番外編 涙のない鬼と血のない魂売師 は

 円堂たちの看病の甲斐あって、佐耶は順調に快方へ向かっていき、三日後にはすっかり完治した。


「やっぱりあなたは悪人じゃなかったわね。私の勘は正しかったわ。ありがとう」


 初めて自分に対して向けられた佐耶の笑顔を見て、円堂は一つの決心をする。

 佐耶たちをこのまま放ってはおけない。しばらくここに留まろうと。

 円堂がその決心を口にすれば、佐耶たちは驚きはしたものの、拒みはしなかった。

 佐耶の看病の際に力を合わせるうちに、子供たちも牟鬼と円堂に心を許していたからだ。

 牟鬼は相変わらず不愉快さを隠そうともしなかったが、への字にした口を開けることはなかった。

 こうして、鬼と魂売師と人間の子供たちという、奇妙な共同生活が始まった。 

 夜の番は牟鬼と円堂がすることになり、佐耶たちはようやく規則的な生活を送れるようになった。

 そのことを喜ぶ一方で、佐耶と話せる時間がわずかしかないことに円堂は物足りなさも感じていた。


 ある日のその貴重な時間でのこと。

 初めの日と同じように時は夕刻で、本堂内には円堂と佐耶しかいない。

 寝起きの牟鬼は子供たちに連れられて、外に遊びに出ている。

 せっかくの二人きりではあるものの、両者の間には気まずい沈黙が漂っていた。

 円堂が気付かれないようにさり気に佐耶へと視線を送れば、手持ち無沙汰を紛らわせるように数珠を撫でていたのが目についた。

 これまでにも何度か目にしていた仕草である。円堂は間を持たせるために聞いてみた。


「よくそうしていますね。大切なものなのですか?」

「あ、うん。これね」


 佐耶は照れ臭そうにはにかみながら、円堂に数珠が見えるように左手首を掲げる。


「この数珠に巻かれて、赤ん坊の私は捨てられていたらしいの。本当の両親の唯一の手掛かりね。

 なぜか、これに触れていると勇気が湧いてくる気がして、だから癖になっちゃってるんだ」

「なぜか勇気が?」

「そう。触ってみる?」


 佐耶は息がかかるような距離まで近付いてくると、円堂の手を取って自分の数珠に触れさせた。

 

「ね?」

「え、ええ」


 勇気は湧いてこなかったが、別の気持ちは湧いてきた。

 円堂はこのときになって、ようやく自分の気持ちに気が付いた。


            ◆


 数日後。

 その日、牟鬼と円堂はいつものように夜の番をしていた。

 いつもと違ったのは、ずっと仏頂面で静観するだけだった牟鬼が口を開いたことだ。


「いつまでこのガキ共に付き合う気じゃ」


 低くこもった声には怒りが満ちているように感じられた。


「もうしばらくです」


 円堂は言った。

 間髪入れずに、牟鬼は言葉を重ねる。


「俺様は貴様が気に喰わん。自分勝手な正義を振りかざして、悪人を裁くなどとほざく貴様がな」

「承知しています」

「だが、今の貴様はもっと気に喰わん」


 牟鬼の言葉の意味を円堂は測りかねた。


「どういうことですか? 今の私?」

「そうじゃ。貴様の偽善に俺様を巻き込んでおきながら、下らん情にほだされて、それすらないがしろにする。自分勝手もいい加減にしろ」

「蔑ろになど……していません」

「なら、とっととガキ共をどこかの村に預けて悪人裁きの旅に戻ればいい。

 そうせんのは、貴様があの小娘に頼られる現状を手放したくない、あの小娘と別れたくないからじゃろうが」


 牟鬼の指摘に円堂は珍しく躍起になって反論する。

 図星だったからだ。


「あなたこそいい加減にしなさい、牟鬼。これ以上、逆らうというのであれば――」

「俺様を殺すか? やってみろ。今の貴様なんぞ恐くも何ともない」


 余裕を表すかのように、牟鬼は顎を上げ円堂を見下ろす。

 牟鬼のこれまでにない強気な態度に、円堂は引っ掛かりを覚えたが、ここまできて引き返すわけにはいかない。

 一匹と一人は佐耶たちに悟られることがないようにそっと外へ出た。

 

