第189話 春の中月の十七日 - 01 -


 舞踏会が終わると、火の消えた暖炉のように、誰もがやる気を失っていた。


 残念ながらオリアナ自身は舞踏会には出席できなかったが、ヴィンセントのおかげで最高の夜を過ごした。翌日目が覚めて、ヴィンセントを招き入れる手伝いをしてくれたヤナに、山ほどの感謝を送った。


 そして、舞踏会が開けた翌々日の実ノ日にちようび


「明日は、絶対に東棟には近付かないで欲しい」


 食堂でシオラーメンを啜っているオリアナの元に、ヴィンセントが神妙な顔で言いに来た。ヴィンセントの隣で、ミゲルがスティックキャンディの棒を揺らしている。


ひひいいよ」

 ちゅるんと麺を吸い上げたオリアナが了承すると、ヴィンセントはあからさまに安堵した様子を見せた。


「何。明日が約束の日だから、滑り込みセーフの浮気でもするの?」

 流石にあの場所で浮気はやだなと笑うと、ヴィンセントは眉根を寄せた。


「しない」


 明日は、春の中月しがつの十七日――ヴィンセントが、オリアナに事情を話すと言ってくれた日だ。


 気にしていないようにしていたが、気になるのは仕方が無い。オリアナはここ最近、ヴィンセントのことしか考えていないからだ。必然的に、十七日が気になって気になって仕方が無くなる。


「じゃあ明日は、俺がずっと見張っててあげる。そしたらオリアナも安心するでしょ」

「ミゲルが? ありがとう。でもミゲルとも浮気しないでね」

 オリアナが言うと、ミゲルは両手をぽんと叩いた。


「その手があったか」

「しないと言っている」


 ヴィンセントの額に青筋が浮かんでいる。オリアナは話題を変えた。


「明日っていつ会えるの?」

 オリアナの質問に、何の話かすぐにわかったのだろう。ヴィンセントはすぐに申し訳なさそうな顔を浮かべた。


「夜までには、必ず会いに行く。それまではすまない。時間が取れないと思う」

「わかった」


 返事をしたオリアナに頷き返すと、オリアナと同じテーブルに座っていたヤナに顔を向ける。


「マハティーンさん。オリアナはまだ病み上がりだし、明日は出来るだけ、傍にいてやってほしい」

「えっ?! いやいや、知恵熱だよ? もう熱も冷めたし、全然大丈夫なんだけど……」


 唐突な過保護さに戸惑うオリアナの前で、シオラーメンをこの国で一番お上品に食べていたヤナがフォークを持っていた手を止める。


「わかったわ」

「ありがとう。ザレナも、すまないが気をつけてやってほしい」

「かまわない」


 空のミソラーメンの器の前に座っていたアズラクが、ヴィンセントに頷いた。


「ありがとう。何か異変があればすぐに、部屋まで連れて帰ってくれ――では、食事中にすまなかった」


 そう言って、ヴィンセントは踵を返した。オリアナは慌ててフォークを置くと、ヴィンセントを追いかけた。食堂の椅子と人の合間を、すり抜けるようにして歩く。


「ヴィンセント!」

「どうした?」


 オリアナのラーメンがまだ残っていたことを知っているヴィンセントは、驚いた顔をして、追いかけてきた振り返った。


「大丈夫?」


 ヴィンセントのローブを掴んで、オリアナは首を傾げた。ヴィンセントが訝しげに眉を顰める。


「何がだ?」

「なんか、危うい」


 どう表現していいかわからなくて、オリアナは思ったままに言った。今日のヴィンセントは、冷静を装っているが、これまで見たことが無いほど表情が硬かった。それにずっと眠っていないかのように顔色が悪く、どこか焦りのようなものも感じる。


 ヴィンセントは虚を突かれたような顔をした後、微笑んだ。今日初めて見る笑顔だった。


「大丈夫だ」

「私に出来ること無い?」


 食い下がると、ヴィンセントは柔らかい笑みを浮かべたまま、オリアナの頬を指の背で撫でる。


「……笑っていて欲しい」

「え?」


 オリアナが首を傾げると、つい口から零れてしまったとでも言うように、ヴィンセントは苦笑を浮かべる。


「本当は、君の顔を見に来た」


「顔?」


「君の顔を見ると、元気が出る」


(あ……。前にも言われたことある……)


『――すまない。一瞬、いや……何でもない。顔を見たら元気が出た。ありがとう』


 あの時ヴィンセントは、途方に暮れた顔をして座り込み、夕日を眺めていた。少し淋しげな顔をしていたヴィンセントは、多分話を逸らすためにそう言った。


(でも今のは、多分本当だ)


「こんな顔でよければ、いつでも見に来て」

「……前にも言われたことがある気がする」

「多分、前にも言った」


 笑い合うと、ヴィンセントの険しかった雰囲気が随分と和んだ。オリアナの頬を撫でていたヴィンセントの指をとんとん、とオリアナは叩いた。


「元気がなくなる前に、補充に来てね。待ってるから」


「――ああ」


 にこっと笑って言うオリアナを、ヴィンセントは眩しそうに目を細めてみると、目にも留まらぬ速さで顔を近づけてきた。


 食堂のど真ん中でキスをされたオリアナは顔を真っ赤にして、去って行くヴィンセントのローブを見つめつつ、「ヴィンセントが進化した……」と呟いた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る