飛び猫たちの青い翼

つわぶき しのぶ

第1話 MISSION:0

――北緯十三°二十二′零″ 東経百四十六°二十五′零″ 目標地点に到達。

                                          

 仰々しくも機械のような冷たい声が指令室にこだました。



 無機質な壁に覆われ、無数の計器類が錯綜し、前面には大海原が一望できる大窓が左右に均等に並べられていることからこの場所が船のブリッジ(艦橋)だと気付くにはそう時間は要さない。


『北緯十三°二十二′零″ 東経百四十六°二十五′零″』つまり、赤道よりわずかに北半球に当たる北西太平洋の海上、早い話が「世界一深い海」であろうマリアナ海溝の真上にその船は到達していた。



「予定時刻よりも一時間も早く到達か…」



 後ろ手で組みながらそう呟いたのは軍帽を深く被り、百八十センチの高身長で堂々たる顎鬚を生やしながらもそれに似つかぬ大きな瞳を持った初老の男、この船の艦長バウティスタ・カイン、通称バウ艦長だ。


「可謬主義もいいとこね。それが裏目になって敵に察せられなければいいけど」


 艦長の隣で冷めた表情のナオ副長が素っ気なくそう言い放つ。


「本質とは常に動き続けるものさ。敵さんの出処が分からない以上こっちがいくら頭をフル回転させたところで所詮は捕らぬ狸の皮算用…だったら片っ端から発射場を巡っていた方がはるかに効率は良いと思わないか? 犬も歩けば棒に当たるってね」


「世界中で分からない場所など存在しないと言われて久しいこの時代に、敵の櫓一つ見つける事が出来ないなんて…。案外、人はまだまだ自然という手の平の上で踊らされているだけなのかもね」

「人は神にはなれない、か…俺はごめんだがね」


 飄々しく呟いたバウ艦長、そしてそのまま踵をかえす。


「そういうわけだバーグ中尉、すぐに発艦してくれ」


 バウ艦長の矛先にはよれよれのTシャツの袖を肩までまくり上げている小汚い無精髭を生やした体格のいい男が腕を組みながら壁にもたれかかっている。


「Yes Sir Captain! 待ちくたびれたぜ」


 口端を上げてふてぶてしい笑顔で上機嫌でそう答えるバーグ・ジャージマン中尉。


「悪いねいつも。いかんせん何の情報もない上に基地司令部も役に立たなくてさ」

「構いやしねえ、それが仕事ってもんだ。それに飛ぶ事自体は嫌いじゃねえからな。地平線の彼方を見渡してる時ほど壮観で恍惚とした気分はないね」

「ははっ、お前が物好きで助かるわ」


 奇妙なやり取りの末、バーグはニヤリと微笑むと勢いよくブリッジを出て階段を二段跳びで軽快に降りていった。


「やっぱりうちの隊の良心ね。彼は」

「良心というよりかは、大人になりきれてない子供というかな、全力で物事を楽しめる人なんだよね。さてと…」


 バウ艦長はバーグを見送るとそのまま視線を左方向に向ける。

 そこにはフライトジャケットの上から耐Gスーツに身を包んだ微かに幼さが残る二人が立っていた。

 中性的、黒髪で東洋人のような顔つきとナイーブ感漂う少年、もう一人はふわりとしたウェーブに赤みがかったブロンドヘアーの少女だ。


「聞いてのとおりだ。アンダーソン宇宙港のコスモプレーンが離陸するまで約一時間。各自、待機に移行だ。機体のチェックは怠らず常時出撃できるようにしといてくれよ。特にサクラ、お前はだな――」

「艦長」

「何かね副長」

「今は作戦行動中です。彼らはコールサインで呼ぶべきでは」

「おおっとそうだったか」


 バウ艦長はナオ副長に訂正されるとおどけたような素振りを見せる。

「というわけだ。ネヴェロン、キャリィ、伝達は以上だ。質問は?」



「いつもの事ね。特にないわ」

「…俺からもない」



 そう。この二人はこの艦に配備されている特殊部隊『ストライクキャット』の専属パイロット、サクラ・バニングス中尉と大江戸明日香中尉だ。

 溜息混じりに返事を返すとサクラ中尉改めコールサイン『ネヴェロン』と大江戸中尉改めコールサイン『キャリィ』は踵を返し、ブリッジを後にする。





 二人は艦橋から広大な甲板に降り立つ。


 二○○メートル以上はあろうと思わしきの広々とした甲板と左舷の方角に敷かれてあるアングルド・デッキはまさしくギャラクシー級航空母艦二番艦『サラトガII』の最大の特徴だ。


