第6話 王子の憂鬱
「そういうわけでオウリよ。ホーンナイト家のアクアリア嬢とお主の婚約が決まった。異論はないな」
「勿論です。父上」
この国の王として日頃何かと忙しい父上からの突然の呼び出し。でもその内容は予想していたものでしかなかった。
「婚約か」
相手は三つ年下の女の子でこの国でも有数の名家であり、王国の盾とまで呼ばれるホーンナイト家の長女だ。日々強まる幻獣の脅威。そしてそれに比例するようにその勢力を増していく共存派。かつてないほど世界が混乱しているこんな時代だからこそ、王家と貴族の仲を強化しておく必要がある。
まだ十三歳だけど僕だって王族だ。父上の考えは分かるし理解も出来る。でもーー
「ハァ、息苦しい」
まるで深海の底に縛り付けられているかのようなこの感覚を意識始めたのはいつの頃からだろうか?
王子として生まれて何不自由のない王宮暮らし。でも何をするにしても誰かの目や評価がついて回るそんな日々。十三才になって王立霊術学院の中等部に進学したら何か変わるんじゃないかと期待もしたけれど、結局皆王子である僕の顔色を伺うか、面倒ごとはごめんだと距離をおくばかりで、相談や愚痴を吐き出せる相手なんて見つかりそうもない。
「こんな日がいつまで続くのかな」
心動かすモノが何もない白黒世界。
そんな世界で僕は他人が求める役柄を演じ続けている。今日も、明日も、きっと明後日も。なら一年後は? 十年後は? 未来の僕はこの
……分からない。分からないまま時間は流れていき、結局何もないまま婚約者となった女の子との顔合わせの日がやってきた。
「いいですか、王子。アクアリア様は噂通り利発な素晴らしいお方ですが、今は少し調子を崩されています。ですから……」
「分かってるよ。変なこと言われても気を悪くするなっていうんだろ? もう耳がタコになるくらい聞かされたよ」
「申し訳ありません。しかしそれほど重要な縁談なのだとご理解頂ければ幸いです」
全然申し訳なさそうに頭を下げる寧々亜。
森口 寧々亜。庶民の出でありながら二十五才という若さで
「それしてもそんなに体調が悪いなら顔合わせはまた今度にしておいた方がいいんじゃないかな?」
ホーンナイト家の長女が属性判別式で五属性という驚愕の結果を出した後、倒れて一週間も目を覚さなかったのはまだ記憶に新しいビッグニュースだ。同時にこちらはあまり噂にはなっていないが、目を覚ましたアクアリア嬢が、私は神の声を聞いたと言って今までの品行方正な行動から一転。屋敷を夜に抜け出したり、小等部の授業に出なかったりと問題行動を立て続けに起こしていることも一部の者たちには有名な話だ。
「アクアリア様は決して体調が悪いわけではありません。ただ精神的に少しだけ不安定なだけです」
「それって……いや、分かったよ。とにかく上手くやるさ」
「はい。よろしくお願いします」
そんなこんなで約束の時間となる。
「王子、ホーンナイト家のアクアリア様がお見えになられました」
「入ってもらって」
「アクアリア様、お待たせいたしました。どうぞお入りください」
「ありがとう。王子、失礼いたしますわ」
金色の巻毛が眩しい可憐な少女。入室してきたのは誰もが見惚れるようなそんな女の子だったけど、僕は貴族として見慣れたその
キッ、と寧々亜の厳しい視線が飛んでくる。
でも仕方ないだろ? アクアリア嬢のあの顔ときたら、まだ十歳だというのに大量生産された仮面のような笑みがもうその整った顔に張り付いているじゃないか。
それは王子の僕がうんざりするくらい見て、これからも見続けていくもの。まだ幼い婚約者にすらそんな
「初めまして、オウリ・オウ・オルガです」
「お初に目にかかります。アクアリア・ホーンナイトです。お目にかかれて光栄ですわ、王子」
アクアリア嬢の顔に浮かぶ殊更眩しい笑顔。面白いことなんて何もないのに、楽しさを演出するその態度。正直、胸焼けしそうだ。
「僕もです。さぁ遠慮せずにお掛けください」
「ありがとうございます。それでは失礼致しますわ」