            ◆


 直に日が変わる。

 雲間から微かに漏れる月光ばかりが、夜の闇を少しだけ和らげていた。

 ちょうどいい頃合だな、と純白の鬼は微塵の感情も伴わないまま心中で呟く。

 角の数は三本。鬼にしては小柄で成人並の体躯たいくである。


 ――まさかここに至るまで、ずっと雑草ばかりが続いているとは思わなかったがな。

 随分と辺鄙へんぴなところまで逃げてきたものだ。


 鬼の名は白柚鬼しらゆきといった。

 迷いなく雑草群に踏み入ると、寂れた寺院を視界に捉える。

 当然、白柚鬼はここで一泊しようなどと考えているわけではない。

 白柚鬼が本堂内に入ってみれば、目当てのえさたちは無防備にも全員眠りに就いていた。

 あまりにも呆気ない。よくこれまで生き残ってこれたものだと、白柚鬼は感心さえした。

 とはいえ、楽にすむというのであれば、それに越したことはない。

 ある程度の距離まで詰め寄ると、白柚鬼は子供たちに向けてすっと右手を伸ばした。

 白柚鬼の侵入に気付かないほどにぐっすり眠っていたはずの子供たちが、一人また一人、次々と体を起こしていく。

 ただし、彼らの意識は眠っていたとき以上に飛んでいた、否、支配されていた。

 白柚鬼の使う神力――洗脳術によって。

 神力は人間だけに与えられる力だ。本来、鬼が使えるはずがない。

 しかし、ある理由から白柚鬼はこの洗脳術に限って使うことができた。

 白柚鬼は洗脳を終えると、子供たちに移動の命を下す。

 白柚鬼の意のままに動き出す子供たち。

 だが、その中で一つだけまるで動きを見せない人影がある。

 最年長の少女だった。


「な……に……何なの、これ?」


 洗脳に逆らうばかりか独りでに声を出す少女に、白柚鬼は少しばかり驚いたが、すぐに理解する。


「なるほど。僧の家系か」


 洗脳術は決して万能の術ではない。

 僧や魂売師は常人よりはるかに精神を鍛え上げており、さらに自らが神力を扱うため耐性がある。

 余程うまくやらない限りは、彼らに洗脳術を施すことはできないのだ。

 白柚鬼は中途半端に術が掛かった状態の少女を見て、生来の耐性はあっても後天的な鍛錬は積んでいないことを見抜いた。


「僧の家……系? 私が?」


 少女の反応から、白柚鬼は彼女についてもう一つ見抜く。


「自分の出自を知らない……つまり、お前が捨て子だったという佐耶だな」

「何でそんなこと……」


 少女――佐耶が最後まで言い切れなかったのは、洗脳の影響のせいだけではないだろう。

 白柚鬼は端的に答えを提示する。


「ある魂売師から聞き出した」 

「魂売……師?」

 

 はっとしたように佐耶は周囲に目を配らせた。


「円堂……円堂はどこ?」

「円堂? 誰だ、それは?」


 白柚鬼には聞き覚えのない名前だった。

 あの魂売師はそのような名前ではなかったはずだ。

 佐耶の中で何かの誤解が解けたようで


「じゃあ、あなたの言った魂売師って……催眠術を使う、あの」


 と、正解にたどり着いた。


「ああ。あの男が命乞いの際にお前たちのことを口走っていた」

「命乞い? それであいつを……どうしたの?」

「殺したさ。神力をいただいた後でな」


 佐耶はほんの一瞬、安堵あんどしたように見えたが、その顔はすぐに深刻なそれとなる。


「あいつが催眠術で操っていた……お父さんたち……は?」


 白柚鬼は佐耶の心情をまるでおもんばかることなく、淡々と事実のみを告げる。


「とっくに奴の商売道具となっていた。最終的には黒霊鬼こくりょうきの腹に収まった」


 佐耶は言葉もなく、左手首に巻いてある数珠を握りしめていた。

 

 ――これならばいけるか。


 白柚鬼は何も親切で佐耶に説明をしているわけではない。

 すべては佐耶の心を乱し、洗脳を完璧に施すためだ。

 狙い通りに抵抗はどんどん薄れていき、佐耶の目から光が消えていく。

 後わずかで完全に支配できる――そのときだった。

 白柚鬼はこの場に迫る鬼の気配を感じる。

 子供の魂がこれだけ集まっているのだから、鬼の一匹や二匹やって来るのは当然の話だ。

 鉢合わせになるのは多少面倒だと判断し、白柚鬼は即座に退却することを決める。

 佐耶の洗脳はまだ不十分だが、この際、仕方がない。

 次善の策として佐耶にある命を残して、白柚鬼は洗脳した子供たちを連れてその場を離れた。

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