 キャリィが額に手を当てると目を細めて左舷を見渡す。周りは茫洋たる大海が広がるばかりで島一つ見えはしなかった。


「何を見ているんだ?」


 ネヴェロンが問いかける。


「せめてグアムを遠目に南国のバカンスを夢見ながら仕事に励みたかったのよ。…はあ、もう何日陸地に足を着けてないんだか…」

「作戦が無事に完了したら整備と補給のためにアプラ港に入港する事になっている。そこに行け―」



「マジで!?」



 キャリィがネヴェロンの会話を遮り途端に表情が明るくなる。


「はぁ~、数か月ぶりに陸地! 補給に整備となると二、三日は駐留できるわね…よっしゃあああああ!! 遊ぶ!! あそぶわよおおおおおおおおおおおおっ!!」


 出撃前だというに何とも緊張感の欠片も感じられない有様、まともな人間ならそう感じる事に疑いはない。

 しかし彼らにとってはそれは日常。神出鬼没にして国籍不明の戦闘機と日夜追行を続け、時には迎撃戦を繰り広げる様は正に非日常の日常であり、それら特殊な環境の中に身を置く彼らの倫理観は、堅気の人間の目には到底理解に苦しむほどに欠如している物である。

 しかし、同じ組織に身を置く同志の中には当然一般的な倫理観を備え続けている者もいるのも事実だ。


「…緊張感がないのか空元気なのか…」

 ネヴェロンは呆れた表情で鼻でため息を吐くとそう呟いた。





「あ―――いたいたいた――――っ!!」

 サラトガIIの航空整備班長のイチジクは二人に向かって血相変えて走って来た。


「探したよーネヴェロン、スワンさんが届けてくれたマニュアルにはちゃんと目を通してくれた?」

「ああ、概ねな」

「一応言われた通りにセットしておいたけど本当に大丈夫なの? テスト飛行にもなしにいきなり実戦なんて、第一ちゃんと甲板から飛びたてるかどうかも分かんないのに」

「時間がなかったんだ。空母に届けるだけでも精一杯だった。通常飛行に問題はないとは聞いている。後は…実戦を重ねて改修と更新繰り返していくしかないさ」

「しかしなぁ…リスクが大きすぎる」


 ぼりぼりと頭をかきむしるイチジク。


「ああ、そういえばあんたのF-14今回から仕様が変わったんだっけね」

 キャリィが話に割って入る。


「たしか空軍パイロットだったお父さんの形見よねこれ。古い戦闘機だけあって今まで敵の動きにもほとんど付いてこれなかったものね…ま、これでマシな力を得るようになったわけ」

 キャリィが向けた視線の先にそれはあった。



 F-14 トムキャット



 二十世紀にアメリカで開発された可変翼搭載のジェット戦闘機でネヴェロンの搭乗機。

 冷戦における来たるべき核戦争に備えて配備されその美的外観から一時は一流のスター役者並みにおだてられていたこの戦闘機も今となっては一世紀近く前の骨董品。

 いつ博物館に寄贈されてもおかしくはない代物だ。

 そんな老体に鞭打ってでも新たなる敵に立ち向かってもらうためにこの度に大規模な強化改修を受けることになったわけだ。


「それで?」


 キャリィがネヴェロンの肩を叩きながら調子よく問いかける。


「一体どんな風に仕様が変わったの?」


 ネヴェロンは自分の機体を見上げる。ネヴェロンより先にイチジクが口を開けた。


「劇的に変わったね。新型エンジンの換装とそれに伴う機体各所の補強溶接、レーダー等の電子機器の一新、後はアメリカのグレッディ―社から試験運用という名目で無償提供された試製六十ミリ粒子式ガトリング砲だ。これだけでも既存の航空兵器にたいして有用的な性能向上になるわけよ」


