1話 ヒツジとおにぎり④

****


 いつものフォーム。いつものタイミング。いつものように放ったバスケットボール。

 綺麗な弧を描いて飛んでいった。

 表面がつるつるとしてしまっているせいで、夕日のオレンジ色が強く反射する。眩しくて目を細めた。

 俺が笑ったのかと勘違いするきみ。きみも確かに笑った。

 パサ。と乾いた音。ボールがリングを抜けていた。



「ないっしゅー!」



 きみの笑顔も眩しいな。

 もう一度目を細めた。

 そしてきみもボールを放る。

 ぴょんと跳ねて。

 俺と同じ3ポイントシュート。



「いっちゃんより遠くから決めたよ!」

「ああ、はいはい」



 嬉しそうな笑顔を直視できずに、俯いて笑う。

 二人で笑って、跳んで、パスをして。バスケをする。


 そんな日は、もう来ない。


  ○○○○


 西日が眩しくてなかなか狙いが定まらない。長くなった影。茜色に染まったバスケットコート。

 手にしたバスケットボール。

 それをゴールに向けて放てば背中がぴりりと痛む。1週間のブランクはさほど問題ないようだ。

 いつかのようにオレンジ色がオレンジ色に照らされて眩しい。

 彼女もボールを目で追っていた。

 途中、眩しかったようで目を細めている。笑ったのかと思った。

 ボールがリングを通り抜けると、彼女は俺を見て笑う。まるで、いつかのあいつのように。無邪気に。慌てて笑顔を作った。

 ――何故?

「いっちゃん」と呼ぶあいつとこの子が重なって見えたのか。



「わあ! 3ポイントシュート、でしたっけ」



 頷いて汗を拭い、空を仰ぐ。

 オレンジ色に染まった空。うろこ雲。

 下を向けば綺麗に笑う亜子ちゃん。目をきらきらと輝かせている。陽の光が入り、より一層きらきらと輝いているようだ。

 寒いのだろうか。風が通り抜けていくと少しだけ身体を震わせた。そっと手をすり合わせている。

 羽織っていた上着を脱ぎ、亜子ちゃんの肩にかけた。きょとんとした瞳で見つめられる。まんまるで、大きくて、透き通るようなその瞳。濁りのないきれいな瞳。どうしてこんなにも澄んだ目ができるのだろう。俺とは見ている世界が違うのだろうか。



「家、戻ろうか」

「は、はい」



 夕日が沈んでいく。

 風も出てきたようだ。

 ぶかぶかのパーカーを羽織った彼女。柔らかそうな栗色の髪が風にさらわれてふわりと揺れた。

 ちょこちょこと小さな歩幅で歩くものだから、仕方なく俺もそれに合わせる。その姿はなんだかペンギンに似ていた。


 腕が足が疲れた。

 背中も、痛い。

 俺は嘘つき。

 この子とあいつがダブるせいか。

 少しだけ、熱い胸。



「……さむ」



 外気はひたすらに冷たい。


  ○○○○


 冷たい水が身体を刺すようだ。排水溝へと流れていく水を見守り、シャワーの温度を上げた。湯気がもくもくと立ち上る。熱いくらいのお湯が冷えた身体をあたためた。汗と汚れが流れていく。

 ついでに脳裏にこびりついたあいつの笑顔も洗い流したかったが、無理だった。

 きっと彼女が。

 彼女を思い出させるのだ。


 首を振り、タオルで頭を拭く。タオルの隙間から見えた、鏡に映る自分の姿。

 何度見つめたって変わることの無い背中。

 それを見る度心が痛み、それなのに安堵する俺がいる。

 鏡の中の俺は、酷く情けない顔をしていた。だけど、本物の俺はうっすら笑っていたような気がする。

 自分を好きになれと誰かが言っていた。でもそれはきっと無理難題で。

 俺は重要なところで回路がおかしいのだ。殴れば治るだろうか。いや、『直る』が正しいのか。試しに頬を叩いてみたが、治ったのかどうなのかわからない。

 所詮ポンコツはポンコツ。自分自身のことすら理解できない。

 瞳にうっすらと水の膜が張る。そして目のふちから、一筋流れ落ちた。

 ――感情は正常だ。

 頬がじんじんと痛む。赤らむ。

 目を開けばいつもの俺に戻れ。口元は笑顔で、涙は隠して。

 鏡の中の俺は痛々しく笑っていた。


 いまは誰とも会いたくなくて、用意してくれた部屋に急いで引きこもった。

 畳の匂いが落ち着く。

 羽毛布団のやわらかさも好きだ。

 蛍光灯は少し、明るすぎる。

 枕を抱くと心臓も落ち着いた。

 今日は疲れているんだ。慣れないことだらけだから。だから思考もブレて、弱って、いつもの俺でいられなくなっている。

 ……だっせぇ。《元気で明るいいっちゃん》。それは、いつどこに消えたのだろう。あの夏に、共に消えてしまったのか。

 また瞳に水膜が張ったような気がして、前髪を掴んで堪える。力むと今度は背中が痛む。怪我のせいか、別のせいか。

 ――怪我、か。


 リュックサックの中で眠っていた湿布を見つけ、ため息をついた。

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