第7話 冷血漢
「わ、分かったよ。ちょっと待ってね」
豹変したアクアリア嬢に言われるままお茶を入れる。
いや、決してアクアリア嬢が怖かったわけじゃないんだ。それに考えてみれば王子という立場に気兼ねしないその態度は僕が望んだものじゃないか。……アホ面は少し言いすぎたと思うけど。
とにかく気を取り直してアクアリア嬢の為にお茶を入れる。お茶の入れ方なんて習ってはいないけど、寧々亜がお茶を入れるところを何度も見てきたし、別に複雑な工程があるわけでもない。
僕はすぐに湯気の立ったお茶碗をアクアリア嬢の前において見せた。
「ど、どうぞ」
「頂きますわ」
冷たい声でそう言ってアクアリア嬢は茶碗を手に取ったーーかと思えばそのままグイッと湯気の立つ液体を胃の中に流し込んだ。
「え?」
と僕が驚く暇もなくーーガシャン! と派手な音を立ててソーサーに空の茶碗が戻された。失礼を通り越していっそ清々しいほどの一気飲みだ(というか熱くはないのだろうか?)。
「何ですの? 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして」
「あ、いや、その……味はどうだったかな?」
「そうですわね。美味くも不味くもない、まさに王子を表しているかのような、そんな味でしたわ」
「へ? そ、それはどういう意味なのかな?」
「どうもこうもありません。そのままの意味ですわ。それでは私はこれでお暇させていただきますわね」
退室の許可など不要とばかりに少女は僕に背中を向けた。
「ア、アクアリア嬢、待ってくれ」
「私のことはアクアリアで結構ですわ。王子と私は一応婚約者なのですから」
殊更に一応の部分を強調すると、アクアリア嬢はそのまま部屋を出て行った。
「……一体なんだったんだ?」
王子である僕にあんな態度。いや、あの態度こそ僕の望んでいたもの……なのか?
「いや、いくら何でもあれは……」
思い出すのは虫でも見るかのような冷たい瞳。あれが一国の王子たる僕に向けていい目か? あの目を思い出すと僕は、僕はーー
トクン!
と不思議な胸の高まりを覚えた。
「ふっふっふ。……オーホッホッホ! 言って、言ってやりましたわ」
ああ、なんて清々しい気分なのかしら。あの冷血漢王子の呆気にとられた顔ときたら、あれを思い出しただけで、私は、私はーー
「オーホッホッホ! オーホッホッホ!」
「お嬢様のその無駄に喧しい高笑いが出ているということは、どうやら上手く行ったようですね」
「あら、クローディア。私今とても良い気分ですの。貴方の小言で台無しにするのは止めてくださるかしら」
「それは失礼を」
「まぁ、いいですわ。ほら、とっとと行きますわよ」
クローディアと合流して城を出た私はそのまま馬車に揺れる。流れていく景色を何とはなしに眺めながら、王子のあの呆けた顔をもう一度思い返してみる。
「本当、いい気味ですわ」
あの顔を思い出すだけで一日中でも笑っていられそうだ。
神様にさせていただいたゲームという名の未来、そこでは何も知らない私が婚約者として王子に尽くしていましたわ。
お弁当作ってみたり、一緒に勉強しようと誘ってみたり、とにかく行動的な私に相応しく様々な努力を。でもあの冷血漢は王立霊術学院の高等部に入学してきた平民にして非常に珍しい光の属性を持った女性、紫山 静音にあっさりと一目惚れ。
いえ、私も高貴な家に生まれた者。互いに想い合えるような素敵な家庭に憧れもしますけど、お家、ひいては国家の為とあらば夫の浮気くらい些細なもの。そう考えた私は王子が静音にいいよるのを気づかぬふりしつつ、健気な努力を続けましたわ。
周囲の哀れんだ目はもちろんのこと、静音本人からもーー
「ちょっと、貴方の婚約者がしつこくいいよってくるんだけどさ。あれどうにかしてくれない?」
と、苦情を入れられても決して王子を悪く言うことはなく、むしろ王子をフォローしてあげる、我ながらそれはそれは聖女の如く心優しい行いでしたわ。
そんな私でも、あれだけは、あれだけは許せませんでしたわ。そう、私が死んだ時の王子の反応。それを一言で言うのならーー
「ふーん。あっそ」
てな感じでしたわ。いえ、もうちょっとマシだった気もしますけど、とにかくその反応は、知ってる人が亡くなって気の毒と思うけど、泣くほどじゃないな。的な酷く冷めた感じでしたわ。だと言うのに数あるバッドエンドの中で静流が死んだときは号泣。婚約者としてあれだけ尽くしてあげて、ルートによっては貞操すら捧げた私の死よりも、冷たく邪険に扱った静流の死に号泣って、婚約者以前に人としてどうなんですの? てめーの胸に詰まってるのは血の通った心臓じゃなくてブリキの
このあまりにも酷い王子の態度には一緒に選択肢画面で王子にあげるプレゼントを考えてくださった神様もその全身を震わせてーー
「まったくこの王子君は、これじゃあアクアリアさんがとんだピエ……ピ、ピエ……ブッハッハッハ! ア、アクエリアさんのその顔! お、お腹が……クックック」
と、憤慨されてましたわ。
「……ああ、思い出しただけでまた腹が立ってきましわ」
夢だと思ってた時はまだよかったんですけど、よりにもよって本物の神様の前であのような醜態を晒させるなんて。高貴な私の人生を道化にした恨みは深いですわよ。
「とは言っても、婚約者の立場を破棄するのは流石に悪手ですわよね」
正直、あの冷血漢との関係が終わろうとも一向に構いませんけど、バッドエンドを回避するのに王子の婚約者という立場はあった方が便利ですわね。……まっ、あの事なかれ主義の王子のこと、私が少々意地悪したからといってそれを問題にする度胸もないでしょうし、冷血漢王子との関係は最低限に留めておいて、必要な時だけこき使ってやりますわ。
「オーホッホッホ! オーホッホッ……って、何ですのクローディア、その顔は?」
気付けば向かいに座るメイドが酷く冷めた視線を向けてきてますわ。
「この顔ですか? これは独り言をぶつぶつ言ったり、突然笑い出す危ないお嬢様を入院させるべきかどうか悩んでいる、そんな顔です」
こ、こいつは……。
「そ、そうでしたの……。それなら今の私の表情が何を物語っているか分かるかしら?」
「もちろんですお嬢様。優秀で気遣いの出来るメイドを昇給させてあげよう。と言う顔ですね」
「全然違いますわ。生意気なメイドをクビにするべきかどうか悩んでいる、これはそんな顔ですの」
「残念ながらお嬢様、私の雇用主は旦那様ですのでお嬢様にその権限はありません。と無知なお嬢様に知識を授けながらも内心嘲笑している、そんな顔をどうぞ」
「いりませんわ! ああ、もう。館に着くまで黙ってなさいな」
「仰せのままに」
静寂を取り戻した馬車の中で私はそっと息を吐く。まったく、こんな調子でバッドエンドの回避なんてできるのかしら?
不安を煽るかのようにデコボコ道を走る馬車が一度大きく揺れた。
悪役令嬢は悪役令嬢らしく 名無しの夜 @Nanasi123
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