 やや反り返って胸を張り高らかに豪語するイチジク。

 これらは全てサラトガIIの整備班たち決死の努力による賜物だがこういった近代化改修を指示したのはF-14の専属メカニックであるスワン・スワリヒードによるものだ。


「驚いたわ。生身の人間をサイボーグにしてしまうほどの大手術じゃない! それの何が問題なわけ?」


「問題はエンジンだ。『KAGUYA Mk-II』 アサゴゼネラル製のスクラムジェットエンジンだよ」


「…え?」


 載せられたエンジンがどれほどの代物なのかを理解したのかキャリィは思考が付いて行けずに言葉が出ない。代わりに



「はァァあああああああああああああああああああああああああ!?」



 キャリィの声にもならない叫びがこだまする。


「ちょっと待ってよ。冗談も休み休み! 『ジェット』て名前が付いてりゃなんでもジェット機に載るとでも思ってるわけぇ? 一体誰がそんな馬鹿げた提案をしたの!?」

「スワンさんだよ」

 イチジクのカミングアウトに言葉が詰まるキャリィだが途端に踵を返してF-14の尾翼下に打ちこまれているプレートに目を透す。



『ENGINE No.   AGSCR005-KAGUYA type Mark-II』



そのプレートには確かにそのようにエンジン型式が記されていた。


「…スワンさん何を考えてるの、こんな物を戦闘機に載せるなんて正気の沙汰じゃないわ。ネヴェロン、あんたは本当にそれでいいの!? 下手すれば敵を一機も堕とせないまま制御不能で自分が先に落ちることになるのよ! それでも―」


「それで勝てないならそれまでだ!」


 ネヴェロンの何時にもない強い口調にキャリィはそれ以上何も言えなかった。


「元々予算も設備もないまま急ごしらえで組織された部隊だが土台は出来上がった。俺はやつらに一矢報いるチャンスを手に入れた。まともな時間もないのにここまで改修してくれたスワンにも感謝している。恐れるもんか…どの道これで成果が出せなければ俺は終わりだ。やってやる…スワンが託してくれたこの機体を信じて…」

 その迷いのない思いが甲板に響いた時もう誰も口を割る事はなかった。その時だった。


 けたたましいアラーム音が鳴り響く。


「…来た」

「お早いお出ましね」


 ネヴェロンとキャリィの二人冷静に事態を受け止めるとすぐさま行動に入る。


「最終調整の暇もなかったか。しゃあねぇ…急いでパイロットのサポートに入れ! 誘導員は各地に配置! カタパルトの用意だ!」

 甲板の空気が一気に張り詰める。

 




「警戒中のバーグ中尉から緊急の通信が入った。グアム島から北東五○○キロの上空で敵機を確認。敵はF-16型の無人戦闘機が三機、グアム島のアンダーソン宇宙港に向けて進行中と認定した。 作戦要綱に変更なし、直ちに迎撃任務に入ってくれ」

 バウ艦長の通信によりそのような作戦が発令される。


「ネヴェロン機は行けそう?」


「エンジン始動用の補助コンプレッサーを使ってますけどいかんせんまだ調整が不完全もんで…始動上限の圧力に達するまで少し時間をください」


 ナオ副長からの内戦にイチジクは申し訳なさそうに眉をしかめて答える。

 しかし無理もないのだ。


 本来スクラムジェットエンジンはスペースシャトルのような宇宙と地上を往還する宇宙船に搭載する超音速エンジンだ。マッハ五以上の超音速飛行を想定し、静止状態では起動することも出来ない。

 強力な風圧を利用して始動させるというあまりにも特殊な条件ゆえに補助としてエンジン内部に風圧を送り込むためのコンプレッサーが必要となる。

 本来であればこれから最終調整としてその始動テストも行う予定だったのだが急な発進要請があったためにぶっつけ本番で行うことになってしまったわけだ。


「急いでちょうだい。 グリペン一機だけじゃ対処しきれないわ」


 ナオ副長はイチジクからの返事を待たずに内戦を切った。

 その後、間髪入れずにバウ艦長がナオ副長に問いかける。



「なあ、どう思う?」

「どうってなにが?」

「臭いと思わないか? 確認された機体がたったのF-16三機だよ。 奴さんもそれなりの戦闘経験を経て学習してるというのに、今になって僅かそれだけの数で勝てると思っているのか…」

