第10話鏡の向こう

 車内に流れる音楽は中森聖子。

彼女のハイトーンボイスは実に耳に心地いいものであった。

 となりに座る姫様ことハイランド王国第一王女レイラ姫は鼻歌混じりに車窓からなんの変哲もない外の景色を眺めていた。


 病院を後にした俺たちは一路F市の聖ジョージ教会に向けてバジリスクを走らせた。

 今のところは旅路はかなり順調であった。

 嵐の前の静けさといったところか。


 後ろでのんびりしてもらって良かったのだが、彼女からの申し出で隣に座ることになった。

 なぜだか分からないが、隣で景色を見ていたいとのことだった。

 レイラ姫にとってこの世界の普通の景色がたまらなく珍しいのだろう。

 俺からしたらたんなる地方都市の街並みだが、レイラ姫にとっては失われた文明世界をもしかすると感じさせるのかもしれない。


 それにしても中森聖子はいい。

 八十年代を代表するアイドルで二十歳で結婚したのを期に芸能界から完全に引退してしまった。

 潔い。

 まさに生きた伝説だ。

 俺のお気に入りのアーティストの一人だ。

 カーナビに搭載されているAIのソフィアは常に俺好みの曲をかけてくれる。

 さすが話のわかるやつだ。


「そろそろ休憩でもしたら。行程はもう半分近くすぎてるわ。これからに備えておくのもいいんじゃない」

 とソフィアが言った。

「やっぱり、ソフィアさんってあの時の……」

 ちらりとレイラ姫は俺の顔を見ながら言った。

「そうよ、今のボクはこうして剣太郎の相棒をしてるの」

 ふふっと笑いながらソフィアは言った。


 俺はハンドルを回し、とあるサービスエリアに向けてバジリスクを走らせた。

 バジリスクを降り、俺たちはカフェコーナーにたちよった。

 ソフィアの言う通り、俺たちはサービスエリアで休息をとることにした。

 俺はコーラをレイラ姫はカフェオレをオーダーした。コーラは俺の好物の一つだ。あの赤いラベルのものがやはり最強といっていいだろう。

 強い炭酸が喉を駆け抜けていくあの感覚は何物にも代えがたい。

「とても美味しいですね」

 ありきたりのカフェオレを飲みながら、レイラ姫が言った。

「友好条約が実現すれば国の人たちにもこの飲み物を飲ませてあげられるのですね」

 自身にいい聞かせるように言った。


 レイラ姫との世界との友好条約が成立すれば人間世界は彼女たちの世界に食糧や資源などを提供する予定らしい。そのかわりに人間世界は姫さんたちの世界の進んだ科学技術の恩恵を受けるそうだ。

 だが、ミリアたち過激派の妨害に会い、次元固定化装置を破壊され、あの岬まで飛ばされたということだ。


 休息を終えた俺はトイレによることにした。

 レイラ姫も化粧室にたちよった。

 用を済ませた俺は手を洗い、顔を洗った。


 鏡に写った自分の見慣れたはずの顔を見る。癖ッ毛のどこにでもあるような顔がそこにあった。


 うんっ。


 どうも様子がおかしい。


 俺の顔が不自然だ。

 いや、この場合、鏡に写った俺の顔が不自然と言った方が妥当だろう。


 パレットの上で混ぜ合わせた絵の具のようにぐにゃぐにゃに混じりあっていた。


 怪訝に思っていると鏡から驚くべきことに腕が伸びてきて俺の両肩をつかんだ。

 やばい、失敗した。こいつは完全に油断した。

 

 俺はその腕につかまれ、鏡の中に吸い込まれてしまったのだ。

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