第188話 番外編 / だから、好きでは無い - 06 -
「フェルベイラさんの、舞踏会のパートナーが決まったんですって」
「え?! 誰? 誰なの?」
「私知ってる。ベルツさんでしょ?」
ぴくり、と耳が動いた。
中庭のベンチに座っている女生徒達が、楽しそうに会話に花を咲かせている。
通り過ぎようとしていたハインツだったが、気付けば足を止めていた。
「へえー意外ね」
「正直、耳を疑ったわ。平民で、しかもクラスも第二でしょ? 言動も開けっぴろげで品が無いし……パートナーに選んだフェルベイラさんの品位を疑うわ」
「んー、そうかな? 私。二人が立っているところを見たことあるけど、お似合いだったよ」
聞き耳を立てていたハインツは、鼻高々に頷いた。
(そりゃそうだ。なんたって、コニーだからな)
コンスタンツェは、美人だ。
整った顔立ち、小さな頭、すらりと伸びた手足、綺麗な声、姿勢のいい立ち方、前を見据える強い瞳、つんと高い鼻。ヴィンセント・タンザインに引けをとらない美青年のミゲルと「お似合い」と称される女生徒は少ないだろう。
(しかしフェルベイラとは、いい男捕まえたな)
見た目のみならず、身分や成績面を考えても、トップクラスの男子だった。それこそ日頃、コンスタンツェが腐りそうなほど頻繁に言っている”素敵な彼氏”の条件を丸っとクリアしているだろう。
「難攻不落だったフェルベイラさんが、付き合い出したのも納得って感じ」
(は?)
「えっ?! あのフェルベイラさんが?! 嘘っ……うわぁ、めっちゃショックかも……ワンチャンあるなら私も告っとけば良かった……」
「嘘おっしゃい! 私は、ベルツさんが告白したけど、断られたって聞いたわ!」
「ええ?? どっち?」
「さぁ? 私も聞いた話だからー」
女生徒達は曖昧な返事でこの話を終えると、ベンチを立ち上がって場所を移動し始めた。
(おい、どっちなんだよ)
ハインツは焦った。苦いものがこみ上げてくる。どちらなのか、気になって仕方が無い。
(父親がわりなんだろ? なら聞きにいけばいい。フェルベイラと付き合い始めたということは、いよいよ俺を吹っ切ったってことだ)
それは、ハインツが深く望んでたことだ。早くコンスタンツェと昔のように笑い合いたかった。彼女を慈しみたかった。
(なのに、何を怖がってんだよ)
もし本当にフェルベイラと付き合い始めたと、彼が好きだと言われた時に――おめでとうと笑って言えるか、ハインツにはわからなかった。
そして、そんなことを考える時点で、結果は見えていた。
***
(クソださい)
舞踏会当日。鏡の中の自分を見て、ハインツはげんなりとする。
鏡の中の自分は、丁寧にアイロンのかけられたシャツに袖を通し、髪は整髪剤でまとめられ、女生徒除けに伸ばしていた髭は綺麗さっぱりと剃られている。連日の無精で出来たくまやしみは、ジスレーヌ先生のために作らされている魔法成分たっぷりの美容液のおかげで消されていた。
日頃のハインツの姿しか知らない者が見れば、仰天ものの変貌だ。
ここまでせずとも、最低限の清潔感を取り入れれば、きっとホールに出ることは出来ただろう。それでも最大限に身なりを整えたのは、同じ年の男子に囲まれるコンスタンツェを意識したに他ならない。
(少しでも若く見られようとして。こんな格好で、子供らの場に乗り込んで……何をするつもりなんだよ、俺は)
こんな行動をとった自分の青臭さを自覚する度に、今すぐ魔法薬を煽って死にたくなる。
だが、ハインツは開き直るしか無い。剃った髭は、戻らない。そして、落ちた心も。
(世界中の、ありとあらゆるもんが愚かになるもんをしてんだから、しかたねーだろ)
会場に入る前に、ひとしきり他の教員にもみくちゃにされた。年上ばかりの教員の中で、ハインツは体のいいおもちゃだ。
「新任当初を思い出すわねえ」
とにやにや笑う輝かんばかりに美しいジスレーヌは、ハインツより二十近く年上だ。これは、生徒らには永遠の秘密である。
「ジスレーヌ先生よりかは足腰しゃんとしてるんで、中で動き回ってきますよ」
「さっさとお行き」
額に青筋を浮かべたジスレーヌに、扇子でぴしゃんと叩かれる。
ホールスタッフとして会場の中に入ると、生徒達はきょとんとした顔をこちらに向ける。
「誰……?」
「あの人誰……?」
「――あんな人いた?」
「いや、知らない……誰だ?」
驚愕を浮かべた後、ハインツだと気付いた生徒達が黄色い悲鳴を上げる。給仕する度に人垣が出来、ダンスを踊ってとせがまれれば、「今日だけだぞと」愛想よく受け答えた。
給仕やダンスを踊りながらも、目はずっと一人だけを探していた。
――コンスタンツェ。
ものすごく、綺麗だった。ミゲルの隣に立ち、凛と佇んでいる。コンスタンツェの持つ完璧なプロポーションが遺憾なく発揮されるドレスを着て、誰よりも美しく、真っ直ぐに立っている。
そんなコンスタンツェが、ハインツに気付いていないはずが無い。なのに、彼女は一度もハインツのもとに来なかった。これほど話題になっているハインツに視線さえ向けないのは、明らかに不自然だ。
コンスタンツェが本気で怒っている。
情けないことに、何故コンスタンツェが怒っているのか、全くわからなかった。
(コンスタンツェは節度を守っていたのに、俺が我慢できなかったからか?)
けれど、まだ彼女に対しては何のアクションも起こしていない。それほど怒られるようなことだとも思えなかった。
(既に、フェルベイラを選んだ後だったからか? なのに俺が――気持ち一つ言わせてやらなかったくせに、未練がましく追いすがったから?)
けれど、どうしても今日のコンスタンツェを見たかった。
そして、一度でいいからコンスタンツェと同じ場に、立ってみたかった。
***
気分は最高とも言えたし、最悪とも言えた。
正装に身を包んだコンスタンツェは眩いばかりだった。誰もが彼女に見惚れていた。
そんな美しいコンスタンツェの横には、ずっとミゲルがいた。
様になっていた。恐ろしくお似合いだった。なんといっても、ミゲルは十六回も留年せずとも、コンスタンツェの隣にいられる。
それを、まざまざと見せつけられただけだった。
ご丁寧にわざわざ見に行って、格好悪い姿を晒しただけ。
ハインツはため息をついた。時間的に舞踏会の盛り上がりは衰え、生徒も随分はけていた。窮屈なベストを脱ぎ、靴を履き替え、あとは裏方に回ろうと、ハインツは温室に向かった。
(恋はタイミングだ)
相手が自分を好きな時に、好きにならなければ両思いじゃない。
自分が相手を好きになって許される時まで、好きでいてもらわなければならない。
(こんな御大層なもの、この年でやる羽目になるとは)
年甲斐も無くはしゃぐ愚かしさと、もう二度と手に入らない青春を手に入れられた自分に、泣き笑いのようなものを浮かべた。
(どうか、いっぺんの曇りなく、幸せな道を歩んでほしい)
彼女が小さな頃から、いつも思っていた気持ちに偽りは無い。その気持ちに、ほんの少し、邪な想いが混ざっただけ。
(フェルベイラを選んだのなら、それでいい)
気持ちの振り切り方くらい、この年になれば嫌と言うほど知っていた。今はくすぶっていても、きっといつかは彼女の幸せを心から祝福できるだろう。
(だから、好きでは無い)
彼女の幸せを願うなら、そう言い聞かせるぐらい、何てこと無かった。
そして、温室のドアが開けられる。
「――大馬鹿野郎はこちらですの?!」
- だから、好きでは無い - おわり
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