第零夜 蒼銀の鬼と黒衣の僧 に

「え、あの中に神力が使える人間は一人もいなかったって!?」


 動けるほどまでに傷がえた辻斬りは、別れ際、若い山伏が言った種明かしに目を丸くする。

 

「ええ。彼らはあの鬼たちの被害を受けていた周辺の村人たちです」

「ただの人間が……どうしてあんな真似を?」

「もちろん、初めは協力を仰いでも聞き届けて頂けませんでした。ですが最後には、皆さん自分たちの村を守るために立ち上がってくれたのです」


 若い山伏の話は辻斬りの中での常識がひっくり返る思いだった。

 いくら僧の格好をしているとはいえ、神力を持たない人間が鬼の前に自分から姿を見せるなど。

 ただ、彼らの勇気がなければ自分も若い山伏も死んでいただろう。

 全員を束ねてもあの場の鬼一匹に太刀打ちできないだろう彼らが、紛れもなく自分たちの力で村を守ったのである。

 それが偽物の力で偽物の『強さ』なのかと言えば、違うのではないかと辻斬りは感じた。

 では、若い山伏が集めた人間たちと徒党を組んでいた鬼たちとが持つ『強さ』が同じものなのかと言えば、それも違うような気がする。


「絆……ってやつなのかな?」

「今、何と?」

「いや、何でもないよ」


 辻斬りが照れ隠しに口元を手でおおうと、若い山伏はその心中を察して追及することなく話を戻した。

 本当、少年に似つかわしくない要領の良さである。 

 

