第零夜 蒼銀の鬼と黒衣の僧 は

 それから数日が経ち、辻斬りはかなり有力な情報を手にすることに成功した。

 蒼銀の鬼が一定の周期で、同じ場所に断続的に現れているのだという。

 それまでの蒼銀の鬼はこれといった狩場を定めることがなく、それが彼を探し出す上での最大の問題だった。

 この問題さえなくなるとあれば、蒼銀の鬼との念願の邂逅かいこうは目と鼻の先である。

 月が真円に映し出される日、半ば緊張感、半ば期待感を心に抱え、辻斬りは噂の場所へとおもむいた。

 そしてついに、辻斬りは幾度となく話に聞いてきた青い肌と銀色の髪を目にする。

 彼は雲の切れ間から注ぐ月の光に照らされながら、正面から辻斬りを見据えていた。


「どうやらオレに用があるようだな。この蒼銀の鬼に。有名になりすぎるのも困りものだ。

 それで? 手下になりたいというなら考えてやらなくもないが? それとも、オレの手にかかって死にたいというやからか?」


 正直、辻斬りが想像していた蒼銀の鬼と目の前の鬼はあまりに食い違っていた。

 噂の美貌も言うほどではない(どころか、平均的とさえ言い難い)上、饒舌じょうぜつで高慢な言動は、これまでの断片的な情報から感じた冷酷冷徹な印象とはかけ離れている。 

 期待を裏切られたような気にもなったが、噂には尾びれ背びれが付くのが当然で、実際にはこんなものなのだろうと、辻斬りは納得することにした。


「そのどちらもでないよ。僕は君と闘いに、いや、君を斬りにきたんだ」


 待ちきれないとばかりに辻斬りは刀を抜いて正眼せいがんに構えた。

 すると、鬼は見るからに動揺し冷や汗を流し出す。


「ちょ、ちょっと待て。何を考えているんだ? オ、オレは蒼銀の鬼だぞ?」

「分かってるよ。だから闘おうとしてるんじゃないか」

「馬鹿な……蒼銀の鬼だぞ? あれと……あ、いや、オレと闘う? オマエ、頭がおかしいんじゃないのか?」

「確かにちょっとおかしいかもね。何でもいいから早く構えてよ」

「いや、オマエはおかしい。絶対におかしい。ん? ひょっとしてオマエ……例の辻斬りじゃ……」

「知っているのなら何とやらだ。構えないなら、もう始めちゃうよ」


 辻斬りが一足で迫り刃をかざせば、何と鬼はその場でうずくまり両手で頭を抱えてガタガタと震えだした。


「待ってくれ! 止めてくれ! オレは蒼銀の鬼じゃないんだ。偽物なんだよ。頼むから見逃してくれ!」

「ま、さすがに気付いていたけどね」


 辻斬りは大して落ち込んだ様子も見せずに刀を下ろす。

 別に偽物自体は今回が初めてということはなく、これまでも何匹か見かけた。

 青い肌と銀色の髪まで再現している者は初めてだったので、一瞬期待したのは確かだが。

 こんな小者を斬ったところで愉しめるわけもなし、憂さが晴れるわけもなし。

 辻斬りはこういう連中に関しては二度と蒼銀の鬼を名乗らないことを誓わせれば、後は逃がしてやることにしていた。


「見逃すのは構わないけど、その代わり……」


 と、辻斬りが目を伏せて呆れながら散々繰り返した言葉を並べていたとき。

 彼の後頭部に鈍痛が走った。


「…………え?」


 倒れ込む間に後ろに目をやれば、そこには数匹の鬼たちがたむろしていた。

 さすがに油断し過ぎたか――辻斬りは自省を促すがもう遅い。

 偽物も含めて十匹にもなる鬼の集団。

 いつもの辻斬りならどうにかできないこともないが、これだけの重傷では本来の十分の一の動きもできまい。

 さらに腰の刀も奪われたとあっては、それまで追求し続けてきた辻斬りの『強さ』はまるで用を成さなくなる。

 この程度の小者がほんの少し策を弄するだけで、辻斬りの努力は水泡と帰してしまったのである。

 鬼たちが頭上で何事か、おそらくは辻斬りへのあざけりを喚いているのだろうが、肝心の彼の耳には届いていない。

 辻斬りの心中はそんな声をかき消すほどの無念の思いで満たされていた。

 敗れて死ぬことは構わない。むしろ闘いの中で命が潰えることは、辻斬りにとって何よりの幸せである。

 ただ、それは自分以上の相手と、存分に力を交わした末での話だ。

 こんな形で、こんな相手に死ぬのは口惜しくて仕方がなかった。

 蒼銀の鬼に会う前に、その偽物ごときに殺されるなど。

 視界の端にちらちらと映る青と銀とが、辻斬りは鬱陶うっとうしいと同時に憎らしかった。

 徐々に迫ってくる蒼銀の前に覚悟を決めた次の一瞬、それが真紅に染まった。

 初めは自分の血の色かと辻斬りは思ったが、偽物が上げる悲鳴が彼の血の色であることと彼の命が途絶えたことを告げていた。

 何が起きたのか、理解するより先に鬼たちの荒々しい声とは対極の落ち着いた声が聞こえてくる。

 少年らしかぬ落ち着いた声が。


「大丈夫ですか?」


 若い山伏は辻斬りの傍に屈み込んで心配するようなことを言う。

 辻斬りは若い山伏がこの問いから何を知りたいのか把握し、彼の望む答えを返す。


「……闘えそうにはないよ」

「そうですか」


 喜ぶのでも悲しむのでもなく、何の感情も込めないままに呟き、若い山伏は辻斬りから視線を切って鬼たちの方を見る。

 鬼たちはすでに、仲間が殺された当惑から立ち直り、若い山伏への憎悪へ切り替えていた。

 辺りに満ちる殺気から大まかな状況を推測しながら、辻斬りは若い山伏へ声を掛ける。


「君じゃどうしようもないよ。正直、僕が万全でもこの数相手じゃ勝てるか分からないからね」

「私は逃げるつもりはありませんよ」


 今度は若い山伏が辻斬りの言葉の裏を読む。 

 

「…………そう。じゃあ勝手に無駄死にしなよ。君の命さ」


 自分が巻き込んだせいで死なれては寝覚めが悪い、否、寝付きが悪いことになりそうなので忠告したが、一度で聞かないならば、もう関知する気はない。

 すでに義務は果たしたとばかりに辻斬りは若い山伏のことを完全に意識の外に追いやった。

 ところが、若い山伏の答えには続きがあった。

 言葉の裏には返答したが、まだ言葉の表への返答は終わっていない。


「確かに私ではどうしようもありません。私だけでは……ね」


 夜空を泳ぐ雲が完全に晴れ、真円の月の光が暗幕のごとき闇を遠ざける。

 辻斬りと若い山伏を包囲する鬼たち――をさらに外側から包囲する数十人の人間がそこにいた。

 全員が全員、精悍せいかんな顔つきで揃いの法衣に身を包んでいる。

 鬼たちの殺意が再び当惑に取って代わると、この舞台を整えた若き演出家が、中心で高々と右手を掲げた。


「さて、私がこの手を下ろせば、それを合図にこの皆さんが一斉にあなた方に攻撃を仕掛けます。

 できることなら無駄な殺生はしたくはありません。降参の意志を示してくだされば、この場は見逃して差し上げましょう」


 見たこともないような僧の大群を前に、鬼たちに残された道は一つだけだった。

 自分より弱い者に追い詰められ、自分より弱い者に助けられ。

 辻斬りはこの日初めて、腕っ節ではない別の『強さ』を知った。

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