高飛車ツンデレと静かな子『百合ぽい』
赤木入伽
高飛車ツンデレと静かな子
【第一話】
いつも物静かな田中亜衣という少女は、たいてい何かに困っています。
例えば今日は、
「……教科書、忘れた」
と、英語の教科書を忘れたようです。
しかも亜衣が右隣を見れば、そこは空席。
たびたび亜衣に教科書を見せてくれた関口さんの席ですが、関口さんは本日病欠なのです。
そしてそんな時に、
「あらあら。亜衣さんったら関口さんの席をぼんやり見つめちゃって、どうしたのかしら? まさか、また教科書を忘れてしまったのかしら?」
呆れるような口調で声をかけてきたのは、亜衣の左隣の席に座るお金持ちにしてクラスの中心的人物である三条綾子でした。
「まったく、これで何度目かしら? もう学校なんか来ないで、家庭教師に勉強を教わったらいかがかしら? もしそんな学費がお家にないなら、私が援助してあげてもよろしくてよ。慈善活動も富裕層の嗜みですしね」
明らかな嫌味でした。
実際、綾子は薄ら笑いを浮かべています。
しかし、
「なんなら、私のお家で勉強会を開いてもよろしくてよ。あなたと私で二人っきりで――じゃなくて――いや、あの――、教科書は私が見せても――」
なぜか綾子の頬はうっすら赤く染まっており、また指先や膝のあたりをモジモジこすらせ、薄ら笑いはニヤけた顔になっています。
まるで、目の前に好きな女の子がいて、緊張してしまったかのように。
ただ一方の亜衣は、綾子の話を聞いているのかいないのか、小さく首をかしげました。
その仕草は小動物のようで、そのせいか綾子の表情も一瞬だけ緩んでしまいました。
「な、なにかしら? 勉強会したくなったのかしら――じゃなくて、あ、もしかして私に教科書を見せてほしいのかしら? ま、まあ、あなたがどーしてもと言うのなら、私だって鬼ではないので見せてあげてもよろしくてよ」
綾子は立派な縦ロールの髪をばさり払うと、亜衣が何も言っていないのに自分と亜衣の机をくっつけようとしました。
その挙動は相変わらずモジモジ、さらにソワソワしていましたが。
ただ一方の亜衣は相変わらず静かな顔で、ただ一言だけ口にします。
「……平気」
と。
綾子は一瞬なんのことかと思いました。
ですが話の流れからして、教科書を見せてくれなくても平気、という意味だとすぐに分かりました。
「え? ちょ、ちょっとお待ちなさい! それじゃ、授業はどうするのよ!」
綾子は声をあげました。
先ほどまで厭味ったらしくも優雅な雰囲気でいたのが嘘のようです。
ですが亜衣はゆっくりと立ち上がり、
「隣のクラスの子に、借りてくる」
そう言うと廊下へ歩みだしてしまい、綾子は黙って亜衣を見送るしかなくなりました。
ただ、不意に亜衣が「あ」と声を出して言いました。
「隣のクラスの子、昨日から風邪で休んでいた」
亜衣は振り返って、綾子を見つめました。そして、
「教科書、見せてくれる?」
小動物みたいに小さく首をかしげました。
それに対し綾子は、
「し、仕方ないですわね!」
やたら嬉しそうな笑顔を見せました。
【第二話】
いつも物静かな田中亜衣という少女は、たいてい何かに困っています。
例えば今日は、
「……痛っ」
と、足を押さえて体育館の床に座り込みました。
体育の授業中、バトミントンをしていたら足をくじいてしまったようです。
そしてそんな時に、
「あらあら。亜衣さんったら、普段からとろい方と思っていましたが、バトミントンすらできないとは恐れ入りましたわ。しかも怪我をして周りに迷惑をかけるなんて」
大仰に呆れるような口調で、しかし亜衣が床に座り込むと同時にダッシュで寄り添いに来た三条綾子は言いました。
「これは保健室に行かないと大変ね。けれど、あなた一人で保健室に行けば足を余計に痛めてしまうでしょうから、誰かに手伝ってもらう必要がありそうね。誰かが手伝ってくれれば、ですが。――ここ、痛みます?」
綾子は亜衣の靴と靴下を脱がせると、赤く腫れた足首を優しく撫でました。
「ちょっと、痛い」
亜衣の表情は分かりづらいのもがありますが、そう表明するということは確かな痛みがあるということです。
それを綾子は分かっていたので、これはできるだけ早くに冷やす等の処置をしなければならないと思いました。
「で、では、あなたがどーしてもと言うのなら、保健室まで私が肩を貸してあげてもよろしくてよ」
