1話 ヒツジとおにぎり③

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 こわい人。

 第一印象は失礼ながらそれでした。私の求めていたを、叶えてくれるかもしれない人なのに。

 私より頭ひとつ分ほど背が高くて、ずっと口をへの字にしていて。見下ろされている感じがする――のは、私の背が低いせいなのだと思うけれど。

 話し方もちょっとだけこわくて、威圧されてしまう。かと思えば、やさしい声で話しかけてくれる。笑うとこわさが和らぐ。髪の毛と一緒で性格もつんつんしているかと思えば、ちょっぴりお茶目で。不思議な人。


「亜子にお兄ちゃんができるかも」


 お父さんがそんなお話をしてくれたのは2週間ほど前。冗談かと思っているうちに一恵さんと会って、それからすぐ今日がきてしまった。心の準備もできていないのに。

 転がるように物事が進んでいって正直まだ夢のよう。

 隣に座っている壱くんが幻なのではないかと、ここは夢の中の世界なのではないかと、瞬きをすれば夢から覚めて、すべてが消えてしまいそうな、不思議な感覚。


 指先で器用にバスケットボールを回す姿をぼおっと見つめる。

 まばたきをしてもそこにいて。

 私の視線に気がつけば、ねこに似たつり目でこちらを見て不思議そうな顔をする。不思議なのはこっちなのに。



「……」

「……やる?」



 まさかボールを差し出されるとは思ってもみなくて、反射的に首を横に振ってしまった。

 壱くんは「んー」と唸りながら頭をかく。

 そんな姿を見ながら、心の中ではずっと謝りっぱなし。どうして初対面だと会話が続かないんだろう……。目もきちんと合わせられない。緊張してしまう。言葉が喉の奥で止まってしまう。

 お父さんみたいに、明るくなりたいな……。

 自分を変えようと、決死の思いで紡いだ言葉。


 ――『明日までいてくれますか?』


 今頃になって、変な声じゃなかったかな、失礼じゃなかったかな、そんな心配がふつふつと浮かんでくる。

 でも、それに対する壱くんのお返事を思い出して口元が緩む。

 ――明日まで、いてくれる。

 嬉しいのかまだ緊張しているのか、心臓がばくばくと痛い。この痛みは、少しだけ成長した痛みなのかな。……そうであってほしいな。

 すぐ隣では、またバスケットボールがくるくると回っている。ずっと見ていると目が回ってしまいそう。

 急に止まったボールのおかげで、そうはならなかったけれど。

 壱くんは口元に人差し指をあてる。いたずらっ子がするみたいに、にっと笑うと八重歯が見えた。

 大人びているように見えるけれど、こんな笑顔もするんだ。



「母さんには内緒な」



 私が首を傾げている間に壱くんはふわりと立ち上がって、数メートル先に立つバスケットゴールの方へドリブルをしていた。

 ボールが手に貼りついてるみたい。

 思うままに操って、最後はシュート。

 見事――壱くんにとっては当たり前なのかな――決まった瞬間、気がつけば拍手をしていた。



「す、すごい! ……です!」

「あ? あー、いや、フツーだよ、フツー」



 なおも拍手をやめない私に向かって、壱くんは「しいっ」と唇に人差し指をあてた。「まだ本当は動いちゃダメなんだ」

 は。と思い出して口を手で覆った。そうだ。怪我をしていると言っていた。

 それから壱くんは照れたような、やさしい笑顔をする。



「褒められんの、久しぶりだな」



 ――私、誤解してた。

 この人は、とてもやさしい人なのかも。

 思えば、挨拶をしたとき屈んでくれた。目線をあわせてくれた。

 いまだって、わざわざ一緒にいなくてもいいのに。そばにいてくれる。喋らない私に話しかけてくれる。


 この人なら、もしかしたら、きっと。

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