第3話 仕事場よこんにちは その1
目が覚めるとそこは森の中だった。
大きな木に背もたれて、下半身は落ち葉に埋もれていた。
気候は穏やか、恐らく桜の葉だと思うが、甘い匂いの、ついさっきまで枝についていたような柔らかい葉に包まれていた。
体はどこも痛くないし、今度は頭痛もしなかった。
立ち上がって自分の状態を確認する。
五体は満足。最後に着ていた白衣とワイシャツ、スラックスにスニーカーと、仕事中の姿そのままだ。今の環境に適したものとは言いがたいが、文句は無い。
昼間の温かい日光を遮る桜の枝の陰より先は、開けた土地になっていて、掘っ立て小屋が建っていた。
「何この素敵な空間。」
俺は存外、呑気だった。
のっそりと起き上がって、取り敢えず小屋の中に入ってみる。
ガタガタと引き戸を引くと、埃の匂いに混じって、独特の匂いがした。
「センキュウか?」
ありがとうの挨拶ではなくセンキュウとは生薬(しょうやく)になる植物の一つで、乾燥した根が漢方薬の材料として広く使われる。「漢方薬っぽい臭い」の元は大体こいつだ。
薄暗くて分かりにくいが、奥はどうやら調剤室だ、よろしく古いタイプの薬棚が並び、センキュウ以外の生薬がひとしきり収められているのが、匂いで何となく分かる。
他にも見慣れた乳鉢や乳棒に加えて、現代の薬剤師なら実習でも見たことの無いような生薬を潰す道具の「薬研(やげん)」なんてものもある。
「はは、まるで薬の歴史博物館だな。懐かしい。」
そして、こんなものがある意図も、俺には何となく分かる。
何を隠そう、俺の家は代々の薬屋だ、薬棚に仕舞われた細切れの生薬も薬研も、実習の資料じゃなく現役で使われているのを見たことがある。
子供の頃の事でかなりうろ覚えだが、俺はこのセンキュウの匂いを嗅いで育ったのだ。
「さて、あのいけ好かない奴は、俺にこれで何をさせようってんだ?」
手近にランタンがあるようだが、灯りの着け方がよくわからないので、取り敢えず窓を開けようと部屋の奥へと入る。
「動くな。」
言葉と同時に突然胸ぐらを捕まれ、喉元に何かを軽く押し当てられた。
ゆっくり小さく喉を突かれて、血が出るのを感じる。
おいおい、勘弁してくれよ。
身を固めたいが、襟を引かれた時の感じで、向こうの方が腕力に長けていることが分かる。
しかし相手の拳やナイフの先に体重を預けるわけにもいかず、ひどく中途半端な体勢になる。中腰がしんどい。
「ゆっくり膝をつけ。」
そのままありがたく膝をつかせてもらう。
身長差が埋まり、相手の胸元まで目線が下がる。
フード付きのマントみたいなものを被っており、顔はわからないが、声と胸元の膨らみが、相手が妙齢の女性であることを示していた。
「ここはお前の家か?」
「いや、ちがう。」
正直に答える。状況的には俺に充てがわれたものだとしか思えないが、俺のものと決まったわけではない。
「じゃあ、お前ここで何してる?」
「別に何もしていない、ただ目の前にあった建物に入っただけだ。」
しかし女から信頼は勝ち得なかったらしい、フン、と鼻を鳴らして侮蔑を向けてきた。
「そんなはずはない、お前のその格好、白い衣はヒーラーの証だと聞く。」
「ヒーラー?」
ああ、そういうやつか、と何となく思ったが、取り敢えずまだ気がつかない振りをしておこう。正直あまり考えたくない。
「そう、ヒーラーだ、魔法の力で治癒を司る者をそう呼ぶ。お前は違うのか?」
答えに詰まる。俺は確かに治癒を司る事を生業にしてきたが、薬がなければ無能もいいところだ。
「答えろ、どうなんだ。」
声を殺しているが焦りの色が窺える。
「違う、と思う。」
「ふざけるなよ、お前。」
ナイフがより強く押し付けられる。
「いや、本当にふざけてないんだ。申し訳ないが俺はその、ヒーラー?じゃないし、ここには迷い込んだんだ。」
相変わらず正直に答える。言葉に精々の誠意を込めたが、さてどう伝わったものか。
「そうか、悪かったな。」
暫し迷ったようだったが、女は手を離し、ナイフを喉元から退けてくれた。
相手が善人で助かった。
「ありがとう。ところであんたはここで何を?」
「あたいはポーションを盗みに来た。」
善人ではなかった。
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