第174話 紅茶と恋と花束と - 05 -
ヴィンセントとオリアナを悩ませたダンスレッスンは、ヴィンセントが予測したとおり、彼がパートナー候補から降りた瞬間に滞りなく進むようになった。
既にペアになってしまったヴィンセントとオリアナに、これ以上かかずらう余裕が無いのだろう。あぶれた者同士、目を血眼にしてパートナー探しを再開している。
そんな舞踏会一色な中、一人だけ纏う空気の違う男がいた。
――ヴィンセント・タンザインその人である。
オリアナはがらんとした自習室で、隣に座るヴィンセントを見た。
定期試験前はいつもごった返している自習室だが、舞踏会前ということもあり、利用する生徒は少ない。特に、舞踏会を控えた五年生など一人もいない。
舞踏会前にペアを探している者、運良くペアが決まり浮き足立っている者、ドレスや体型の準備に勤しむ者――忙しい理由は様々だが、皆自習室から足を遠のけるにたる理由だと、自負していた。
というのに、ヴィンセントは真剣に勉強している。それどころか、これまでの比では無いほどの必死さだ。
オリアナが尋ねれば嫌な顔一つせず教えてくれるが、尋ねるのを憚られるほど研ぎ澄まされた気配を発している。こんなヴィンセントは、初めて見た。
「ヴィンセントって、なんでこんな必死に勉強してるの……?」
こっそりと、斜め向かいに座るミゲルに、オリアナが尋ねる。
「さー? 俺も知らないんだよね。なんか一年の頃から、一位を取ることに躍起にはなってけど」
「そっかー」
それなら、今までと条件は同じ気がするが、以前よりもずっと気迫がこもっている。
オリアナが、隣の席で真剣にペンを動かすヴィンセントを見る。
少し眉間に寄った皺。冴え冴えとした紫色の瞳。長い睫毛。引き結ばれた薄い唇。僅かに上下する喉仏。首筋に浮き出た血管。ペンを握る骨張った指。
本来の目的も忘れ、ついぽーっと見つめていると、いつの間にかヴィンセントがこちらを向いていた。オリアナはハッとして、視線をさ迷わせる。
「どうした」
苦笑を浮かべ尋ねるヴィンセントは、その答えを知っているように見える。
「……ごめん。なんか、なんか、隠さなくていいってわかったら、耐えれなくって」
”お友達”の時には、ヴィンセントをこんなにまじまじと見つめることは出来無かった。それが今や、こんな至近距離で見詰め放題である。なんと言っても、オリアナはヴィンセントの彼女なのだ。
「耐える必要なんてない」
「……」
やはりオリアナの答えを知っていたのか、ヴィンセントは涼しい顔で言う。対してオリアナは、照れてしまって何も言えない。
「嬉しいよ」
「……そっか……!!」
これ以上何かを言われる前に、この話題をここで区切ってもらうためにも、オリアナは懸命に返事をした。
追い打ちをかけられ、あまりに恥ずかしすぎて、机に突っ伏す。
「俺、もう帰る……」
のろけに当てられたミゲルが、げっそりとして言う。
ガタンッと音を立てて椅子から立ち上がると、ミゲルはそそくさと席を離れる準備を始めた。
「わー! 待って、ミゲル、待って、二人にしないでぇ」
小声で慌てて引き留めるが、ミゲルは聞く耳を持たずに自習室を出て行ってしまった。
唯一の味方を失った気分で、去って行ったミゲルの後ろ姿を見つめていたオリアナは、ヴィンセントにペン先で促され、教科書に顔を戻す。
教科書に集中することで、先ほどの羞恥を忘れてしまおう作戦に出る。
うんうんと唸っていると、ふと隣から視線を感じた。珍しいことに、だらしなく肘を突き、手のひらに顎を載せ、指で口元をほんのりと隠したヴィンセントが、こちらを見ていた。
「どうしたの?」
持っていた教科書で口元を隠し、ひっそりと尋ねる。
先ほどまで一心不乱に勉強をしていたヴィンセントは、口元をむにっと歪めると、拗ねたような顔をした。
「付き合い始めてすぐなのに、勉強ばかりでつまらない恋人だと、思っていないか?」
「えっ。思ってないけど。ヴィンセントと勉強するの、好きだよ?」
そもそも、これまでヴィンセントと一緒にいる時間の大半は自習室か図書室だった。本とインクの匂いがする教室には、ヴィンセントに片思いをしていた思い出が、これでもかというほど詰まっている。
教科書をめくるヴィンセントの指先も、オリアナに教えてくれる時の少し低いトーンの声も、真剣に勉強をしている横顔も好きだ。
「好き」の理由に勉強の部分が全く引っかかっていないが、正直なオリアナの気持ちは伝わったのだろう。ヴィンセントがほっとしたように息を吐く。
「すまない。試験だけは、どうしても一位を取りたくて」
「何か理由があるの?」
以前は距離を感じて聞けなかった理由を尋ねてみると、ヴィンセントは苦々しげな顔をした。
「そ、そんなに言いたく無いことならっ……!」
「いや――父に、無心をしているんだ。五年間、一位を取り続けたら、叶えて貰える」
「そんな前から? 何か欲しいものがあったの?」
ヴィンセントはじっと、オリアナを見た。
一体、彼がそれほど必死に欲しがるものは何なのだろうと、オリアナも固唾を呑んで見つめ返す。
オリアナの眼力が強すぎたのか、ヴィンセントが視線を逸らした。
「……それは、もう少し覚悟が出来てから、言う」
「覚悟……? わ、わかった」
欲しいものを教えるのに覚悟が必要なものとはなんだろうか。もしや王位継承権だなんて言わないだろうなと、オリアナはドギマギした。割と洒落にならないやつである。
オリアナがそんなことを考えていると、ヴィンセントは細い声で言った。
「――試験が終わったら、街にも出かけよう。それと、君がしたいと思うことを、なんでも」
王位継承権をパパにお強請りしているヴィンセント君が、オリアナの頭の中ではじけ飛んだ。ぎょろっと目を見開いて、ヴィンセントを見る。ヴィンセントは目尻を赤くしたまま、どこか睨むようにオリアナを見ていた。
「……恋人だから?」
『友達だから』じゃないことを確認したくて、オリアナは口に出していった。
ヴィンセントは真っ赤な顔で、観念したように低い声で呻いた。
「……恋人だから」
(やばい。私の彼氏、最高すぎる)
オリアナはぱぁと顔を輝かせた。その顔を見て、ヴィンセントも指で隠した口元を綻ばせる。
「なんでもいいの?」
「ああ。したいことがあるのか?」
「ある! ねえ、じゃあ勉強終わって自習室出たら、させてもらってもいい?」
「ああ、もちろんだ。その代わり、今日はここまで頑張ろう」
指定された教科書のページ数を見て、一瞬オリアナは真顔になった。最高の恋人が出来たと思っていたが、もしかしたらオリアナは、最強の家庭教師も手に入れていたのかもしれない。
死ぬ気でヴィンセントのノルマを達成したオリアナは、二人で自習室から出た瞬間ヴィンセントの背中にぎゅっと抱きついて、驚いた彼のインク壺を落下させた。
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