第170話 紅茶と恋と花束と - 01 -


 校内を歩くだけで、廊下を歩くだけで、教室に入るだけで――人々がざわつくのがわかる。


 背中には、ずっとひそひそした話し声が付いてくる。オリアナは口をむぐぐと噛みしめながら、第二クラスの教室に足を踏み入れた。


「オーリアナー……やっと来たな」


 机の上に足を組んで座り、マフィアのボスのようににやりと笑ったハイデマリーと、その周りに参謀さながらにいる友人らを見て、オリアナは顔を引きつらせた。




***




「オリアナ」


 凜とした澄んだ声は、さほど大きくも無いのに教室に響く。


 昨日までの会えなさが嘘みたいに、当然のような顔をしてヴィンセントが第二クラスの教室に顔を出した。クラスや廊下で、また大きなざわめきが生まれる。


 ――昨日、ヴィンセントとオリアナは恋人になった。


 その報はラーゲン魔法学校を瞬く間に駆け巡った。過去、ヴィンセントと仲良くなり始めた頃以上の大騒ぎだった。

 第二の教室の入り口は常に他クラスの生徒が押し寄せ、「あのヴィンセント・タンザインの――」と、この数時間で何度指をさされたかわからない。


 教室で待ち受けてきたハイデマリー達に、昨日の作戦のお礼と、急展開で付き合うことになったことを伝えると「全然急展開じゃないっていうか、ようやくって感じなんですけど」と冷めた目で突っ込まれた。

 オリアナにとっては青天の霹靂だったのだが、随分と周りをやきもきさせていたことを、初めて知った。


 主に授業以外のもの――クラスメイトの好奇の視線や、ハイデマリー達の容赦ない追求――に疲れ果てていたオリアナは、ヴィンセントを見て顔をパァと輝かせた。


「ヴィンセント!」


 勢いよく立ち上がり、階段状になっている教室の段差を下る。


 にこにこ笑顔で駆け寄るオリアナを見たヴィンセントは、顔を片手で覆う。そして、教室のドアに辿り着いたオリアナの頭をポンポンと撫でた。


「どうしたの?」

「いや、……なんでも」


 と言ったヴィンセントは、オリアナの頭を撫で続ける。オリアナはよくわからず、ひとまず頭を差し出すことにした。


 大人しく差し出していると、ヴィンセントはずっとオリアナの頭を撫でている。オリアナ達は次の授業もこの教室なため移動は無いが、ヴィンセントは大丈夫なのだろうかと不安になり、顔を上げた。


「……かまいに来てくれたの?」

「――ああ。それもあるんだが、誘いに来たんだ。昼を一緒に食べないか?」

「ひええ」


 思わず悲鳴を上げたオリアナに、ヴィンセントは眉を上げる。


「どうした」

「誘われた……」

「誘ったんだから当然だろう……やめろ。このくらいで照れるな」

「ひえええ……」


 顔を赤くしたオリアナにつられ、ヴィンセントも頬を赤く染める。目を閉じ、両頬に手を当てて熱を冷まそうとするオリアナに、「それで」とヴィンセントは返事を求める。


「どうなんだ」

「行くます」

「わかった。昼にミゲルと迎えに来る」

「お、了解です」


(ミゲルもいるんだ)


 少しだけ落胆し、大きく安心した。ミゲルがいるのならいつも通りにヴィンセントと接すことが出来るだろう。それに、ヴィンセントに会えない間、ミゲルとも会えていなかったので、彼にも普通に会いたかった。


「そういえば、ダンスレッスンとかはもういいの?」

 それぞれに妨害を受けていたとはいえ、ヴィンセント自身はそもそもが多忙だった。試験勉強と共に、彼の個人的な時間の大半を占めていたダンスレッスンは、舞踏会まで続く。


「練習時間を元通りにした。それに男子も戻ってくるだろうから、心配はいらない」

「そっか。ヴィンセントが頑張って来たことだから、ちゃんと上手くいくといいな」


 オリアナが言うと、ヴィンセントは苦虫を噛み潰したような顔をする。


「どうしたの?」

「……そういうことを言われると、ダンスレッスンなんかもうどうでもいいとは言えなくなる」

「え! 言っちゃ駄目でしょ」

「そうだな」


 ヴィンセントを否定したというのに、何故かヴィンセントは嬉しそうに笑う。 


「あ。ダンスレッスンもだし、試験勉強とかでも忙しいなら、迎えに来るって言ってくれてたけど、食堂集合でも全然――」


 大丈夫、と言おうとした言葉を、オリアナは止めた。

 先ほどまで嬉しそうに笑っていたヴィンセントが、ふて腐れたようにこちらを睨んでいたからだ。


「君は存外、薄情だな」


 その言葉が「少しでも一緒にいたい」に聞こえるオリアナは、多分頭が腐り始めている。


「待ってます……」

「ああ。それじゃあ、戻る」

「うん。また後でね」


 頷いたヴィンセントは、やってきた道を戻っていく。


 しばらくヴィンセントの後ろ姿を呆けて見ていたオリアナは、席に戻ろうと振り返る。ふと視線を感じ見渡すと、オリアナとヴィンセントの会話に聞き耳を立てていたクラスメイト達が、生温かい目でオリアナを見ていた。


 たじろいだオリアナは赤い顔を隠しながら、こそこそと教室を移動する。

 席に戻ると、隣に座るヤナの黒々とした瞳と目が合った。


 ヤナには昨夜の内に、ヴィンセントと恋人になったことを伝えている。

 両手をあげて喜んでくれた後、ヤナはオリアナから一時も離れようとはしなかった。


 トイレにまでついてきそうだったため、部屋で待って貰うのをもの凄く必死に説得しなければならなかったのは、流石に焦った。


 夜はもちろん同じベッドで眠った。星の灯りのように柔らかい魔法灯をつけ、互いに触れる肩のぬくもりを感じた。昨日は、溢れ出そうな幸福を噛みしめた夜だった。


「周りが慣れるまでの辛抱よ」

「パイセンのお言葉、痛み入ります」


 少し前、同じような目に遭ったヤナからのありがたいお言葉に、オリアナは手を合わせた。





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