「っというとなにか仕掛けてくる可能性が?」

「否定はできないね。 このままじゃ済まされないよな…」

 二人の間に奇妙な空気が渦巻く。





 グリペンが前脚部をシャトルに乗せると後部甲板からディフレクターが起こされる。グリペンはエンジンの推力を上げフラップの動作確認を済ませる。

 甲板員の確認指示に対してキャリィがサムズアップを行うとグリペンは僅か二秒で時速三〇〇キロへと加速、フライングデッキの端から空へと飛び上がった。


 急上昇を始め一気に高度五〇〇〇メートルに到達し、機体を水平に保つ。



「状況確認、敵は三機、あいつが来るまでは一機は落としたいわね。 不利な事に変わりはないから……行けるかしら…」


 模索を繰り返している間にやがて地平線の中心から黒い影が三、編隊飛行の態勢でF-16三機がその姿を現した。


「先手必勝!」


 F-16が扇状に分かれるとグリペンは機体を傾け左に旋回したF-16を捉える。ほんの一瞬を間でキャリィがレバー上のボタンに手をかけた。

 グリペンの翼下から放たれたミサイルは眼前のF-16へめがけて猛進、二つの影が重なった途端に派手な爆発を起こした。

 キャリィは撃墜した結果に喜びの表情一つ浮かぶ事なくすぐさまグリペンを急上昇させる。


 上昇中、キャリィの視点から見上げるように頭を上げると真下にもう一機のF-16が右旋回を始め速度を上げる。明らかにグアム島に向けて舵を切っていた。


「行かせない!」


 キャリィは機体をロールさせそのまま右旋回したまま急降下を始めた。

 骨が軋むほどの壮絶なGがキャリィの体をシートに押し付ける。

 しかしグリペンがF-16を捉えようとした次の瞬間、電子戦表示ユニットから反応を受ける。


「ちっ!」軽く舌打ちをするキャリィ。


 もう一機のF-16だ。ブレイク(急旋回)を使いグリペンの後ろを確実に狙い取っていた。

 キャリィはすぐにグリペンを左へ旋回させた。完全にドッグファイトへともつれ込む。




その頃、F-14はカタパルトの上で推力を目一杯上昇させていた。

 始動には成功したものの風圧を落とせばすぐにまたエンジンが停止してしまうため下手に推力を落とすことができなかった。耳の鼓膜が破れそうな轟音を保ったまま誘導員がカタパルトの発艦準備にかかる。


「ネヴェロン! 分かっていると思うが如何せんテスト飛行もなしの初陣だ! 何が起こるか分かったもんじゃない! 圧力計には常に目を光らせておくんだ! 無茶だけは絶対しないでくれよ!」


 イチジクが無線越しに大声で叫び上げるとネヴェロンはサムズアップで返した。

 F-14がカタパルトからコンダクションチャージャー特有の甲高い加給音を響かせる。並みの轟音じゃない。イチジクが苦悶の表情を浮かばせながら両手をヘッドフォン越しに耳に押しつけている。



「―――――っ!! 鼓膜がはち切れそうだ!」



 F-14は強烈な加速を行い大空へと離陸、急上昇を始めた。

 どうやら無事に飛び立ったようだ。





 一度ブレイクされたグリペンは蛇行を繰り返しそのままシザーズに入る。

 螺旋状の動きで両機は減速を試みるが決定打には至らない。


「まずい…っ!このままじゃ!」


 鼓動が早まり、焦る気持ちばかり先走って思うように優位位置に立ち直れないキャリィ、その時だった。



 それは『影』のようにも見え、残像のようにも見えた。キャリィの眼前を横切るスピードが尋常じゃない事が分かる瞬間だ。



「っ!?」



 キャリィは大きく見開いた目をその『影』が向かった方向へ視線を向ける。そこには主翼を大きく広げたF-14がもう一機のF-16に向けて楕円を描きながらブレイクを始めた。