「もっとも、あの鬼たちの一匹一匹が確かな力と志を持っていたならば、危ないところでしたが」

「そんな鬼が徒党を組むなんてこと自体ありえないと思うよ。それも、一匹二匹ならともかく、十匹もなんて」


 真剣な面持ちで考え込む若い山伏に対し、辻斬りは一考にも値しないとばかりに一笑に付す。

 しかし、若い山伏としては笑っていられることではなかった。


「少しお聞きしたいことがあるのですが?」

「ん? 何?」

「五本の角を持つ黒い鬼と三本の角を持つ白い鬼について、何かご存知ありませんか?」

「黒い鬼と白い鬼? そいつらがどうかしたの?」


 いつの間にか、辻斬りの方も若い山伏に引っ張られる形で表情が強ばっていた。


「そのような鬼たちが強い鬼を集めているという噂を聞きまして。

 さらに、近頃相次いで見つかっている目のない僧の遺体と関係しているという情報もあります」


 目のない僧の遺体発見は、黙っていても自然と耳に入ってくるぐらいちまたを騒がせている珍事件である。

 辻斬りも当然知っている。ただ、そこに鬼が関わっているというのは初耳だった。

 つまり、若い山伏はその黒い鬼と白い鬼に先行する目的で、強い鬼――その中でも最強たる蒼銀の鬼を追っていたということらしい。


「黒い鬼と白い鬼か。そういえば一年前に、あの島の近くでそんな鬼を見た気もするなあ」


 いつもなら闘いを挑んでいただろうが、あのときはまだ近くにいるかもしれない蒼銀の鬼を追うのに必死だったと話す辻斬り。

 辻斬りからの情報がそれで打ち切りと分かると、若い山伏はさらに質問を重ねる。


「もう一つ、悪名高い鬼について知っていることを教えていただきたいのです。それこそ、蒼銀の鬼のような」

「う~ん」


 辻斬りは腕を組んで頭を捻る。

 この十年は蒼銀の鬼を追うのに必死だったため、他の鬼に関することはいささうとくなってしまっている。

 蒼銀の鬼に並ぶとなれば、真っ先に出てくるのは虎のような例の鬼だが、最近は彼の噂もあまり聞かない。

 そこで、辻斬りは思い当たる。場合によっては蒼銀の鬼より先に標的にしていたかもしれない鬼たちのことを。

 彼らならば、強さも悪名も申し分なく、その上で所在がはっきりとしている。


貧魂街ひんこんがいの赤い暴鬼ぼうきと黄色い狂鬼きょうきのことは知ってる?」

「ええ。知っている……と言っても名前だけで、その鬼たちのことも、貧魂街という場所についても詳しくはありませんが」


 やや弱々しく言葉を探るような若い山伏に、辻斬りは恩返しの意味で説明する。


「貧魂街っていうのは、悪鬼の巣窟そうくつみたいなところだよ。で、赤い暴鬼と黄色い狂鬼はその代表格みたいな奴らさ」

「悪鬼の巣窟……そのような場所が」

「まあ、あそこにいるのは何も悪鬼だけってわけじゃないけどね」


 付け加えた辻斬りの言葉を若い山伏はどうやら間違った風に解釈したようで


「では、善い鬼もそこにはいると?」


 と、首を傾げながらに聞いてきた。

 若い山伏には、どうやら『悪人』の存在というのは想定さえできないことのようだった。

 この純粋な少年があの街の光景に耐えられるのだろうか?

 辻斬りは案じるが、今更止めようとしても無駄なことは明白だ。 

 それに、若い山伏の考えも世間知らずと切って捨てるほどに愚かなものでもないかもしれないと、辻斬りは思い直す。

 人に善し悪しがあるように、鬼にも同様に善し悪しがある。

 鬼と人の垣根を越えなければ、これから先の辻斬りの目的は果たせない。


「最後に、あなたの名前をお聞きかせ頂いてもよろしいですか?」

「僕は喜七きしち

 

 辻斬りは今度は何の遮りもなく、己の名を最後まで言い切る。

 

「私は円堂えんどうと申します」


 若い山伏も名乗り終えると、小さな背中は遠のいていった。

 それを見ながら、辻斬りは新たな目的に向かう気持ちで燃えていた。

 個人の力ではない絆の力。そちらの力の『強さ』を追求するという目的に。

 人と人、鬼と鬼はもちろん、鬼と人との絆が何を生み出すのか。

 決して彼らと関わらない天狗が、もしもここに加われば?

 辻斬りの中の好奇心は尽きそうにはなかった。


「さてと、しかしどうしたものかな」


 絆の力をはかるのに何かいい方法はないものか。

 野宿続きで凝り固まった体をほぐすうちに辻斬りは閃いた。

 宿を営もう。自分のような枠から外れた人間や鬼でも気軽に泊まれるような宿。

 そこに訪れるたくさんの者たちを通して、絆の力を推し量ろう。

 そうと決まればじっとしてなどいられない。

 重いだけの荷物となった刀を何の未練もなく放り捨てて、辻斬り――否、喜七は夢に向かって走り出した。

 その刀に手を伸ばす紫色の影が一つ、背後にあることにも気付かずに。


            ◆


 五年後、喜七の願いは叶い宿が完成した。

 喜七は己の夢の結晶を見上げながら、これができるまでの出来事を思い返す。

 あれから程なく、黒衣の僧は生死不明となり、若い山伏は貧魂街を滅ぼし魂売師たまうりしとなったらしい。

 その他にも有名な鬼や僧のほとんどが、例の珍事件の犠牲になるか、謎の失踪を遂げる中、今に至るまで変わらず流れ続けている噂が二つあった。

 一つは言わずもがな蒼銀の鬼。そしてもう一つは正体不明の辻斬りだ。

 初めて辻斬りの噂が続いていることを知ったとき、喜七は笑いが止まらなかった。

 案外、火のないところにも煙は立つものなのだろう。

 十年もの間、噂に振り回され続けた結果得た教訓がたったこれだけと考えれば、泣けてくるを通り越して笑い話でしかない。

 蒼銀の鬼ももう死んでしまっているのかもしれないなと、喜七は思った。


「…………やっているか?」


 背後からのりんと響き渡る声に、喜七の思考は遮られた。

 剣一筋で生きてきた喜七が、勝手も分からぬ中で始めた民宿の最初の客は、青い肌に銀の髪を持つ大層美しい鬼だったという。

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蒼銀の鬼と黒衣の僧 @susumu

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