その十七


 僕がこじんまりした脱衣所の洗面台の前に立ち『リンスインシャンプー』のおかげでふわふわになったクロップパーマの具合をチェックしていると、丸裸のまま扇風機の前で体を乾かしている友人が「なかなか良かったじゃないか」などと、満足げな表情を見せています。


 僕は「まあね」と応えましたが、鏡越しに友人と目が合ってしまったので、なんとなく前髪を弄りながら「いいから、早く着替えたまえ」と『Tバックのボケ』を振りました。


 既に着替えを済ませていた僕は「なぜ君の着替えを待たなきゃならないんだ? 君は女子かい? いいかげんにしなさい」と友人を急かしながら、手持ち無沙汰に脱衣所の片隅に置かれた、レトロな自動販売機を眺めていました。


 僕が目を離している隙に、既に短パンを履き終えていた友人が「いや〜、今日は釣れませんでしたな」と釣りの話を始めたので「君は今日何しにここに来たんだ?」なんて憎まれ口を叩くと「お互い様じゃないか」と応えが返ってきます。


 着替えを終えた友人が、今度は自慢の『バーバースタイル』を乾かし始めたので、僕は多少ムクれながら「まったく……」と呟き、暖簾のれんの脇に置かれた水色のベンチに腰掛けました。すると、窓の無い脱衣所に、どことなく涼しげな風が吹き込んできます。扇風機の風かもしれません。


 受け付けで買わされた白いフェイスタオルを首に掛け、レンタルのオレンジのバスタオルを回収ボックスに放り込んだ友人が「ふぃ〜」などと、またしてもご満悦な表情を見せます。

 待ちくたびれていた僕は「んじゃ、行くよ」と立ち上がり、レトロなコインロッカーから黒いマリンシューズを取り出します。友人は薄汚れたビーチサンダルを「ペチンッ」と床に放り投げ、謎の白いコンビニ袋をポケットに捻じ込みました。


 そして、脱衣所の方から聞こえてきた甲高い笑い声と『むこうの言葉』を背に、僕達は『男』と書かれた青い暖簾を潜り『洞窟風呂』を後にしたのです。



 急な階段を昇り、ぼんやりした頭を奮い、蛍光灯で照らされた『男穴』を引き返していると、『パッケージ詐欺』に引っかかった男達と度々すれ違います。漏れなく浮かない表情を浮かべた男達を見て、僕はなんだか不思議な気持ちになりました。

 後ろでちんたら歩いている友人の方を振り返ると、妙に肌艶が良く、何やら薄ら笑いを浮かべていたのでちょっとイラッとしましたが、僕もお肌がすべすべになっていたので、人のことは言えません。


 すれ違う男達は皆一様に下を向いて黙々と歩いています。僕達もそうだった様に。


 振り返ってしまったせいで、友人と目が合ってしまった僕は、少しだけ声を張り上げて「いい湯でしたなぁ」とおどけてみせ、応えを聞かずに、また歩き始めました。

 


『男穴』を抜け、再び外界に舞い戻った僕達に、真夏の陽射しが容赦無く照り付けてきます。


 軽く目眩を起こす程の陽射しを反射して、キラキラと輝く古民家の瓦屋根が眩しくて、どうしても眩しくて、ふと背後の『女穴』に目をやると、おばちゃんの集団が「女」と書かれた『穴』の前で記念撮影をしていました。

 同じく瓦屋根が眩しくて振り返っていた友人に「今何時かね?」と尋ねると、腕時計をチラッと見て「もうすぐ三時ですな」と答えます。僕はおばちゃん達の中に二人程、眼鏡を掛けたおばちゃんが居たことを見逃しませんでした。


 ここでひとつ疑問があるのですが────。


 やめておきます。『ふたりは眼鏡女子』読んでね。

(あのふたりの登場回に分かりやすい目印を付けておきました。どうしても読み返したい方は是非。尚、「その十一」の初登場シーンには少し手を加えてありますのでそちらも是非)


『洞窟風呂』の受け付けは、僕達が来た時よりもお客さんでごった返していました。どこかで美味しい物を食べ終えた観光客達が一風呂浴びに来た訳です。美味しい物を食べながら、大はしゃぎして『温泉』で検索をかけたのでしょう。それとも事前に調べておいたのでしょうか? いずれにしても、全員狐につままれた様な目をしていたのは、言うまでもありませんね。



 さて、観光客と真逆の動きをする我々『生粋の釣り師』は、本来なら既に家路に着いている時間です。高速のパーキングで仮眠をとっているかもしれません。気が向けば、地元近くの『スーパー銭湯』にでも立ち寄っているかもしれません。もしかすると、既に自宅に到着して『夜の街』に繰り出す準備をしているかもしれません。


 生粋である我々が観光地の温泉に入る事など滅多に無いのです。そんなことをしていたら破産してしまいますから。にも関わらず、


  ボウズをくらい(これは珍しくありません)

 『パッケージ詐欺』に引っかかり(これも珍しくありません)

  辿り着いてしまった『洞窟風呂』


 名残り惜しくもありますが、お付き合い頂いたこの話はもうすぐ終わりです。皆さん分かっていらっしゃると思いますが、これはほぼ実話です。が、相当小ネタを仕込んであるので、気になるシーンがありましたら最初から読み返して頂いても、僕は一向に構いません。何回読み返して頂いても構いません。


 あと、この場を借りてアングル先生にも感謝しておきます。『トルコ風呂』以外にも、先生の『ドーソンヴィル伯爵夫人』や『グランド・オダリスク』という作品もオススメです。

『グランド・オダリスク』は背中を向けて横たわる裸婦を描いた作品なのですが、当時「解剖学的に観ると、この絵に描かれている女は椎骨が二つか三つ多すぎる」と評された伝説の作品です。更に、後年になって実際に解剖学的に診たら、五つ多かったそうです。


 アングル先生の作品の多くは、世界中の名だたる美術館に展示してありますので、興味がある方は是非。特に、かの有名なフランスは『ルーブル美術館』には、僕もいつか友人を引き連れて『トルコ風呂』を鑑賞しに行こうと思っています。




 古民家を出て、玄関前に置かれた自動販売機でコーラを買っていると、友人は洗濯物が干してあった物干し台の前で首を傾げています。残念ながら『Tバック』の持ち主の顔を拝む事は出来なかったようです。

 僕はなんとなくコーラをもう一本買って「洗濯物、取り込んだみたいですね」と友人に手渡しました。


 友人が「プシュッ」とコーラの蓋を開けると、僕達の地元では普段見かけることのない、とんびが一羽、上空で円を描いて、甲高い鳴き声を響かせています。




 クソ暑い真夏の連休初日。馬鹿みたいにくだらない午後三時。ど田舎温泉『洞窟風呂』受け付け前にて。


「お休みはいつまでです?」三羽に増えた鳶を眺めながら、コーラを二口飲んだ友人が尋ねてきます。また馬鹿な事を言い出しそうな雰囲気を隠そうともしない友人に、僕は先に『君は本当にセンスがないな』を贈ろうかと思いましたが、一応「日曜迄ですね」と答えておきます。


 すると友人は「悔しいからブラックバスでも釣りに行きます?」などとぬかすのです。

 生粋である友人が珍しく「悔しいから」なんて言葉を使ったので少し驚きましたが、僕はもちろん、若干食い気味に「それは名案じゃないか」と友人の意見に乗ったのです。


                (おしまい)






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『洞窟風呂』の話。 (有)柏釣業 @kashiwachogyo

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