 五秒も経っていない。その間にF-14から放たれたミサイルがF-16に突き刺さる。F-16は黒煙と吹き散らちかし瞬時にその場で爆発した。


「嘘…」


 一瞬の出来事で言葉を失うキャリィだがすぐに我に返る。まだ後ろに一機が残っているのだ。

 キャリィはグリペンを右方向に急上昇させるとそのままインメルマンターンに持ち込みすぐにF-16の後方に回り込んだ。


 紙一重のタイミングだ。敵をロックオンするとグリップ中央の赤いボタンを親指で押し込む。発射されたミサイルは見事に命中し、最後のF-16が爆散した。


「…はぁ」


 キャリィは肩の力を落として荒い息遣いをゆっくりと整えていく。


「無事か?」

 ネヴェロンが無線越しに声を上げた。


「…ええ、かなり焦ったわ。後十秒遅れていたら私も基地もただじゃ済まなかったわよ」

「遅くなってすまなかった」

「まさか…あれが最大速度? マッハ三は出てたわよ?」

「あれで出力三割の速度だ…」

「…出鱈目過ぎる」

 苦笑いを浮かべるキャリィ。その時、



「気を抜くな! 敵はまだいる! 上空三○○○○メートルにアンノウン確認! 新たに三機が降下してくるぞ!」



 バーグの早期警戒機から通信が入る。




 地上と宇宙の境目、高度四十キロの成層圏にそれは不気味に漂っていた。


 全長五○○メートルはあろう胴体は飛行中での態勢維持のための小型主翼以外の突起物を排し直角の凹面を多用したコーナーリフレクタ、いわゆるステルス型と呼ばれる形状だが見方次第ではそれはまるで棺にも見える。


 世界中の軍の関係者から『アウスーラ・ツリー』と呼ばれ恐れられている超大型輸送機はまさしく空から地上を支配する要塞のごとき異彩を放っていた。


 機種下部のカタパルトゲートがゆっくりと開きだすと甲板上に待機していたのは三機のジェット戦闘機。

 やがてそれらは轟音を巻き上げるとフラップの動作を確認、ゆっくり加速をはじめ離陸した瞬間、機首を下ろして一斉に急降下をはじめた。




「なに?」

「三万メートル!? 成層圏からってこと!? どうしてそんな所から敵が!」

「〝アウスーラ・ツリー``か…やはりタダでは帰してくれなかったか」

 バウ艦長が厳しい表情で小さく呟く。


「来るぞ! 構えろ!」

 バーグが叫ぶと同時に上空から三機の戦闘機が太陽を背に急降下して襲いかかってきた。


「くそおっ!」


 F-14とグリペンは咄嗟に急旋回を始め、辛うじて射撃の雨を回避することに成功するとすぐにブレイクを始める。


「あれは、F-2? それと…っ!?」 


 洋上迷彩が施された二機の戦闘機はかつて日本国で運用されていたF-2。だがそれよりも厄介な代物が一機だけ紛れ込んでいた。

 ネヴェロンの顔が強張る。



「エフ…22…。まさか…奴らはこんな代物までコピーしていたのか!?」



 三角形を基調とした徹底したステルスフォルム、まさしくそれは、最強の対空戦闘機として名高い``F-22 ラプター″だ。



 二機のF-2はすぐさまグリペンの後ろに回り込んだ。


「二対一ってこと…上等だわ!」


 後方からけしかけてきたF-2相手に啖呵を切ったキャリィだがすぐさま事態を圧迫する通信がバーグからとびかかる。



「ヤバいぜ! アンダーソン宇宙港から火星行きのコスモプレーン『キティ・ホーク』が離陸を始めた。繰り返す! 『キティ・ホーク』が離陸を始めやがった!」



「なんだと!?」

「は!? どういう事よ!? レーダーでこの状況が分からないわけ!?」

 突然の通信に驚愕するネヴェロンとキャリィ。


「アウスーラ・ツリーのステルスシステムが航空管制のレーダーに捉え切れていなかったのか。それとも特殊なジャミングを発生させて電波妨害を起こしたか…こちらから離陸中止の通達を送信しても届きやしない。各機、何としてもやっこさんをこの場で留めるんだ!」

「そんな事言われても…っ!?」

 キャリィがバウ艦長からの通信に気を取られていると真正面にF-22が飛び出し機関砲を放ってきた。


「ヤバっ!」


 考えるよりも体が勝手に反応したようだ。

 咄嗟に舵操縦桿を右に切ったことでF-22の奇襲をかわすが放たれた弾丸が直線状にグリペンの側面、つまりは主翼の付け根に突き刺ささってしまった。


 さらには打ち漏らした機関砲がグリペン後方のF-2一機に命中、F-2は黒煙をモクモクと上げ、回転しながら高度を下げていくと途中で爆発を起こした。


 相打ちという形で一機を落とせたもののキャリィの表情に変化はない。それはそうだ。自身もいつ落ちるか落とされるかという状況だ。

 幸いにもエンジンへの被弾は免れたが機体は白煙を巻き上げ、なんとかバランスを保ちつつも千鳥足のごとくばたつかせながら水平飛行を維持していた。


「キャリィ!」

 

