第168話 「ああ、そう言っている!」 - 04 -


 どう走ったのか、オリアナは覚えていなかった。


 ヴィンセントに手を引かれるままに走っていたオリアナは、足がもつれて転びそうになった。すぐに気付いたヴィンセントがオリアナの腕を引いて、転倒を防ぐ。


「無事か?」

「う、ん」

 全身を襲う高揚感で、足がふわふわとしている。上手く力が入らない。


 ヴィンセントはオリアナの手を引き、今度はゆっくりと歩き始めた。握った手は、振りほどこうと思えば振りほどけるほどにしか、力が入っていない。それが信頼の証のように思えて、オリアナはぎゅっと手を握り返した。


 ヴィンセントがしっかりとした足取りで歩を進める。森の中は、足を踏み出すごとに落ち葉が擦れる。何処に向かっているのか、オリアナにももうわかっていた。


 歩いていると、竜木に辿り着いた。

 見上げても、頂上が見えないほどに高い。枝の隙間から、灰色の空が覗いた。

 竜木の太い木の根に、ヴィンセントが腰掛ける。オリアナも、ヴィンセントに促されるまま、隣に座った。


「こんなところまで連れてきてすまない」

「ううん。……でも、なんで竜木?」

「校舎側に行くと、また足止めを食らうと思ったら自然に――五限は、本当にサボりになるな」


 苦笑したヴィンセントに、オリアナも笑って見せた。その笑顔が引きつっても、仕方が無い。


(だって、このヴィンセントは、「私の事が好きなヴィンセント」だ)


 今まではずっと、「シャロンを好きなヴィンセント」だと思っていた。心の中で、これ以上近付いてはいけないと、壁を作っていた。


 どれだけ触れあっても、優しくされても、自分の恋心を「友達だから」の呪文で隠すのに必死で、ヴィンセントの心を思いやる余裕なんて、皆無だった。


 なのに今は、握ったままの手も、隣に座らせようとするのも、全てオリアナが好きだから、ヴィンセント自身がしていることだと知ってしまった。


(友達だから、じゃない)


 ふわふわとした幸福感に耐えきれず、オリアナは膝を抱えて顔を埋めた。


(どうしよう、こんなの、死んじゃうかもしれない)


「……返事を、貰いたいんだが」

「え?」

「あんなところで僕に告白をさせたんだ。君が返事をくれるまで、離さない」


 握っていた手が、ぎゅっと握り込まれる。その時になってオリアナは、自分の気持ちを伝えていないことに気がついた。


「あっ……ごめんなさい」


 慌てて顔を上げ、ヴィンセントの方を向くと、ヴィンセントは苦虫を噛み潰したような顔をして、オリアナを見ていた。


「――よく考えて欲しい」


「え?」


「君は男友達全員に、こんな距離を許しているわけでは無いだろう? こんなに簡単に、他の男と手を繋いだりしない。そうだろう?」


「う、うん」


「僕以外に膝枕をしたことは? 頭を撫でたことは?」


「無いよ」


「そのはずだ。いいか、もう一度考えるんだ。君は気付いていないだけで、もしかしたら、少しは僕のことが好きかもしれな――」


「好きだよ」


 必死に言い募るヴィンセントの目を見て、オリアナは真剣に言った。


「好きだよ。ヴィンセントが。ずっと好きだった」


 ヴィンセントは僅かに目を見開く。

 紫色の美しい瞳から、ぽろりと涙をこぼれた。


 オリアナの驚愕の視線を感じたのか、ヴィンセントは自分の指で涙を掬う。そして、濡れた指先を見て唖然とした。


 自分が泣いたことに気付いていなかったのだろう。涙を見て、もう一度オリアナを見たヴィンセントは、唇を震わせた。


 オリアナと握っている手に、強い力が込められる。


 ヴィンセントが体を折り曲げた。肩を震わせ、口元を手で覆い、嗚咽を押し殺す。

 オリアナは思わず、ヴィンセントを抱きしめた。ヴィンセントの首に腕を回し、背中に頬ずりをする。


「ヴィンセント、大好き」


「っ――」


 そう言うべきだと思ったのに、腕の中のヴィンセントはぶるりと震えた。追い打ちをかけられたかのように、ヴィンセントがまた涙を流す。


「言わない方が、よかった?」


 不安になって尋ねたオリアナに、ヴィンセントは首を勢いよく横に振った。嗚咽がひどくて、言葉が出ないようだった。顔を上げ、ヴィンセントはオリアナの両頬を包み込む。


「――ここに、いた」


 嗚咽混じりに、ヴィンセントが呟いた。



「ああ、オリアナ――君はずっと、ここにいたのか」



 涙に濡れた顔で、ヴィンセントはオリアナを見て微笑んだ。





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