part.9
結局、その日以来アッシュも蘭丸も忽然と消えた。
放任過ぎる息子の行方など桃香が知るはずもなく、アッシュの方は毎日近所を探し回り、迷い猫のポスターを貼ってもようとして見つからなかった。
その間には蘭丸の勤めていたホストクラブが警察の手入れにあって潰れ、理髪店ではアッシュのトイレが店から消えた。
こうして理髪店は想像のつく日常に戻ろうとしていた。
「はぁ…っ、いったい何だったんでしょうね。この三ヶ月の出来事は。本当にアッシュも蘭丸君も居たのかな」
この日、最後の客を見送った秋山はソファの上で深いため息をついた。
ハッピーニューイヤーと共にシャンパンから噴き上がったのは、泡と猫と裸の少年。
あの日、自分達はアルコールの効いたパラレルワールドに迷い込んだのではなかったか。
二人がいなくなったことで酔いは冷め、ようやく現実世界に戻ってきた。秋山はそんな気持ちになっていた。
「だから言ったろう?野良猫は野良猫。一度外の世界を知った猫は家の中に閉じ込めておくのは難しい」
そういえば、最初八神はそんな事を言っていた。成程こう言う事かと秋山は身を持って分かったのだった。
項垂れる秋山の元に八神がバーカウンターから温かいカルーアミルクを持て来た。
「ホラ」と差し出されたカップを秋山は受け取り手に包むとホッとした。
春にはまだ早いが手のひらはあたたかかった。
「幸せにしてるならそれで良いんだけどね…」
しょげかえった秋山の肩に八神が手を置く。
「知ってるか?猫はめちゃくちゃ前向きな生き物なんだぜ?自分が不幸だとも思わないし後悔も無い。
ただ前を見て真っ直ぐに、思うまま、気ままに生きていくのさ。あれやこれや考えちまう人間とは違ってな。
だから、俺たち人間だって気の向くまま思いつくままに貪り合おうじゃないか」
「あはは!何ですか?その無理矢理エッチな理屈は」
「屁理屈だって言いたいのか?なら実践してみるか?」
そう言うが早いか、八神は秋山の顎を捉え、奪うように口付けた。
少し強引な口付けは甘いカルーアの味がした。
二人は思うままに温かな舌を絡ませあって奔放なキスを楽しんだ。
チリリ…
そのまま欲情に溺れて流されて行きそうになった時、秋山のポケットの中で鈴の音がした。
ポケットを探るとアッシュのために買ってあった水色の首輪が出てきた。
「アッシュ、首輪を付けられるのが嫌だったのかな。首輪だけが残っちゃうなんてね」
「秋山が飼い主ならオレは喜んで首輪をつけさせてやるけどな」
そう言うと八神は太い首を差し出して笑った。
「ははっ!残念、八神さんの首は太いからこれじゃ入らないよ」
そう言うと秋山は首輪のベルトを外して八神の手首へと巻きつけた。
ごつい手首には似つかわしく無い銀色の鈴が、チリリと可愛らしい音色を響かせた。
秋山はその首輪を指に引っ掛けて自分に引き寄せると、まるで秋山の方が悪戯な猫の様な蠱惑的な上目遣いで八神を見つめた。
「今夜は八神さんが僕の猫だ。うんと可愛がってあげますよ?」
秋山に誘われるままに八神はゴロニャンとその膝の上に顔を埋めて寝転がる。
さっきの濃密な口付けで八神のスケベスイッチは入っていた。
「では、猫はご主人を慰めてやらないとな」
八神は猫がじゃれつく様に、その鼻先を秋山の股間に擦り付けた。
ピクリと秋山の腰が跳ねた。
「…っん、なんていやらしい猫だ!」
目元を赤らめて秋山が八神を睨んだ。
「睨んだってダメだぜ?
お前が誘ったんだろう?責任取れよ秋山」
口元はニヤニヤ、眼差しはギラギラ。八神は完全にエンジン全開になっていた。あとはフルスロットルになるだけだ。
考えてみれば、この八神が三ヶ月もの間ご無沙汰だったのだ。
ヤバイ火に薪を焚べてしまったことに今更ながら秋山が気がついた。
しまったと思ったが遅かった。恐ろしさ半分、期待半分の秋山はひくひくと口角を引き攣らせて後ずさる。
その及び腰を八神がガシリと捕まえると秋山のズボンを強引に引き摺り下ろして舌舐めずりをする。
その姿は猫というより虎だった。
「ご奉仕します、旦那様」
「ちょっ、八神さん、待って…っ、まってくれっ!あ!あ!あ!あ〜〜!!」
そう。猫はブルーな夢なんて見ない。
野良猫の様な蘭丸もきっと心の赴くままにどこかで楽しくやっている。そしていつかふらりと姿を見せてくれるかもしれない。
その時はきっともっと上手くやれる。
嵐のような八神の愛を受け止めながら、秋山は心のどこかでそんな事を思っていた。
だがそれも直ぐに熱い快楽の波に攫われてしまった。
今宵も明るい満月が、冷たい夜空に煌々と輝いている。ブルーな恋人達が寂しい気持ちにならぬよう。
「好きです、八神さん」
「オレもだ…秋山」
end.
理髪店の男 mono黒 @monomono_96
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。理髪店の男の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます