第172話 紅茶と恋と花束と - 03 -


「あーーーっ、もう!」


 叫ぶと同時に、ミゲルが芝生の上に仰向けに寝転んだ。灰色の空から隠れるように、両手で顔を覆う。


「何なんだよ、ようやく、せっかく付き合い出したんだから、二人でいればいいだろ。それまでだって、ちゃんと俺はわかってたよ――望んでなかったじゃん」


 ミゲルの表情は見えなかった。けれど迷子の子どものような、今にも泣き出しそうな声で言われて、黙っていられるはずが無い。


「だから。望んでいいって言ってるんだよ、こっちは」


「僕は君とほぼ一日中一緒にいるんだぞ。隣でそんな辛気くさい顔をされていて、気にならないわけ無いだろ」


 ヴィンセントが言うと、ミゲルは両手を顔から離し、オリアナを見た。


「……わかった。じゃあオリアナ、舞踏会は俺と行こうな」


「は?!」


 ヴィンセントが目を見開いてミゲルを見下ろす。そういえば、ペアのことはまだヴィンセントと話し合っていなかった。

 オリアナは腕を組んで、首を傾げた。


「うーん……」


「オリアナ。何故悩んでる」


「ミゲルがちょっと破壊的に可愛かった……」


 ふて腐れてるミゲルが、なんとか反撃したのが舞踏会ペアの話なのだ。可愛くないわけが無い。


「ヴィンセントも可愛くお願いしてみろよ。もしかしたら、一緒に行って貰えるかもよ」


 にやにやと笑って言うミゲルに、ヴィンセントは冷たい視線を送る。オリアナは興味津々でヴィンセントを見た。ヴィンセントが可愛くお願いをしてくれるなどという、一生に一度しか無いだろう機会を、決して見逃したくは無かった。


 オリアナがキラキラした目で見ていることに気付いたヴィンセントは、顔を引きつらせて言う。


「……しないからな」


「えーいいのー? オリアナ、俺と行っちゃうけど?」

「いいの!? オリアナってば、ミゲルと行っちゃうよ?! ヴィンセント、いいの!?」


 この流れには乗っておくしかない。オリアナは心の中で拳を握りしめて、ぶんぶんと振る。


 ノリノリな二人に対し、鬱陶しそうにため息を吐くと、ヴィンセントはオリアナを見てにこりと笑った。


「オリアナ。ドレスの色は何色だ?」


 オリアナは言葉を詰まらせた。心の中で拳を握ってぶんぶん振っていたオリアナちゃんは、すごすごと立ち去ろうとしている。


「……」

「オリアナ」

「……黙秘します」

「今からドレスを新調して、間に合うのか?」

「……」

「その場合、そうだな。ミゲルの目と同じ、灰色のドレスを作るんだろう?」


「な、な、なんで、なんで知ってるのぉ……?!」


 オリアナが悲鳴を上げる。顔は触らなくてもわかるほど、熱くなっていた。


「何でだろうな?」


「嘘だ、やだ、めちゃくちゃ恥ずかしい。だってまだ、誘われても無いのに、一緒に行くつもりだって無い中で選んじゃったのに……! 待って、でも紫って言うほど、紫じゃ無いの。ギリギリ言い張ればピンクに見えるぐらいで……!」


 オリアナが舞踏会用に仕立てたドレスは、紫がかったピンク色をしている。


 仕立屋の持ってきた数多もの布の中で、一際目立ったその色から、オリアナは目が離せなかった。ヴィンセントの瞳の色と、それほど似ているわけでは無い。わざわざ紫だと突っ込まなければ、ピンクで押し通せそうな色合いだ。


 だから、オリアナはつい、選んでしまった。

 どうせ一緒に舞踏会に行けないのなら、こっそり彼の色を纏っていようと――そう思って。


「うあああ……うあああ……!!」


「あっはっはは!!」


 恥ずかしさで身もだえするオリアナを見て、寝転がったままのミゲルが大声で笑った。オリアナは芝生をひっつかみ、勢いよくちぎるとミゲルの顔めがけて投げる。パラパラと、短い草がミゲルの顔に命中した。


「うわっ! 最悪っ」

「ミゲル、パートナー解雇!」


 涙目で怒るオリアナに、ミゲルがまた「あははは!」と大声で笑った。

 オリアナが更に笑わせてやろうとミゲルをくすぐろうとすると、ヴィンセントがオリアナの両手を掴んで止める。


「そこまでは、許さない」


「……ぅひゃい」


 うっすらと浮かべた笑顔と、男の声を出すヴィンセントにびりびりと痺れてしまったオリアナは、素直に返事をして手を下ろした。その様子を見たミゲルが、芝生に俯けになって腹を抱える。


 笑いが収まらないミゲルを、しばらくオリアナとヴィンセントは放置した。バスケットからサンドウィッチを摘まみ、それぞれの皿に載せていると、ぽつりと声がした。


「……捨てたく、無いな」


 ミゲルを見ると、まだ地面に伏していた。


「ここまで来たんだ。――それにきっと、これが最後……」


 笑いすぎたせいか、ミゲルの声は少し掠れている。オリアナは手に持ったサンドウィッチを、じっと見た。


「……トマトのサンドウィッチ、確かにこれが最後だけど……」


 真剣な声で言うと、ミゲルが笑って仰向けになった。晴れ晴れとした顔をしているミゲルは、いつもより随分と幼く見える。


「俺にちょうだいよ」

「お皿のまだ、一つも食べてないよね?」


 よっと、勢いをつけてミゲルが上半身を起こす。長い足を立て、体を捻ってこちらを向いたミゲルは、オリアナに皿を出した。


「全部食べる。俺にちょうだい」


「残さないでよ」


「もう、残さない」


 オリアナはミゲルにトマトのサンドウィッチを渡した。これで、ミゲルの皿の中には、合計六つのサンドウィッチが載ることになる。


 ミゲルは随分と苦労しながらも、六つのサンドウィッチを全て食べきった。




***




「じゃあ、バスケットは俺が持ってっとくね」

 はち切れそうなお腹をさすりながら、ミゲルがサンドウィッチの入っていたバスケットを持ち上げる。


「え。私達も一緒に帰るよ」


 お昼休みはもうすぐに終わる。共に立ち上がろうとしたオリアナは、ローブがつんとつんのめったのを感じた。


「次は俺が気を遣うターン」


 にまーと笑うミゲルを、ヴィンセントがシッシッと手を払った。もう片方の手は、オリアナのローブを摘まんでいる。


 オリアナは摘ままれたローブをキラキラと目を輝かせながら見ると、ミゲルにいい笑顔を向けた。


「じゃあね! ミゲル」


 微塵の未練も残さずにミゲルに手を振ったオリアナに、ミゲルもにこっと笑う。


「えーやっぱもうちょっといようかな」


「さっきの発言思い出してくださいねー。来期のテストに出ますよー。気を遣うターンになりましたよー」


 オリアナが両手で手を振ると、「ちぇー」と口を尖らせつつも、ミゲルは手を振った。遠ざかるミゲルの後ろ姿を見送ると、オリアナはススス、とヴィンセントの隣に近付く。


「えっへへ」


「友達だから」と言い訳しなくても許される距離に、つい頬が緩む。

 すぐ隣にいるヴィンセントを見上げると、優しい顔をして見下ろしていた。友人だった時には、許されなかった表情。


「……その顔、やっと私に向けてくれた」


 ぽかんとして言うと、ヴィンセントは自分の顔を片手で覆い、頬を撫でた。


「またか……一体僕はどんな顔をしていると言うんだ」

「え、私が言うの?」

「鏡も無いんだ。言ってくれなければわからないだろう」


 訝しむヴィンセントに、オリアナはむぐぐ、と唇を噛みしめると、一気に言った。


「……わーこの子、めっちゃ好き。って顔」


 流石に恥ずかしくなって、ヴィンセントの腕にぺたりと顔を寄せると、見られないように顔を隠した。


 それは、オリアナがずっと嫉妬していたものだった。


 恋い焦がれる顔はいつも、隣にいるオリアナ以外に向けられていた。好きな人を思い出している顔を、オリアナはいつも隣から見ていた。


 なのに今はその顔が、真っ直ぐにこちらに向いている。


 ヴィンセントに寄りかかって顔を隠しているオリアナの頭に、彼の指先がそっと触れた。そのまま、髪の感触を楽しむようにオリアナの頭を撫でる。


「――もし今、僕がそんな顔をしていたのだとしたら、これまでもずっと、君にだけ向けていたと思う」


 オリアナは地面に突いていた手を、ぎゅっと握りしめた。指の隙間に芝生と小石が入り込む。


「すけこましぃ」

「事実だ」


 頭を撫でていた指が伸び、オリアナの頬をくすぐる。愛情のくすぐったさに身を捩ると、そのまま顎を掴まれて、上を向かされた。


 心臓の準備をする前に、ヴィンセントの唇が降りてくる。ドコドコと言う心臓の音が聞こえないように、少し距離を取ったまま、オリアナはヴィンセントのローブを握りしめた。


 名残惜しげに唇が離れる。オリアナは赤い顔を隠すために、ヴィンセントの腕にまた隠れた。


「……キスって、こんないっぱい、する感じのものなの?」

「したくない時は言うといい。我慢する」

「あ。ほんとに、そういう感じのものなんだ……?」


 驚きから思わず上を向いたオリアナを見て、ヴィンセントが口元を綻ばせる。そしてそのまま、もう一度口づける。


「あれ。でもやっぱ、え。嬉しいんだけど、知恵熱出ちゃいそうだから、ちょっと待っ……」


 ヴィンセントはオリアナが「待って」と言葉にする前に、もう一度口を塞いだ。



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