第10話 仕事場よこんにちは その8

紫雲膏は切り傷だけでなく火傷にも効く、というかそっちが本命だ。

薬のことを知らないはずのこの女は、どうして紫雲膏を火傷の薬と認識し、ただのラノリンを自分の足に使ったのか。

「待った!」

椅子から立ち上がり、俺は去り行く女に手を伸ばした。

肩を掴むつもりで伸ばした手が背中のダブついた部分に引っ掛かった。立ち上がる力と合わさって、完全に不意打ちで引き倒す形になってしまった。

「ヒャン!」

急に引っ張られたせいで、女が盛大に尻餅をつく。フードのポケットから、しまってあった麻袋がいくつか落ちた。

「ああ、すまん!」

慌てて女を引き起こそうと手を延ばす。

「痛ったー。まったく、危ないじゃないか。」

そう言いながら差し伸べた手を引いた女のフードが、不意に外れた。

「で、何だい?」

お尻を擦りながら、女が立ち上がる。

「あんたは、その、どうやって薬を使い分けたんだ?」

「外で大男のほうが、傷を焼くと言っているのが聞こえたんで、火傷に効きそうな赤い方の薬を渡しただけだよ。結局火傷にはならなかったみたいだけど。」

屋内から俺の位置では聴こえない外の会話が聴ける程度には、女は聴力が高いらしい。


「それはいい、どうして赤い方が火傷に効くと思ったんだ?」

それは本来、知識無しで出来ることではない。

「だって、火傷に効きそうな匂いだし。」

なんと。

「鼻で嗅ぎ分けたのか?」

「ああ。」

「他の薬も?」

「それが出来なきゃ持ってかないだろ。これでも、役に立ちそうなのを見繕ったんだ。」

女はさも呆れたように言うが、そんなの想定できるはずがない。


「傷が回復しそうなのは分からなかったけど、元気がない時の薬や、熱冷まし、二日酔いに良さそうなのなんかは、なんとなくそれっぽかったから。」

なるほど、匂いで何に効くかは分かっても、そのまま食う感じじゃない煎薬をどうやって飲むかは分からなかったと。

「本当にそんな事が分かるのか?」

「試してみるかい?」

そう言って、尻もちをついた時に散らばった麻袋の一つを拾って俺に手渡した。

「こいつは二日酔いだろ。」

麻袋の中にあっては分からないので、封を千切って中を見る。

細かく刻まれていて分かりにくいが真っ白なキノコと皮だけ黒いキノコ、白い草の根と黒い草の根、木片と見紛う木の皮で構成されている。匂いをかぐと木の皮はシナモンだった。

恐らく、五苓散だ。

「どう?当たった?」

女は得意げに笑う。正確な同定は出来ないが、その自信有りげな顔は正解を確信するのに十分だった。


「その耳と鼻の良さは、やっぱりその耳と鼻の形に関係があるのか?」

薬の事に夢中で頓着しなかったが、女の耳は頭の上部に位置し、頬まで濃い体毛に覆われ、鼻は形こそ人間のそれだが、骨格的にもやや上向きで、前に出ている。筋が通った高い鼻と言えなくもないが。

「え?」

俺の言に女は素っ頓狂な声を上げる。

「いや、やっぱ犬っぽいし。」

「ひああああ!」

はっきり指摘すると、その時ようやく、自分のフードが外れている事に気がついたのか、悲鳴とともに慌ててフードを深くかぶり直し、こちらに背を向けてしゃがみ込む。

「あ、マントの一部かと思ってたけど、それ尻尾なのか。」

「ひあああああああ!」

今度は慌てて尻を押さえる。パンツでも見えたか。

「いやそんな事より」

「そんな事!?」

「なぁ、行く宛がないなら、残らないか?」

「は?」


このシチュエーションで、単独の生薬の判別でなく、薬効を匂いで判断できる人材の登場。

これが偶然のはずはない。

俺はこの女を手元に置くべきだと判断した。

さて、問題山積だ。

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