第186話 番外編 / だから、好きでは無い - 04 -


「ルーシアーン! ボール、そっちに行きましたですわー!」


 幼い生徒の声が聞こえ、二階の廊下を歩いていたハインツはふと足を止める。階下の庭では、二年生になったばかりのコンスタンツェが、クラスメイトとマホキューをしていた。


 外で話す時の、コンスタンツェの声は少し高い。

 自分の前では意図して低く話している彼女の意図がわからないほど、野暮では無い。


 窓枠に寄りかかり、彼女の笑顔を盗み見た。自分が見ていることに気付いたら、あの自然な笑顔が、ハインツに見せつけるための大げさな笑顔に塗り替えられてしまうだろうか。


(そんなことしなくても、お前の気持ちを暴いたりしない)


 生まれた時から見守っている隣家のコンスタンツェは、目に入れても痛くない、可愛い存在だった。

 年が十六も離れていれば、腹が立つことなどほとんど無い。年下の兄弟がいないハインツにとって、小さな体で必死に自分を追いかけ、しがみついてくるコンスタンツェは、天使も同然だ。


 全てから守り、慈しみ、教え、諭し、導いてきた。


 いつまでもそうしてやってもいいと思っていた。コンスタンツェが結婚するときは流石に旦那に役目と共に彼女を引き渡すが、結婚せずに一生独身でいるのなら、傍でそうして手を引いていてもいいとさえ思っていた。


 そんなコンスタンツェが、ラーゲン魔法学校入学後しばらくして、突然ハインツから離れた。


 少なくとも、ハインツにとっては突然だった。生徒と教師になったとは言え、それまでは節度を保ちながらも目には親しげな光があった。二人にしか通じない内緒話に喉を鳴らしてひっそりと笑う姿が見たくて、いつも秘密の暗号のように持ち出せば、ハインツの目論見通りに笑う姿が拝めた。


 そんなコンスタンツェが、ハインツの手を振りほどいた。


(コニーが離れた理由は多分、間違えちゃいない)


 二人の立つ場所が変わり、二人の関係が変わり、他人の評価を受け、見る目が変わる。そんなことは、往々にしてよくあることだ。


 よくあることで、すぐに終わることでもある。


(お前のそれも、一過性のものだよ)


 煙草を吸おうとして白衣のポケットに手を入れるが、切らしていることを思い出した。頭を掻き、窓辺から離れる。

 窓の外では、大きな声をあげてコンスタンツェが走り回っていた。もうずっと、ハインツはあんな笑顔を見ていない。


 せっかく一年中一緒にいられると思ったのに、今は誰よりも遠い。


(そんなもん、早く捨てちまってくれ)


 そんな馬鹿みたいなものを勝手に抱いたコンスタンツェに、憤りを覚えた。


 可愛くて愛しくて、早く甘やかしたかった。


(俺の可愛いコニーを、返してほしい)




***




 ハインツは頭を抱えていた。


 年を重ねるごとに、早熟なコンスタンツェの体型が、あまりにも見事に育っていくからだ。


(まじかよ)


 子どもとばかり思っていたコンスタンツェの外観的な変化に、ハインツは見事に戸惑っていた。


 しかし、余裕ぶって「戸惑っている」なんて言葉を使うのはハインツぐらいなもので、コンスタンツェと同年代の男子は隠しもせずに、好色な目を彼女に向ける。


「まじで一回でいいからお相手願いたいわ」

「でもあの性格だからなー」

「とかなんとか言って、お前単に怖いだけだろ」

「満足させなきゃ、玉潰されそうだもんな」

「いやでもまじで、あのハイテンションで喘がれたら萎えるだろ」


(殺すぞ)


 兄代わりとして、そうしても許されるとハインツは思った。


 男子が下世話な話をしているところに遭遇すれば、絶対に一度はコンスタンツェの名が上った。

 それまでは猥談を説教することなど無かったのに、コンスタンツェがそんな目で見られ始めてからのハインツは、男子らを諫める立場にまわった。


(ふざけんな。絶対に触らせるか)


 兄代わりだから、これほどまでに苛つく。

 想像することさえ腹が立った。世の中の兄はこんな気分なのだろう。よく相手の男を殺さないで済んでいるものだと、全世界の兄達を尊敬した。


(あれは俺のだぞ)


 自分の考えにハッとした。


 それは、あまりにも自分の認識と錯誤した感情だった。


(コニー。そんな夏風邪みたいなもん、早く終わらせろ)


 胸が疼いて喉が渇く。

 焦れたように、コンスタンツェに祈った。


(――このままだと、本当に俺のものだと思い込んでしまう)



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