第191話 春の中月の十七日 - 03 -
枝の隙間から、竜木を見つめる。つんと冷たい森の夜の空気に混ざって、ミゲルが舐めている甘い飴の匂いがする。
木々の隙間から月明かりが漏れる森に、鳥や虫の鳴き声や、葉擦れの音が響く様は、何故かより一層の静けさを感じさせた。焦ってばかりいた昨夜では、感じることの出来無かった心地だ。
「眠いなら寝ててもいいよ。鈴の音が聞こえたら起こしてやるから」
体が温まり、眠くなり始めたヴィンセントに気付いたのか、ミゲルが言う。ヴィンセントはミゲルを軽く睨んだ。
「さっきは寝るなと言っていただろう」
「それでも眠くなったんなら仕方なくね?」
「そうは言っても……」
「一人じゃないんだし、頼ったらいいじゃん」
何てことの無いように言うミゲルに、ヴィンセントは思い切って尋ねた。
「……何故、ついてきたんだ?」
「ん?」
「何もしない――と、前は言っていただろう」
(またはぐらかされるだろうか)
そう思ったヴィンセントの心配を余所に、ミゲルは「んー」と言うと、飴を揺らした。
「……これまで。なーんにも、したくなかったんだ」
ミゲルはこちらを見ずに、前を向いたまま言った。
「けど、オリアナとヴィンセント見てると、やりたいことをやりたいままにやってみても、いいんじゃないかなって思った」
「……待て。まさか今までは、やりたいことをやりたいままにやっていなかったとでも?」
ヴィンセントは唖然として尋ねた。貴族として生まれ持った義務はともかく、その他はやりたいことしかやっていないようにしか見えなかったからだ。
「やりたいことの中に、これまでやりたくなかった事も入れたんだよ」
難解なパズルでも解いているような気分だ。
「常々思うんだが、僕と君はあまり相性がいいとは思えないな」
とりあえず、会話の相性は最悪だ。ヴィンセントはため息をついた。
「ふーん。なのに、こんなずっと一緒にいるんだ」
「不思議で仕方が無い」
ヴィンセントはしみじみと言った。
「そんな君でも、したくないことをさせてしまっていたのかと思ったら、手を貸したくなるんだからな」
苦い顔をして言うヴィンセントに、ミゲルは目を見開いて言った。
「……え? 俺今、口説かれてる?」
「真剣に言っているのにそうやって混ぜっ返すから、相性がよくないと言っているんだ」
鼻の上にぎゅっと皺を寄せて怒るヴィンセントの肩を、ミゲルが抱き寄せる。
「怒んなよ~。嬉しかったんじゃん~」
ミゲルに体を揺すられる。手を払いのける気にまではならなくて、ヴィンセントは顔をしかめたまま「知るものか」と言う。
ひとしきりヴィンセントを揺らして満足したらしいミゲルは、ヴィンセントの頭に顎を載せる。
「いいなーオリアナは。ヴィンセントと家族になれて」
「……家族に不満を持っていたのか?」
幼い頃から交流のあるフェルベイラ家から不仲を感じたことは無いが、誰しも人に言えない秘密はあるものだ。タンザイン家も、シャロンという秘密を抱えている。
家族のことで人知れず悩んでいたのかと心配になってミゲルに尋ねると、頭の上でミゲルの頭が揺れる。
「いんや? 極めて良好だけど」
返答と、頭の上で顎がぐりぐりされる感触に腹が立って、ヴィンセントはついにミゲルを押しのけた。
「オリアナと結婚するヴィンセントもずるいよなー」
「それは聞き捨てならない」
慌てるヴィンセントの横で、ミゲルは「あ」と声を漏らしたかと思えば、いつもの顔でにまーと笑う。
「決めた。俺、オリアナとヴィンセントの娘と結婚する」
「……は?」
突拍子も無い発想に、ヴィンセントはぽかんとしてミゲルを見た。
「そしたら家族になれるじゃん。やり~。そんで、もし女の子が沢山生まれたら、『私がミゲルと結婚するんだから!』って、両手引っ張られて取り合いされたい」
「ふざけるな。僕が子どもに、結婚相手を無理強いすることは無い」
家のことを考えれば貴族と結婚をする必要があるというのに、ヴィンセントは何年もかけてオリアナと結婚するためにあくせく動いている。こんな自分が、自分の子どもに結婚相手を強制できるはずが無い。
「すごい……こんなに突っ込みどころ満載なのに……つっこんでもくれない……」
ミゲルは、よよよと泣き真似をした。もの凄く馬鹿にされている気がして腹が立ち、ヴィンセントは体をドンとぶつけた。木の上で体を押されたミゲルは、慌てて隣にある太い枝に捕まり、ヴィンセントを見る。
「流石にびびったわ?!」
「うるさい」
この幼馴染み相手には、いつもこんな態度になってしまう。自分がミゲルの優しさに甘えているだけだとも自覚しているヴィンセントは、むすっとした顔で尋ねた。
「なーんにもしたくなかったのは、過去形か?」
「ったく……うん? あー。やりたいことならさっき出来たよ。ヴィンセントとオリアナの娘と結婚する」
枝から体を離しつつ、ミゲルが言う。
「それは自力で口説いてくれ。僕はタッチしない」
「口説けたらいいの? 年の差ありまくるし、俺だけど」
「全て当人同士の問題だろう。言っておくが、僕の娘の理想が低いと思うなよ」
「わかったわかった」
ミゲルが何度も頷き、笑いながら言う。ヴィンセントは眉根に皺を寄せたまま口を開く。
「君は、したいことが何も無かったと言ったが――」
ミゲルの方は見ることが出来ず、前を見たまま一気に言った。
「幼少の頃も、ラーゲンに入ってからも――君といる時間が、僕は中々好きだった」
ミゲルが「何もしたくなかった」と言った時、ヴィンセントはほんの少しだけ淋しかった。
(僕がミゲルに……きっと救われていた瞬間も。彼にとっては「したくないこと」だったのだろうか)
咥えた飴と同じように、本性を隠して、本音を飲み込んでばかりいる友人が、わかりにくいったらありゃしない。
「……恥ずかしいこと言えるようになっちゃって。オリアナで免疫つけてきたな?」
「だから、君はっ――」
「あはっはははは!」
ミゲルが大きな体を揺らして笑う。
「ヴィンセント」
「なんだ」
本当に木から落ちるのでは無いかとハラハラ見ていたヴィンセントに、ミゲルはにんまりと笑った。
「もちろん俺も、ヴィンセントといる時間が大好きだよ」
「ふん」
ヴィンセントが勇気を出して言ったのに、同じ言葉を、混ぜっ返す時と同じ口調と声色でミゲルが言う。
(だから、相性がよくないんだ)
ヴィンセントはふて腐れ、竜木を見た。その口元が僅かに上がっていたのは、認めたく無かった。
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