎった光景の中に確かにそれはあった。そして円堂は原初の記憶を呼び起こす。
「待っ……ぼ……う」
円堂は牟鬼を止めようとするが、その声は届かない。
牟鬼が金棒を横から振るえば、佐耶の体は吹き飛んだ。
膝をつき、咳き込む円堂。
その間に牟鬼はすぅと息を吸い込む仕草をする。鬼が魂を吸収するときの動作だ。
しばらくして、牟鬼はぺっと唾を床に吐いた。
「まずい。こんなにまずい魂は貧魂街でも喰ったことがない。俺様の言った通りじゃったな。こいつはやっぱり悪人じゃ」
いくら何でも演技が下手過ぎると円堂は思う。
本当に魂を喰ったかどうかなど、魂売師が見抜けないはずはない。
あえて憎まれ役に甘んじた牟鬼の心遣いに感謝しながら、円堂は佐耶に近寄る。
とても見れたものではない酷い死に様だった。
血がどんどん流れ出ている。円堂にも通い、円堂と繋がっている血が。
円堂は目を伏して手を合わせると、そっと佐耶の左手首に触れる。
あのときと同じ感情が止めどなく
この温もりが消える前に伝えておきたい言葉が、円堂にはあった。
「私はあなたのことが好きです。真実を知った今でも、変わることなく愛しています」
円堂は形見となった数珠を抜き取ると、自分の懐へ仕舞い込む。
「さようなら」
少年の初恋は塩辛い味とともに終わりを迎えた。
涙のない鬼と血のない魂売師 烝 @susumu
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