第173話 紅茶と恋と花束と - 04 -


 ひらり、ひらりと紫色の花びらが舞う。

 歩いた跡に、道しるべのように花びらが散っていた。




***




 ラーゲン魔法学校の食堂の入り口がざわりとどよめいた。


 花ノ日どようびと言えども、お昼時の食堂は賑やかなままだ。人の話し声や椅子を引く音でがやがやとしていた食堂で、優雅に食後のお茶と洒落込んでいたオリアナは、入り口を見やった。


「何の悲鳴?」

「さぁ。何かしら」


 ヤナもカップを置いて入り口を見た。オリアナとヤナはどちらも背が低いため、人が大勢いる食堂では向こう側まで見通せない。


「アズラク、何か見えて?」


 ヤナが尋ねると、アズラクはふっと口元を綻ばせた。慣れないアズラクの微笑にドギマギしていると、アズラクがオリアナを見る。


(え? 何?)


 小首を傾げたオリアナに意味深に笑うと、食べ終えた食器と紅茶のカップを二人分トレイに載せ、アズラクが立ち上がる。


「ヤナ、行こう」

「……ええ」


 ヤナは全く何もわかっていないだろうに、こういう時、アズラクに一々逆らうことはない。


「えっ?! 待って私も――!」


 何故一人置いて行かれる羽目になっているのか。オリアナは、慌てて残りの紅茶を飲むと席を立つ。


 しかしアズラクは、慌てるオリアナににやりと笑うと背を向けた。

 呆気にとられて立ち止まる。ヤナとアズラクと話している間に、人のざわめきが一際大きくなっていた。オリアナは何となく顔をそちらに向けた。


(――……嘘)


 息を呑む。目を見開き、口がぽかんと開いた。


 アズラクとヤナを追うどころでは無い。目の前に現れた人物で、一瞬にして頭がいっぱいになった。


 柔らかな金髪を靡かせ、カツンコツンと靴音を響かせながら、ヴィンセントが食堂を闊歩する。悲鳴を上げていた生徒達は、ざわめきながらヴィンセントのために道を空ける。


 食堂の入り口の向こうにも、食堂利用者以外の生徒が大勢集まっている。ヴィンセントの後をつけてきたのだろう。生徒らの視線は、ヴィンセントと、ヴィンセントが抱える物に釘付けだ。


 真っ直ぐこちらに向かってくるヴィンセントから、オリアナは目を離せなかった。ヴィンセントはオリアナの前まで来ると、視線を逸らし「くそっ」と小さな声でぼやいた。


「こういうのは、僕の分担じゃ無い」


 オリアナは、ヴィンセントがこういう・・・・物を持ってやってきた相手が自分だと確信し、両手で口を覆った。


「だけど、君が――どれほど喜ぶか、知っているから」


 ヴィンセントは膝を突いた。あまりの羞恥にこちらを見ることが出来ないのか、視線は外したままだ。髪の隙間から見える耳は、真っ赤に染まっていた。


 抱えていた大きな大きな花束を、ヴィンセントがオリアナに差し出す。


「――僕と、踊ってくれないか」


 掠れた小さな声がオリアナの耳に届く。


 誰もが息を呑んで見守る。水を打ったように、食堂は静まりかえっていた。オリアナはぶるぶると震えながら口元から手を外すと、その手を伸ばして花束を受け取った。


「……はい」


 その瞬間、ワッと食堂が湧く。脱力するヴィンセントとは正反対に、見守っていた生徒達は楽しそうに騒ぎ出した。歓喜の音楽を奏でるようにフォークやスプーンで食器を鳴らし始めた生徒に、食堂のスタッフが大きな声で注意する。その声さえ、オリアナとヴィンセントを祝福しているかのようだった。


 ヴィンセントはまたオリアナの手を掴んで走り出すかと思ったが、花束をオリアナに渡すと、オリアナのいる隣の椅子を引き、ドスンと座った。


「……今日は逃げなくていいの?」


「笑い者にされる覚悟はしてきた」


 むすっとしているのは、機嫌が悪いのでは無く、恥ずかしいのだろう。


 初めは、笑顔しか見せてくれなかったヴィンセント。いつも余裕があって優しくて、オリアナのする事を何でも鷹揚に受け止めてくれた。


 けれど今の仏頂面のヴィンセントは、もっとずっと彼自身として、オリアナと向き合ってくれている気がした。


 オリアナも椅子を引き、先ほどと同じ席に座る。貰った花束をしげしげと見た。紫色でまとめられた、豪華な花束だ。


 ずしりと重い。こんなに大きな花束を、彼はわざわざ街に買いに行き、自分で抱えて持って帰ってきたのだ。きっと色んな人に振り向かれ、笑われただろう。それに耐え、ここまで持って帰ってきてくれたヴィンセントを思うと、心臓がぎゅっと締め付けられる。


 オリアナとヴィンセントがペアになるのは、わざわざ明言せずともお互いにわかっていたことである。可愛くお願いされなくったって、パートナーになる気満々でいた。オリアナと面識が無い生徒でさえ、きっと二人がペアになることは知っていた。


(なのに、わざわざ誘ってくれた……こんなに恥ずかしがってるのに、花束まで買って)


 その理由を、ヴィンセントは「オリアナが喜ぶから」と言った。


 オリアナは花束をじっと見つめながら「ヴィンセント」と呼びかけた。


「なんだ」


「……ありがとう。私、めちゃくちゃ嬉しい」


 どれほどオリアナが喜んでいるのか、ちゃんと知って欲しかった。気持ちを込めて感謝の言葉を伝えると、ヴィンセントは虚を突かれたような顔をした後、テーブルについた片腕で顔を隠してしまった。


「ヴィンセント?」

「くそ。やっぱりさっき、食堂から移動しておくべきだった」


 ここじゃキスが出来ない。


 続けられた言葉にまた泣きそうになったオリアナは、花束を抱えたままヴィンセントの体に寄りかかった。


 触れた面から、ヴィンセントの体が硬直したことが伝わってくる。オリアナは花束の花を見ながら、うっとりと呟いた。


「ヴィンセント」

「……なんだ」

「大好きっ」


 ヴィンセントはテーブルに突っ伏した。

 その後、オリアナがどれだけ話しかけて体を揺らしても、しばらくの間微動だにしなかった。




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