僕の許可があるまで背筋をピンと伸ばしていた彼女は優雅に腰を折ると着席した。
ーー寧々亜め、これの何処が精神的に不安定なのだか。貴族令嬢は皆親から作法について日々厳しい指導が行われている。とはいえ十歳でこの堂々とした立ち振る舞いが出来る子はそうはいないだろう。ともすればこのまま社交界入りしても問題なさそうに思えた。
「…………」
王子である僕をたてるよう言われているのだろう、席についたアクアリア嬢は仮面のような笑みを貼り付けたまま一言も話さない。餌を待つ子犬のようなその顔ときたら……。こちらの機嫌を損なわないよう必死なのは理解できるが、セオリー通りでしかないその振る舞いは婚約者である
「アクアリア嬢」
「はい。王子。……それともオウリ様とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「オウリで構いませんよ。それとそんなに緊張しなくてもいいんですよ。確かに僕は王子ですが、貴方はホーンナイト家の長女。ましてや今は婚約者だ。対等な人間として話ませんか? いえ、このご時世、むしろ仲良くして欲しいのは僕達王族の方なんですよね。アハハ」
「いえ、そんな、私風情が王子であるオウリ様と対等だなんて恐れ多いことですわ」
一縷の望みをかけて下手に出てみたが、アクアリア嬢は大量生産品であることを止めてくれない。
「ハァ」
その退屈極まりない姿に思わずため息が溢れる。お茶の準備をしてきた寧々亜がまたも責めるような視線を向けてくるが、台本に書かれたような会話を婚約者とも続けなければいけない僕の苦労も少しは汲み取って欲しい。
……なんかもう、色々と面倒くさいな。
「寧々亜。君はもういいから下がっていてくれ」
「ですが王子、お茶の準備がまだーー」
「それはこちらでやりますので問題ありませんわ」
僕に気に入られるのに必死なんだろう。幼い婚約者はすかさずフォローを入れてくる。
へぇ、凄いんだね。でもお茶をいれるくらい誰でもできるからね。
一瞬口を突き掛けた悪態をすんでの所で飲み込んだ。
……まったく僕は何をやっているんだ。いくら貴族令嬢とはいえ彼女はまだ十歳。親に言われたことを必死にやっているだけの子供に当ろうだなんて格好悪い。
「それでは王子、私はこれで失礼させて頂きます」
「ああ」
寧々亜が部屋を出ていくのを見送りながら僕は荒んだ心を何とか落ち着ける。よし、彼女がお茶を入れたらそれがどんなに拙いものでも褒めてやろう。その後適当に話を振って彼女を気に入ったような演技をしてやるんだ。それで誰も彼もが万々歳だ。
僕は王子としての義務感を総動員しつつ、少女がお茶を入れるのを待った。しかしーー
「ハァ、ようやく監視も終わりですわね。あー、肩凝りましたわ」
アクアリア嬢はスッと綺麗に伸ばしていた背筋を丸めると、そのまま椅子の背もたれに体重を預けた。
「え?」
まるで他人の目がない実家で行うようなその行動に思わず目を瞬く。
「何見てますの?」
アクアリア嬢はそんな僕に対してあろうことか頬杖を突きながら不機嫌そうな瞳を向けてきた。
「あ、いや、き、綺麗だなと思って」
「はぁ? 十歳の小娘相手に綺麗? まさか王子、ロリコンじゃありませんわよね」
「そ、そんな訳ないだろ! いや、ないよ」
ないわ~! という語尾が聞こえてきそうな少女の顔に思わず大声を出してしまった。
何だこれは? 謀反? これが謀反なのか?
「ちょっと王子、何をアホ面下げてますの? お茶、早く入れてくださいな」
「ア、アホ面? いや、お茶は君が入れるんじゃないのか?」
「はぁ? 私がいつそんなこと言いました? それとも王子、まさかお茶も入れられないんですの?」
仮にも僕は一国の王子だぞ? それなのになんだその冷たい言葉にまるでゴミでも見るかのような目は。
アクアリア嬢の度を超えた態度に僕は、僕はーー
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