第167話 「ああ、そう言っている!」 - 03 -
毎年見た筆跡と、同じ「お誕生日おめでとう」という文字が、手紙に書き込まれていた。
去年のヴィンセントは、手紙を書いた思い出を、「無駄なこと」だと言った。
『マフィンの上に、レモンが載っていたことを書いた。どうしても無駄にしか思えず、書こうか書くまいか迷って、結局書いた。書いたら――彼女が、喜ぶかと思って。喜ぶ顔を思い浮かべながら、書いた』
(ねぇ。ねぇ、もし)
もし、ヴィンセントの好きな人が本当に、シャロンでは無いのなら。
(私はもしかしたら、これからレモンが、世界で一番好きな食べ物になるかもしれない)
***
ヴィンセントは思っていたよりもずっと近くにいた。
東棟の入り口に出来ていた人だかりのせいで、立ち往生していたのだ。
「タンザインさん! 何故このような場所に――」
「まあまあ。大きな声を出さないでくださらない?」
「舞踏会まで一日だって無駄にしたくありませんの!」
「まだ今日のレッスンが――」
「あーもうわかった。わーかったから! 黙りなさいっての!」
「まあ、さすがの第二でいらっしゃるわね」
「せっかくのお綺麗なお顔が、台無しになってよ」
「もー怒っちゃいましたわ。お話も出来無いお猿さん達なんて、斬り捨ててもよろしいってことですわよね?」
ヤナとアズラクの他に、ハイデマリー達や、面会室にいたはずのコンスタンツェの姿も見える。
足止めに失敗した彼女達が、全員ここを最後の砦としてくれていたのだろう。
「わー! その手に持ってる物騒なもんは流石にポイしてきなさい! ぽい!」
「だまらっしゃいですわー! ここで行かねば女が廃る!」
「よしきた! 加勢する!」
「お前も悪ノリ止めろっての! なあ、見てないで手伝えよ!」
「何をどう手伝えと……」
「まあ、物騒なこと」
「タンザインさん、早くこちらにいらして!」
「これって何の騒ぎなの?」
「さあ……タンザインさん絡みっぽいけど」
「前見えなーい」
「今日は、私のダンスを見てくださるお約束をいただいておりました」
「タンザインさんは約束を破ったりしませんよね?」
砂糖に群がる蟻のように、ヴィンセントに生徒が押し寄せる。
彼を追いかけてきた女生徒達に、騒ぎを聞きつけた他の生徒達も集まり、場はあまりにも混沌としていた。
「ヴィンセント!」
堪らずに名前を呼んだ。オリアナが追いかけてきたことに気付いたヴィンセントは、オリアナから逃げるように背を向ける。そして、自身を取り囲んでいた生徒達を掻き分け、強引に人垣を出て行く。
「きゃっ」
「タンザインさん――?!」
「ねえ、読んだ!」
オリアナが叫ぶと、ヴィンセントの動きが止まる。好機と捉えた女生徒達が、ヴィンセントのローブを引き、彼の意識を自分に向けようと、焦ったようにヴィンセントに話しかける。
「タンザインさん、今日のレッスンは実際に音楽を奏でながら――」
「奏者を呼んでおりますの。三年生ですが腕は一流で――」
「――オリアナ、何処に行ってたんだよ!」
「お前は本当に俺がいないと――」
オリアナの元にも、面会室の前に置いてきていたはずの男子生徒らが駆け寄ってきていた。何かを話しかけられているが、オリアナは全く聞いていなかった。
数メートル離れた先にいる、ヴィンセントのことしか目に入らない。
「ね、ねぇこれ!」
立ち止まっているヴィンセントの背に向けて、大きな声で言った。
震える手で、ぎゅっと手紙を握りしめる。声も、無様なほどに震えていた。
「私――めちゃくちゃ勘違いしそうなんだけど!」
顔が熱い。息が出来ない。
目の前が滲んで、涙がこぼれそうになる。
立ち止まっていたヴィンセントはくるりと振り返ると、怒った顔をしてこちらに歩いてくる。苛立ちをあらわにしたことの無いヴィンセントのしかめっ面に、周りの生徒達は恐れるように距離を取る。
「何故、勘違いだと思うんだ」
一歩ずつヴィンセントがオリアナに近付いてくる。
こんなに人がいるのに、ヴィンセントの声はまっすぐにオリアナに届いた。
怒気を含んだ静かな声が、オリアナを強く責める。
オリアナは震える唇を開く。
「だって、だって……だって!」
「僕が特別優しくしているのが誰なのか、本当にわからないのか!?」
ずっと、ヴィンセントが好きな人は、シャロンだと思っていた。
――だから、考えたことも無かったのだ。
「だってこれ――私の事が、好きだって言ってるみたい!」
「ああ、そう言っている!」
ヴィンセントが、声を張り上げた。怒鳴られたのは、初めてだ。
なのに、倒れそうなほどの幸福感がオリアナを襲う。
「きゃーーーーーーっ!!」
場が沸騰したように、ワッと沸き立った。
ピュウーイ! と、指笛が鳴る。
周りにいた生徒達が、悲鳴を上げる。女生徒達はむせび泣き、オリアナを追いかけてきた男子らは落胆の声を漏らす。
野次馬達は、ヴィンセントとオリアナをもみくちゃにしようと、歓声を上げながら駆け寄ってくる。
喜びもつかの間、唖然とするオリアナの腕を、力強い手が掴んだ。そのまま、オリアナを引っ張って、ヴィンセントが走る。
逃げる二人の背に、いつまでも歓声が届いていた。
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