 ネヴェロンからの通信にキャリィからの応答がない。いや応答する余裕すらないということか。


 苛立ちを隠せないネヴェロン。


 無理もなかった。ネヴェロンはいまだにエンジンが変わった機体に慣れていない。


 本来ならば新型機が投入される場合は数週間の訓練、テスト飛行の後にパイロットの特性に合わせた仕様を施すのがセオリー、それはエンジン換装とて然りなものだ。

 緊急を要したとはいえ、安全に飛行が可能か見当がつかない代物で出撃を強いる事はまともな軍隊では到底あり得ない事態である。



『普通では考えられない特殊事例こそがこの部隊の日常』



 それがアメリカ海軍の外遊遊撃部隊“飛び猫部隊”の実情だ。


「こうも扱いにくい仕様となるとっ!?」


 出力調整がままならないエンジンで何とかF-22の背後に回り込もうとするがF-22はそれを嘲笑うかのように戦闘エリアを離脱し始める。

 敵の第一目標はあくまで一つ。




『人類の抹殺』だ。




「F-22がキティ・ホークへ向けて上昇を確認、おおよその予想到達時刻は三分後!」

「三分後…っ!」


 サラトガIIからの通信に愕然とするネヴェロン。


手負いのパートナーにそれを狙うF-2、そしてターゲットへと狙いを済ましたF-22、もはや万事休すだ。



「諦めないで」



 ネヴェロンに静かに問いかけたのはキャリィだ。


「まだ動ける。こちらには目を向けないで!」


 そう言い放つとグリペンはふらついた機体で推力を上げて急降下を始める。


「キャリィ!何をする気だ!」

「無茶をしないでキャリィ中尉! 空中分解するわ!」


 キャリィはネヴェロンとナオ副長の忠告を無視し、グリペンを高度三○○メートルの低空まで急降下させるとそこから一気に急上昇始めた。



「なめるなああああああああああああああああ!!」



 損傷を負った機体ではまともに飛行することも難しいはずだがグリペンはほとんどエンジンパワーだけで無理やり飛ばしているだけに過ぎない状態だった。

 機体の激しい振動に耐えながら爆発のリスクを背負いながらも上昇を続けるグリペン、そしてその眼前に現れたのは追撃を続けていたF-2。


 誰もが刺し違えを頭によぎった時だった。

 だが衝突間際の瞬間にキャリィは操縦桿を左に大きく切り倒した。


 グリペンは損傷を負った不安定な機体を左に九十度傾けると、F-2と数センチにも満たない距離でニアミスを起こす。

 次の瞬間、F-2は衝撃波によって中心からねじれる様な振動を起こすとそのままバランスを崩し木の葉のように真っ逆さまに落下した。機体を立て直す暇もなくそのまま海面に叩きつけられ撃沈した。


「これが人間様の意地よっ」


 キャリィがそう吐き捨てる。そしてグリペンはエンジン停止、失速を起こし錐揉み状に回転しだした。


「ネヴェロン! あんたも飛び猫部隊の隊員なら意地をみせて…そのマシンが伊達ではない事を見せてちょうだい!」


 キャリィはそう言い残すと座席下のレバーを勢いよく引く、彼女の座席が大きく爆発し、座席ごとキャノピーを突き破り空中に投げ出されるとすぐにパラシュートが展開され上手く脱出できたようだ。

 主を失ったグリペンはそのまま機首から海面に墜落、機体は粉々に吹き飛んだ。


「キャリィ…」


 ネヴェロンはスロットルレバーを目一杯倒し推力を押し上げ再加速、機体を旋回させF-22の追撃に入った。



「―――くぅっ!」


 真正面からコンクリートの塊に挟まれたような強力なGがネヴェロンに襲いかかる。


「これは…耐Gにも…改良の余地ありだな…」


 しばらくするとF-14は機体前方にF-22をキャッチした。

 一方のF-22も後方のF-14に気付いたか、機体を九十度傾けるとそのまま右旋回に差し掛かる。

 F-14はすぐに機体を引き上げるとバンク状に円を描いてF-22の背後に回り込んだ。ロールアウェイと呼ばれるマニューバ(戦技)だ。

 Mark-IIによる絶大なパワーはすぐにF-22を捉える。しかし、ロック寸前のところでF-22は咄嗟に左へ回避、続いてF-14も追撃する。



(…)



