第2話 浮世さらば その2

「この白い錠剤はね、君を現世に返す薬さ。」

なんだ、有るんじゃないか。と言いかけて口ごもる。

「無条件か?」

「そんなわけないでしょ。」

ですよね、と一呼吸分お互いの視線が交錯する。

条件を聞こうと思える程度には、本物の上司との間では決して行われることがなかったであろう殺伐としつつ何処か楽しい会話を、俺は気に入り始めていた。


「この薬を飲むと、君は今までの世界とは全く別の世界へ飛ばされます。」

「なんだそりゃ。」

「なんか、最近流行ってるんだってさ。」

これ見よがしに「上司」が肩をすくめる。

「身も蓋もねぇな。それで一体どうやって現世に帰るんだ?」

んん、と「上司」が声を整える。

「かの地で成すべきを成せば、その功として君には然るべき時に現世に戻る権利を与えよう。」

これは仕事の定型文らしい。こういう所をわざとらしく律儀にこだわってみせるあたり、変なところで本物の上司との共通点を感じられて面白くもむず痒い。


「つまり試練を乗り越えれば生き返れるってことか?」

「まぁ、概ねその解釈で問題ないよ。」

「これって、具体的に何すりゃ良いか聞いて良いやつか?」

「それじゃ詰まらないだろう。」

「ですよねぇ。」

「ふふふ、では、好きな薬を選びたまえ。」

「上司」は、やはりいけ好かない笑顔のまま俺に促す。

さて、メタンフェタミンは論外として、地獄と試練はどちらがマシか。


ほんの一瞬迷ったが、結局俺は白い錠剤を手に取った。

「それにするんだね。」

「まぁ、地獄行きよりは良いと思うよな、普通。」

ご丁寧にシートに入ったそれを摘まみ出して、口に含む。

「ちなみに水無しで飲めるタイプだよ。」

そういえばカウンターには水がない。カプセルは大きく、水無しでの服用は難しかっただろう。一方錠剤は、比較的小さいサイズのものだった。心理的にも、カプセルは選びにくかったらしい。

上手く誘導された様な気がするが、その不安と同じ速度で、錠剤は口の中でみるみる小さくなっていく。


そういえば、本物の上司の名前が思い出せない。

それに気づくと、錠剤の大きさと反比例して不安がどんどん増していく、両親や友達、好きだった女の名前は?働いていた薬局の名前は?店内BGMのラジオで掛かっていたのは、誰のなんて曲だっけ?


顔を見られれば、曲を聴ければ全て思い出せる気がする、だがそれは叶わない。


錠剤が完全に溶けきって、不安が頂点に達した頃、俺の不安な顔に「上司」は、今までで一番いけ好かない笑顔を俺に向ける。

「ふふふ、グッドラック。個人的には、君は最良の選択をしたと思うよ。」

その言葉と共に、俺の意識は急速に、再び白い光に飲まれ始めた。

「煉獄へようこそ。」

いけ好かない声が遠くに聞こえた。

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