1話 ヒツジとおにぎり③
****
こわい人。
第一印象は失礼ながらそれでした。私の求めていたしあわせを、叶えてくれるかもしれない人なのに。
私より頭ひとつ分ほど背が高くて、ずっと口をへの字にしていて。見下ろされている感じがする――のは、私の背が低いせいなのだと思うけれど。
話し方もちょっとだけこわくて、威圧されてしまう。かと思えば、やさしい声で話しかけてくれる。笑うとこわさが和らぐ。髪の毛と一緒で性格もつんつんしているかと思えば、ちょっぴりお茶目で。不思議な人。
「亜子にお兄ちゃんができるかも」
お父さんがそんなお話をしてくれたのは2週間ほど前。冗談かと思っているうちに一恵さんと会って、それからすぐ今日がきてしまった。心の準備もできていないのに。
転がるように物事が進んでいって正直まだ夢のよう。
隣に座っている壱くんが幻なのではないかと、ここは夢の中の世界なのではないかと、瞬きをすれば夢から覚めて、すべてが消えてしまいそうな、不思議な感覚。
指先で器用にバスケットボールを回す姿をぼおっと見つめる。
まばたきをしてもそこにいて。
私の視線に気がつけば、ねこに似たつり目でこちらを見て不思議そうな顔をする。不思議なのはこっちなのに。
「……」
「……やる?」
まさかボールを差し出されるとは思ってもみなくて、反射的に首を横に振ってしまった。
壱くんは「んー」と唸りながら頭をかく。
そんな姿を見ながら、心の中ではずっと謝りっぱなし。どうして初対面だと会話が続かないんだろう……。目もきちんと合わせられない。緊張してしまう。言葉が喉の奥で止まってしまう。
お父さんみたいに、明るくなりたいな……。
自分を変えようと、決死の思いで紡いだ言葉。
――『明日までいてくれますか?』
今頃になって、変な声じゃなかったかな、失礼じゃなかったかな、そんな心配がふつふつと浮かんでくる。
でも、それに対する壱くんのお返事を思い出して口元が緩む。
――明日まで、いてくれる。
嬉しいのかまだ緊張しているのか、心臓がばくばくと痛い。この痛みは、少しだけ成長した痛みなのかな。……そうであってほしいな。
すぐ隣では、またバスケットボールがくるくると回っている。ずっと見ていると目が回ってしまいそう。
急に止まったボールのおかげで、そうはならなかったけれど。
壱くんは口元に人差し指をあてる。いたずらっ子がするみたいに、にっと笑うと八重歯が見えた。
大人びているように見えるけれど、こんな笑顔もするんだ。
「母さんには内緒な」
私が首を傾げている間に壱くんはふわりと立ち上がって、数メートル先に立つバスケットゴールの方へドリブルをしていた。
ボールが手に貼りついてるみたい。
思うままに操って、最後はシュート。
見事――壱くんにとっては当たり前なのかな――決まった瞬間、気がつけば拍手をしていた。
「す、すごい! ……です!」
「あ? あー、いや、フツーだよ、フツー」
なおも拍手をやめない私に向かって、壱くんは「しいっ」と唇に人差し指をあてた。「まだ本当は動いちゃダメなんだ」
は。と思い出して口を手で覆った。そうだ。怪我をしていると言っていた。
それから壱くんは照れたような、やさしい笑顔をする。
「褒められんの、久しぶりだな」
――私、誤解してた。
この人は、とてもやさしい人なのかも。
思えば、挨拶をしたとき屈んでくれた。目線をあわせてくれた。
いまだって、わざわざ一緒にいなくてもいいのに。そばにいてくれる。喋らない私に話しかけてくれる。
この人なら、もしかしたら、きっと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます