第187話 番外編 / だから、好きでは無い - 05 -


 魔法薬学の授業では、畑を生徒が耕す授業もある。


 もちろん、この年頃の子どもを集めて、黙々と畑を耕すわけもない。

 あちこちから悲鳴や笑い声が、魔法薬学施設に響く。走り回ってどろんこまみれになる授業は、遊んでいるようにしか思われず、職員室での評判も悪い。ハインツはいつも、ウィルントン先生に眉をつり上げられて怒られていた。

 生徒だった頃にガミガミと怒られていたことを思い出し、ウィルントン先生の前ではいつも身が竦んでしまう。


 泥を丸めた玉を、男子が女子の尻に投げつける。気付いた女子が、男子の作った三倍の玉を作り、投げ返す。


 そんな様子を、ハインツは注意するでも無く、ただ見つめていた。

 泥の代わりにミミズや蛇を投げようとした男子に、第二クラスの女子が集団になって非難していた。午前中に受け持っていた特待クラスでは、まずありえない光景だ。


 女子らに監視されつつミミズを土に埋め直す男子を見ながら、こんな目には一生会わないだろう、特待クラスで一際目をかけている存在を思い出す。


『最近腰が痛くてな、畑耕すの苦になってたんだよ。交換条件だ。その代わり、竜木のことを調べてやる』


 二度目の人生を送るヴィンセント・タンザインが一年生の頃に、わざわざ忘れ物をする振りなんてしなくとも、自分に会いに来られる口実を与えてやった。


 竜木の事情を知るハインツになら、弱音が吐けるだろうと思ってのことだった。話したくない時でも、不安になった時は、魔法陣の研究を建前に傍に来ればいい。


 ヴィンセントに魔法道具開発を申し付けた時は本気でそう思っていた。実験自体は、進もうが進むまいがどちらでもよかったのに、ヴィンセントは本当に魔法道具を実現させそうだった。それはそれで、大変嬉しい誤算である。ハインツの心はウキウキと躍った。


 こうして生徒達に耕させることもあるが、基本的に畑を管理しているのはハインツだ。楽になるための道具は、喉から手が出るほど欲しい。


「そろそろ真面目にやれよー」

「はーい」

「ごめんなさーい」


 多少騒いで満足したのか、子ども達は各々分担された作業に戻る。彼らはもう五年生。そろそろラーゲン魔法学校というゆりかごを卒業し、社会に出る。自分達で、時間配分の感覚も身につけ始めなければならない頃だ。


 自分にとってのそんな時期は、ついこの間だったようにも、遠い昔のことのようにも思える。


 教師になってから、生徒達が笑い合っている姿が遠い。同年代の友人と、あんな風に最後に笑い合ったのはいつだろうか。ラーゲン魔法学校の教職についてからは、友人との酒の席も気軽に設けられない。


「もー怒られちゃいましたわ。未来の素敵な恋人が、私の評価を下げてしまったらどうしてくれるんですの」

「はいはい。未来の素敵な恋人が見てくれてたらいいな」

「まーっ! ルシアンったら! おなおりなさいな!」

「コンスタンツェ! ルシアン! 手ぇ、動かしな!」

「はーい」


 ハイデマリーに怒られ、ルシアンとコンスタンツェは二人で素直に返事をする。そして、大人しく鍬を動かし始めた。


(俺が同い年なら、あんなこと言わせないで済むのに)


 どうしたって、ハインツは同じ年にはなれない。


 コンスタンツェが「素敵な恋人」にこだわる理由を、ハインツは察している。


 一丁前に、子どもが配慮しているのだ。大人ハインツに迷惑をかけないように。


 ちゃんちゃらおかしくて、コンスタンツェが男を欲しがる素振りを見せる度に、肩を掴んで「馬鹿な真似はやめろ」と揺さぶりたくなる。


(気持ちさえ言わせてやれずに)


 ハインツが同じ年であれば、他の男を無理やり好きになろうとする必要も無い。コンスタンツェがハインツに向ける思いを――自分にならともかく――外野に隠す必要も無いのに。


 白衣姿の自分と、実習着姿のコンスタンツェ。

 歩けば、数歩の距離にいる。


「ベルツ、そこは隣の班の畑だ」

「きゃー! ごめんなさいですの! 間違えましたわ!」


 けれど何より遠い。


(どうすれば、もっと近づけるんだろうな)


 輝く金髪を靡かせて、鍬を振るうコンスタンツェを見てよぎった思いを、ハインツは大慌てで否定した。


(違う)


 違う、と。白衣のポケットの中で、拳を握りしめた。




***




「ヘイン、お膝に乗せて」


 魔法薬学準備室の椅子に座っていたハインツの膝に、コンスタンツェが昔のように膝ににじり寄って来た。どこもかしこも魅力的に成長したコンスタンツェが、甘えた顔をして、もう呼ばない名前を呼ぶ。

 幼い頃のように、絵本を自分に読み聞かせるために来たわけでは無いことは、怪しく光る瞳でわかった。


「くっついてもいいかしら?」


 昔から可愛かった顔は、今は危なっかしい色気を伴っている。目尻を赤く染め、ローブからはみ出る柔らかそうな胸を押しつけながら、コンスタンツェがハインツの目を覗き込む。


「俺は生徒とはしない」

「私が生徒に見えて?」


 なんとも都合良く、周りの景色が変わった。


 コンスタンツェはラーゲン魔法学校の生徒の証でもある真っ黒なローブを脱ぎ去り、ネグリジェを身につけている。場所は魔法薬学の準備室から、自宅の自室に変わっていた。


(なんだ)


「なら、いいか――」


 ハインツはコンスタンツェの肩を押し返した。折良く現れたベッドに二人の体が沈む。首に鼻先を寄せると、甘い呻き声と共に、白く長いコンスタンツェの首が反らされる。髪の生え際に口付けた。


 そして、渇望していたように、粟だったコンスタンツェの肌を味わった。





 目が覚めて、頭を抱える。


 いくら夢の中とは言え、コンスタンツェを押し倒した事実は変わらない。


(ありえるか? 十六下だぞ?)


 ハインツの常識ではあり得なかった。

 周りに冗談以外でそんなことをいう大人がいれば、軽蔑する対象にさえなっただろう。子ども達の持つ、未知の未来を、そして輝かしい未熟さを、ハインツは間近で見守っている立場だからだ。


(ありえない)


 これまでどんな生徒が夢に出て来ても、性欲の対象になることはあり得なかった。また夢の中とはいえ生徒を、更に未成年の子どもを、自分の欲の支配下に置くようなことはしないだけの、自制心も持ち合わせていた。


 それなのに、一番やってはいけない相手に手を出した意味を、ハインツはわかりたくなかった。




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