 もはや声を出す余裕もないネヴェロン。多量の汗と荒息遣いがそれを物語っていた。

 エンジンパワーによる推力、スピードが増せばそれだけ身体に負担が掛かる。機体慣れしていない上にすで予定飛行時間はとうにを越えていた。


 精神的、肉体的、そしてすでに狙われているコスモプレーンのためにも最早猶予はない。

 内心焦る気持ちを抑え、冷静に慎重にタイミングを探るネヴェロン。


 急降下と急上昇を繰り返し激しいドッグファイトと繰り広げる両機。

 旧式機とはいえ一世代前の最強ステルス戦闘機だ。対空戦では一筋縄では行かない。

 しかし、それでもパワーに勝っているF-14が徐々に追い詰めていく。確実にロックする時間は長くなっていた。


(っ!)


 ネヴェロンは見逃さなかった。


 F-22がインメルマンターンを決め込んだ際に大きく背後を見せた瞬間を。

 機内の照準が赤く点灯するとネヴェロンの親指が操縦桿上部のボタンに触れる。主翼下部のミサイルが勢いよく射出された。


 F-22は態勢を平衡させすぐに回避運動を取るがすでに時遅し、ミサイルはF-22後部に直撃、機体は大きく爆発。見事撃墜に成功した。





「目標を撃破、周辺空域にアンノウンなし」



 サラトガIIにネヴェロンからの一報が入る。


「ネヴェロン。よくやったわ」


 ナオ副長からの通信がネヴェロンに届けられた。


 僚機は失われたものの作戦の完了に安堵する艦内。


「大したものね、テスト飛行も行われていない機体で初陣を飾るなんて」

「彼のパイロットとしての意地と執念が成せた技だね。それとも…彼女への信頼ゆえか…よし、現時刻にて作戦終了、各機、帰投―」



「いやまだだ!」



 バウ艦長の言葉を遮ったのはバーグだった。


「どうしたんだ、バーグ中尉」


「アウスーラツリーが動き出した! 高度五〇キロからさらに上昇開始、目標は赤道近く、キティホークに接近中!」


 再び凍り付く艦内。


「まさか…要塞からの攻撃で落とすわけ!?」

「そのようだね、やっこさん、何が何でも目的を遂行するつもりだな。ネヴェロン中尉、聞こえたな。やれるか?」


 バウ艦長からの淡々とした通信にネヴェロンはさも待っていたかのように受け答える。



「了解した。任務を続行、アウスーラツリーを撃墜する」



「ちょ、ちょっと待ってよ! ネヴェロンまさか弾道飛行をおっぱじめるつもり!? 無茶だって! いくらMark-IIを積んでいるからってそんな古い機体じゃ、大体スワンさんからも止められているでしょ?」


イチジク整備班があたふたしながらバウ艦長とナオ副長を交互に見回すが二人の長は顔色一つ変えやしない。


「班長、俺は軍人だ。俺の体とこいつが指一本でも動く限りは作戦に背くことはない。コンディションを言い訳には出来んよ。今ここで退くわけには行かない。スワンだって分かってくれるはずだ…」


