chapter2:チーズケーキサンデー

2話 チーズケーキサンデー①

 陽の光が差し込む廊下で、まるまると太った愛猫を抱える。太陽をめいっぱい浴びた鷹丸たかまるはぽかぽかとあたたかくて、おひさまの匂いもする。もこもことしたおなかに顔をうずめると、もふもふと気持ちがいい。大きく息を吸って、「よし!」と気合いを入れた。

 床におろしてあげると、ごろんとおなかを見せて誘ってくる。かまってほしいのかい? かわいいやつめ。

 揉むようにおなかをなでていると、逆鱗に触れてしまったのか、目にも止まらぬ速さでねこパンチが飛んできた。避ける術もなく、私のほおに当たった肉球。ぷにぷにとやわらかい。

 痛くはなく、きっと手加減をしてくれている。


「ごっ、ごめんなさい」

「みー」


 もう一度抱きあげれば、ごろごろとのどを鳴らしてくれる。このごろごろを聞いていると癒される。私までごろごろいってしまいそう。

 鷹丸の瞳はきれいな緑色をしていて、ずっと見ていても飽きない。猫の目って、どうしてこう美しいのかなあ。時間を忘れてしまう。

 黒目がゆっくりと大きくなるのを見、私が「かわいい」と油断している隙をついたのか、再びねこパンチがとんできた。

 またしても避けきれず、ぺち、と弱々しくほっぺに触れた。いかつい顔に似合わない、かわいらしい声で「みぃ」と鳴く。



「にゃっ、なあに、たーくん!」



 床に下ろしてあげると、たっぷりとため息をつかれてしまった。ねこは人の心が読めるのだろうか。いつまで経っても行動に移せない私に呆れて『やき』を入れてくれたのかもしれない。

 そんな彼はごはんの時間のようで、廊下をのっしりと歩み目的地へ。後ろ姿に威厳がある。

 取り残されてしまった私も深呼吸をし、目的地へと足を向ける。

 胸に手を当て、もう一度深呼吸。冷たい空気が肺に入り、吐き出すときはあたたかい。身体の中のものが入れ替わったようだ。

 気を引き締め、目の前のドアを見つめる。何十分見つめただろう。もう木目の形まで覚えてしまっている。

 いざノックをしようと手を伸ばしても、


 ――このドアの先に、壱くんがいる。


 そう思うと手は引っ込んでしまう。

 一恵さんに「よろしく~」って言われたけれど、なにをどうすればいいのだろう。

 ぐるぐると考えていると、ごはんを食べ終わったらしい鷹丸が戻ってきた。またやきをいれられる。

 わかったよ、がんばるね。



「し、失礼します!」



 それからさらにたっぷり時間をかけようやくできたノック。しばらく待っても返事はない。


 ――まだ寝てるのかな……?


 ドアを開けてみると、障子はまだ閉じられていた。陽の射さない室内は薄暗い。

 物音を立てないよう慎重に、泥棒のように室内に足を踏み入れる。自分の家なのに。一歩足を踏み出せば畳の沈む音が小さく鳴る。心臓がばくばくとする。

 一昨日まで物置だったのが嘘のように、室内は綺麗に片付いていた。お父さんの仕事っぷりに拍手だ。

 当の壱くんは部屋のすみに敷かれた布団で寝息をたてている。

 ようやく壱くんのそばにたどり着き、覗き込む。苦しそうな表情。安眠はできていないみたい。……もしかして、私のせい?



「……――子」

「あ、えっ? は、はい! ……あれ?」



 名前を呼ばれたような気がしたけれど、壱くんのツリ目は閉じたまま。二重の痕がついたまぶたがやさしく包んでいる。

 変わったことは、眉間に寄るシワがますます深くなっただけ。


 ――怖い夢でも見てるのかな。


 私もいつか見た悪夢を思いだし、身震い。

 どうしていつまでも忘れられないのだろう。悪夢というものは。ふとした瞬間に頭の中で再生されてしまう。涙が出そうになって、ぐっと堪えて。そっと障子を開ける。きっと、暗いから。またこわくなってしまう。

 あたたかい陽射しが身体と心を温めてくれる。


 ――元気ださなきゃ。


 今日はいつもと違う日曜日。私が探していたな日曜日だから。ねこパンチをされた箇所を弱く弾き、気合いを。



「い、壱くん。朝ですよー……ん?」



 薄く開いていた壱くんの目。

 壱くんは急いで顔を隠すように、大きな手で前髪を掴んだ。


 薄く、涙が浮かんでいたような気がした。

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