綾子は高々と言うものの、手元や足はモジモジして、また自分の脇の匂いを確認しました。
しかし、
「平気」
亜衣は言い、綾子は一瞬だけ硬直したものの、
「ちょ、ちょっとお待ちなさい! それでは保健室まで一人で歩いていくとおっしゃるの!? そんなことしたら怪我が酷くなるでしょう! 変な意地など張らず、素直に私を頼りにすれば良いのですわ!」
大声でまくしたてました。
ところが、なおも亜衣はゆっくりと指差します。
「あそこ」
「――え?」
突然の指差しに綾子はなんのことかと思いましたが、振り返ってみれば、体育館の出入り口には車椅子が置かれていました。
そういえば、今までも何度か怪我人を運ぶのに使われていたのを綾子は思い出しました。
用意の良い学校です。
無論、車椅子があるならば保健室へだって一人で行けます。
もともとたいした距離じゃありませんし。
「あぁ、あれがあるなら平気ね……。それじゃ、私は……」
綾子はかすれるような小声でそう言って、立ち去ろうとしました。
しかし「え?」と亜衣が珍しく目を見開きました。
そして、
「車椅子、持ってきてくれないの?」
飼い主に捨てられ子猫みたいな目で亜衣は綾子を見つめました。
すると綾子は、
「し、仕方ないですわね!」
満面の笑みでそう言いました。
ちなみに、車椅子なら一人でも保健室に行けなくはないのですが、当然誰かに押してもらったほうが楽ですし安全ですので、勢いのまま綾子が車椅子を押していきました。
【第三話】
いつも物静かな田中亜衣という少女は、たいてい何かに困っています。
例えば今日は、
「傘、持ってきてない」
と、天気が崩れた外の景色を見て、そう呟きました。
そしてそんな時に、
「あらあら。亜衣さんったら、また忘れ物したのかしら? しかも傘なんて、生活必需品を忘れるなんて困ったものですわね。もし雨に濡れたら、風邪をひいてしまうし、シャツが濡れて亜衣さんがあられもない姿に――――そんな、そんなこと――駄目ですわ――」
呆れるような口調で、しかしすぐに何かを恐れるような口調に変化させて、三条綾子は言いました。
「し、しかも誰かの傘に入れてもらおうにも、亜衣さんの家は小牧町3-5-12――駅から逆方向ですわ。もし亜衣さんが家までついてきてと頼めば断る方はいないでしょうが、亜衣さんはそんな無理な頼みをする方でもない」
「うん……そうだね……」
綾子はブツブツと独り言をはじめ、なぜか亜衣はそれに相槌を打ちました。
「で、では――」
綾子は亜衣の相槌を聞いているのかいないのか、何かを決意し、亜衣に向き直りました。
「あなたがどーしてもと言うのなら、私のロールスロイスに乗せてあげてもよろしくてよ」
綾子は腕を組んで言いますが、まあ当然のように足のあたりのモジモジは隠せていませんでした。
そして当然のように亜衣は、
「平気」
と言って、当然のように綾子は、
「ちょ、ちょっとお待ちなさい!」
と慌てて言いました。
「傘がなかったら濡れちゃうじゃない! そしたら亜衣さんは風邪ひいちゃうし、あられもない姿が――亜衣さんの下着が――と、とにかく今日は退けませんわ!」
綾子は顔を赤くしつつも、言葉だけはモジモジしませんでした。
しかし亜衣はかたくなに首を振ります。
「ど、どうしてですの!?」
綾子が詰め寄ります。
すると亜衣は、しばらく黙り込みましたが、やがて口を開きました。
「あなたと二人っきりで、狭いところにいると、胸がドキドキしちゃうから……」
それは相変わらず小さく、また平坦な声でしたが、その顔は綾子と同じく赤く染まっていました。
そんな亜衣を見て、亜衣の言葉を聞いて、綾子もまたしばらく黙り込みましたが、やがて口を開きました。
「ドキドキすればいいじゃない!」
そう言って綾子は亜衣の腕を掴むと、ロールスロイスが待つ校門へ走り出しました。
ちなみに、ロールスロイスには当然ながら運転手がいたので、二人っきりにはならないのですが、亜衣の胸はしっかりとドキドキしていました。
もっとも、綾子の胸のドキドキは、亜衣のものとは比較にならないほどの異常な心拍でしたが。
高飛車ツンデレと静かな子『百合ぽい』 赤木入伽 @akagi-iruka
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