第190話 春の中月の十七日 - 02 -
舞踏会の夜、自分の腕の中で倒れるようにして眠ったオリアナをベッドに寝かしつけたヴィンセントは、懺悔をお供に部屋を立ち去った。
その夜から、ヴィンセントはあくせくと動き続けている。
「今日は何処行くん?」
背後からかけられた声にドキリとして、ヴィンセントの体が揺れる。点呼も終えた真夜中。二人部屋の室内から、こんな風に声をかけてくる人物は、一人しかいない。
「……ミゲル。まだ起きていたのか」
てっきり、既に就寝したとばかり思っていたミゲルが、二段ベッドのカーテンを開けてこちらを見ている。窓枠に足をかけた不格好な姿を見せたヴィンセントは、やおら足を下ろした。
「昨日、明け方に帰って来てたから。今日もどっか行くのかと思って寝たふりしてた」
罠に掛かった獲物を見ている猫のごとく、満足げな表情だ。もし彼が本当に猫だったら、しっぽがゆらりと優雅に揺れていたことだろう。
「気付いていたのか」
「そりゃ気付くだろ」
(そうだろうか?)
ヴィンセントの知るミゲルは、とことん朝に弱い。寝起きが悪く、目が覚めてしばらくは使い物にならない。毎朝ヴィンセントがどれほど苦労してミゲルを起こしていることか。
そんなミゲルだからこそ、寝てしまえば自分の不在に気付かれないと思っていた。
「んで、何処?」
ミゲルが更に尋ねてくるので、ヴィンセントは観念して「竜木だ」と答えた。
ヴィンセントは昨夜も寝ずに竜木を見張っていた。後ろ黒いことをするなら、人の目が無い夜にするのでは無いかと考えたのだ。
「俺もついてく」
ミゲルはそう言うと、ベッドからするりと降りてくる。
こんな真夜中に、竜木に行くと言うヴィンセントを問い詰めるでも、止めるでも無いルームメイトに、ヴィンセントの方が焦る。何の事情も知らず、関わりも無いミゲルを、いつもの彼の気まぐれだけで巻き込むわけにはいかなかった。
「夜だぞ」
「さすがに今が朝だなんて思って無いって」
「寒いし、明日も普通に授業がある」
「知ってる。オリアナに、ヴィンセントが浮気しないか見張っててって頼まれてるからなー」
「しないと言っているだろう」
「ははっ」
「――前緑竜公爵に聞いた話と関係していることだ。それでもついてくるのか?」
『それ、聞かなきゃ駄目? さっき言った通り、なんもしないよ、俺。ヴィンセントに事情を話されても、協力もしない。それでも俺に言う?』
以前、ミゲルに死に戻りの件を話そうとして、拒絶されたのは記憶に新しい。
だから、前緑竜公爵の名前を出せばミゲルは簡単に引き下がるとヴィンセントは踏んだ。
それなのに、
「うん」
「じゃあいいや」と言うとばかり思っていたミゲルの肯定に、ヴィンセントは面食らう。
ヴィンセントはゆっくりと口を開く。
「どういう心境の変化だ」と、問いただそうと思っていたのに、実際にヴィンセントが言ったのは真逆の言葉だった。
「そうか」
「寒いだろ。下からお湯貰ってくる。湯たんぽ持って行かん?」
「そうだな」と掠れた声が口から漏れた。
自分の口から漏れたその声は、嫌になるくらい、嬉しそうだった。
***
誰かが近付いてきたらわかるように、鈴を付けたロープを、竜木の周りの木々にぐるりと結びつける。
ロープには、目眩ましになる{鏡}という魔法陣を描いた魔法紙も貼り付けた。もちろん授業以外で魔法を使うことは校則違反な上、夜間に寮を抜け出し、学校で習わない複雑な魔法陣を使っていることが教師陣にばれれば、処罰は免れない。
そんなことわかっているだろうに、ミゲルは木々にロープを結ぶヴィンセントを手伝った。ヴィンセントはもうミゲルに尋ねることはせず、誰かに見つからない内に、そそくさとロープを張った。
ロープを張り終えたヴィンセントは、適当な木の根に腰掛ける。
「そこで一晩明かす気? ここには野生動物だけじゃなくて、魔法生物も来るんですけど。ユニコーンが来たら、一瞬であの世じゃん。ここまで来てそんな死に方、勘弁してよ」
よく昨日無事だったな、と呆れた声でミゲルが言う。魔法生物は滅多に姿を現さないが、竜木を好むために万に一つの可能性があるかも知れない。用心するに越したことは無いだろう。
「僕だって別に死にたいわけじゃ無い」
「そりゃそうでしょうよ。――この木、丁度いいじゃん」
よっ、とかけ声をあげながら、ミゲルはするすると木を上った。ミゲルが選んだ木は枝分かれ部分が広く、座りやすそうな形状をしていた。
「ほら、手」
「君がここで見張るなら、僕はあちらに行くべきだろう」
「何してるのか知んないけど、寝てちゃ、何かがロープに引っかかっても気付かないんじゃね? 人と話してた方が寝なくてすむって」
ミゲルの言い分は当を得ていた。
二徹目を迎えようとしているヴィンセントは、渋々ミゲルの手を取る。
「懐かしいな。君はこうして、いつも僕をあちらこちらと連れ回した」
「図書室に籠もりすぎて、カビ生えそうだったからな。ヴィンセントは」
ミゲルがヴィンセントの体を引き上げた。ヴィンセントは足を幹にかけ、一気に木に登る。木登りをしたのはもうずっと前のことだ。その時も、ミゲルが傍にいた。
ラーゲン魔法学校入学前、ハインツ先生という相談相手もいなかったヴィンセントは、暇を見つけては図書室で本を読んでいた。本棚の前で本に埋もれるヴィンセントを訪ねては、ミゲルは外に連れ出した。
にまーと笑った彼に誘われると、ヴィンセントは何故か反論する気が起きず、共に外にでかけていた。
ヴィンセントが、木の上にいるミゲルの隣に座る。二人とも平均よりも身長が高いため、どれほど体を縮めても、この狭い空間では互いの体が密着する。
「……狭いな」
「木の上だし」
「もっとあっちに寄ってくれ」
「これで目一杯だって」
持ってきていた毛布に二人で包まる。四月といえど、夜はまだ寒い。森の中は余計にひんやりとしていた。
恋人のような距離感に最初は辟易していたが、互いの温度で冷えた体がぬくもり出す頃には文句も浮かばなくなっていた。
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