 ネヴェロンはそう言い残すとイチジクの反応を待たずに無線を断ち切った。機首を大幅に上げると主翼を大きく後退させ、推力を限界まで引き上げて急上昇を始めた。





「目標は現在高度八十キロ、キティホークとの射程距離圏内まであと四十の距離!」

「F-14は」

「現在高度七十キロに到達、尚も上昇中!」

「紙一重というところか…」

 そう呟くと静観を決めたバウ艦長。




 耳を貫くような轟音と骨まで響く衝撃がネヴェロンに襲いかかる。

 機体が上下に大袈裟に揺れる感覚が今にも機体が空中分解するかのような勢いだった。


 震える手で強く操縦桿を握りしめるネヴェロン。

 エンジンの強大なパワー故か、ネヴェロンは中心から外側の視界が真っ暗に染まっていた。


 下向きの強力なGが発生した際に起こる『ブラックアウト』と呼ばれる現象だ。

 やがて、中心で微かに見えていた視界も上昇を行えば行うほど青から藍色へと変わりつつあり、ますます視界は狭まり非常に危険な状況へと陥ってゆく。


「……」


 しかし、ネヴェロンは息遣いこそ荒いものの妙に平常心を保っていた。

 視界は見えずとも、急激に研ぎ澄ませた神経や五感を意識に集中させ冷静に状況を読み取る。



 敵はどこか――自分は今どの位置にいるか――敵との距離はどの程度か――



 計器に頼らずにただひたすら己の感覚を頼り、宇宙空間の境目が見えるかの如く真っ暗なバックスクリーンから一点の光が捉えた。

 アウスーラツリーの射程距離内にはすでにキティ・ホークが差し掛かっておりまさしく【すんでの所】だったようだ。


 F-14から放たれた最後のミサイルは一直線に飛翔し、アウスーラツリーの下腹部を直撃する。

 しかしアウスーラツリーは黒煙を巻き上げ態勢こそ崩したものの撃墜には至らず、F-14にめがけて収納されていた対空ビーム砲で応戦を始める。


 ネヴェロンは咄嗟に機体を傾け旋回させた。



(狙いが甘かった…ミサイルはゼロ…ビームガトリング、使えるか?)



 アウスーラツリーの周りを大きく旋回するF-14は機首部から大型のガトリング砲を展開させた。


(…これが通用しなければ刺し違えも覚悟だな)


 ネヴェロンは不敵な笑みを浮かべるとそれまで逆時計回りに旋回させていた機体の向きを変え一度大きく距離を取るとインメルマンターンを行い迎撃態勢を取る。

 敵の対空ビーム砲を横滑りでかわして行くとネヴェロンは操縦桿の引き金を引いた。


 次の瞬間、ドドドドドドドドドッ!! という爆音と共に粒状の光の塊が一斉にアウスーラツリーにめがけて発射された。

 なんともビームとは思えない非常に重たい銃声だ。


 一度に直撃を受けたアウスーラツリーはたちまち蜂の巣と化して行き、遂に内部から爆発を始めた。

 対空ビーム砲は止み、完全に活動を停止すると業火と黒煙を巻き上げながら落下、やがて海面に激突し、巨大な水柱を上げて爆発、完全に撃墜に成功したのだった。



「やった…」



 そっと胸をなでおろすネヴェロン。


 F-14が態勢を立て直すとすぐ横にはキティ・ホークの姿が見えていた。


 二機は並行して飛行しているのがお互い目視で確認できるほど目と鼻先だ。本当に危うい状況だったらしい。


「ネヴェロン中尉、よくやったわ。大成功よ。被害状況を報告して」


 ナオ副長からの通信に対してネヴェロンは横目でキティ・ホークを確認すると囁くように答える。


「敵機の撃墜を確認。自機、およびキティ・ホークに損害なし…任務は完了した」

「さすがね。やっぱり伊達ではないわね。あなたも、F-14も」

「キャリィは?」

「回収済みよ。ピンピンしてるわ。機体はどうにもならなかったけどね。それでも彼女は満足そうな顔をしているわよ。子供みたいに嬉しそうな顔をして」


 彼女がそう茶化すと回線越しにキャリィがぎゃあぎゃあとやかましく騒ぎ立てる声が漏れていた。

 顔を真っ赤にしてはげしく動揺している様が容易に想像できる。


 そういったやり取りを行っている内にそれまで並行飛行していたキティ・ホークが上昇を始める。

 ネヴェロンが横目でそれを見送ると小さな小窓越しに幼い少女がF-14に向けて手を振っていた。


 ネヴェロンは一瞬に目を見開いたがすぐに優しい目で少女に対して軽くサムズアップを交わす。


 やがてキティ・ホークの小窓がシャッターで塞がれると急上昇を始め姿が見えなくなった。

 その姿を見送ったネヴェロンは小さく笑みを浮かべるとF-14の主翼を展開させ一言言い放つ。





「作戦終了、これより帰投する」


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飛び猫たちの青い翼 つわぶき しのぶ @tuwabukishinobu

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